2016年9月25日 11:00
うちの子は「問題児」なの?涙が溢れたフリースクールでの出来事
初日に私は、いつも学校にしていたように息子の特性についてあれこれ説明して、迷惑をかけてしまうかもしれないことをあらかじめ伝えておきました。
音楽が好きな息子は、フリースクールで高校生向けに行われている、音楽に関するゼミ形式の授業をとることにしました。
通い始めて数回目のある日のこと。私は授業中の息子の様子を話す先生方に衝撃を受けました。
「難しい話も、鉛筆を噛みながら一生懸命聞こうとしていたね。」
「お前よくずっと座ってられたなぁ!」
10歳の子どもが高校生の中でひとり授業を受けていれば、先生がそれをほめるのは当然のことかもしれません。
それよりも私が感動したのは、きっと先生は「息子に障害がある」ということを私が事前に話していなかったとしても、同じように声をかけてくれていただろうということです。
先生は、これまで「問題」とされていた息子の行動の理由を見抜いて、息子の本質を捉えてくれていたのです。
いろいろな行動には息子なりの理由があり、それを含めて息子なのだ、と他人に認めてもらえた初めての経験と、「発達障害」という前提を抜きにして、ただただごく普通に、一人の人間としての息子をそのまま見つめて接して下さった先生の対応に、私は嬉しくて涙してしまいました。
環境が変われば、「障害」は「障害」ではなくなる
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11017014642
そのとき私の頭に浮かんだのは「障害は環境が作る」という言葉です。
その言葉について私は今まで、例えば車椅子を使う人は階段を登れなかったけれど、スロープを設置すれば段差も上がれる、というように「環境」は目に見えるものを指しているとばかりと思っていました。しかし「環境」というのは、場所や状況のことだけではなく、その場にいる人や雰囲気、自分が関わる人や求められる事柄など、全て含めて「環境」なのだと感じました。
そして「息子に障害がある」という説明が要らないほど、ありのままの息子の姿を、「そういう人もいるよ」と自然に認めてもらえる環境は、私たち親子にとってとても過ごしやすく、素晴らしいものでした。
息子に発達障害があることは、今も昔も変わらぬ事実です。しかし自分たちに合った環境に身を置くことで、障害は障害でなくなる。なくならないにしても、今まで以上に意識する必要がなくなる。