こだわりをソーシャルスキルに!息子の「困った行動」への見方を変えてくれた、海外の療育法
ちょっとうんざり!?毎週土曜にわが家に流れるテーマソング

出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28174010204
土曜日の朝、家族の誰よりも早起きな小学2年生の息子。朝の6時から毎週、同じアニメのオープニングソングが鳴り響きます。
ここ何年も、これが土曜日の朝の恒例です。息子が好んで見るアニメは、3つぐらいしかありません。しかも、一度見たものを録画して繰り返し繰り返し見るのです。当然、セリフは全部暗記。各シーンの絵の配置なども細かく暗記。暗記するほど何度も見たあとは、おもちゃのブロックでその場面を再現したり、絵に描いたりして楽しみます。
息子にとって「好きなアニメは、1本で20回ぐらいは美味しく楽しめる」感じです。
とはいえ、家族は少しうんざりです。土曜日の静かな朝に決まって流れてくる同じ音楽。息子がテレビをつけるときの、全くバリエーションのないその選局っぷり。
「ねえ、たまにはさぁ、違うアニメ見たら?」
私はついつい息子に別のアニメを見るように促してしまいます。それは、私自身にとても自分勝手な要望があるせいです。私は息子の姿を見ていると、いつも思ってしまうのです。「もっと世界を広げてほしい」「いつも同じ番組ばかり見ているので世界に広がりがない」
私は必死に息子が好きになりそうな別のアニメを探してきては、息子に無理やり見せました。
けれども、そのたびに息子は「あと何分見なきゃダメ?」「またこれ見るの?」「なんのために見るの?」と苦痛をあらわにするのでした。アニメでこれだけ苦痛な気持ちにさせて何の意味があるのだろう、と私の中で迷いが生じ始めました。
そしてある日、気づいたのです。親の意思でいろいろなものを見せて無理やり世界を広げることは、この子にとって苦痛でしかないのだと。そもそも、「同じものばかり何度も見る」ということに対して、なぜ私はそこまでネガティブに捉えていたのでしょうか。
それをネガティブに捉えること自体が、息子の「世界」を狭めてしまっていたということに、私はある映画を観て気づいたのでした。
映画に登場した両親が確立させようとしている「アフィニティセラピー」
その映画とは、2017年4月に公開されたドキュメンタリー映画『ぼくと魔法の言葉たち』。
2歳のときに突然言葉を失った自閉症の少年・オーウェンが、大好きなディズニーアニメを通じて徐々に言葉を取り戻す様子と、社会に出て自立に向かっていく姿を描いた映画です。