2020年6月5日 07:00
ASD息子は親に興味ゼロ!幼児期から「親の存在価値」をあれこれプレゼンした結果…
現実の世界にはブレがつきものです。例外や臨機応変さなどの要素も、状況や背景が見えない時は“ブレ”や“理不尽”に見えてしまいます。約束ひとつとっても“誠実さ”に関係なく守れない時はあるものですが、コウからすれば単に不履行が起こっただけです。
「明日は公園に行こう」と言ったのに(雨が降ったことで)行かないのであれば、彼は「親の言葉はアテにならない。今度からは無視して1人で公園に行けばよい」と判断します。独力で望みを叶えた方が早くて確実だからです。
とはいえ、親の方も“約束を必ず守る”ということは不可能です。天候や急なアクシデントをコントロールすることはできません。
そのため、私はコウに対して“守れる約束”をするようにしました。「明日は、晴れていたら公園に行こう。雨が降ったらお絵描きしようね。」といった感じです。
見通しが立つと物事の因果関係は理解しやすくなります。そのことも「この人は信頼できる」という感覚につながったのかもしれないな、と思います。
Upload By 丸山さとこ
「親って便利!」から「一緒にいると安心」まで持っていくのは割とスムーズでした。コウが快適でいられるように協力していれば、利害に敏感なコウは「親がいると不快なことを減らせる。解決したり回避したりできる」と理解していくからです。
一方、「一緒にいると楽しい」という感覚を知ることは“楽しさの共有”なしには難しいものです。そして、その“感情を共有する”ということが難しいのが自閉症児です。
とはいえ、自閉症児も「自分が何かをしたことで反応が起きること」そのものは好きなようです。人間相手の場合その結果や因果関係が見えにくいことも「人間への興味の薄さ」に繋がるのではないかと考え、コウにとって分かりやすく共感して“盛り上げる”ことを意識しました。
そうして関わったからなのか単にたまたま時期だったのか、コウは少しずつ私と遊ぶことを楽しむようになり、“コウの遊びに付き合う・利用される”という状態から“一緒に遊ぶ・2人で遊びを盛り上げる”ということができるようになっていきました。
「世話してくれる役割の人」から「明確に好き」へ
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そんな風に少しずつ関係を作っていったこの10年間でしたが、それはあくまで私サイドから見たストーリーです。「コウの中で“親という存在”への認識はどのような変遷を辿っていったのだろう?」