子育て情報『落語家・柳家花緑「発達障害を受け入れて、僕は自信を取り戻した」自分に合った職に就くための工夫――【新連載】すてきなミドルエイジを目指して』

2020年9月23日 08:00

落語家・柳家花緑「発達障害を受け入れて、僕は自信を取り戻した」自分に合った職に就くための工夫――【新連載】すてきなミドルエイジを目指して

機が熟していない状態での昇進で、ド下手でこそないものの、中途半端な実力でしたね。名声に反して、常に自信はありませんでした。

「小さんの孫」として生きていかないといけないのだけれど、そこにあぐらをかかずちゃんとやっていくにはどうしたらいいかを常日頃考えていて。なにかやらなきゃという気持ちが、自立したいというところにも向かいました。

――自立ですか。具体的に、どのようなことをされましたか?

花緑:真打になる前、実家で暮らしていた21歳の頃から、家に毎月5万円ずつお金を入れ始めました。その頃にはすでに一人暮らしをしたかったのですが、親に「一人暮らしなんてできない」と止められてしまって。それが悔しかったので、自分も自立できるんだというところを態度で示そうと、家にお金を入れ、自分に関する家事は自分でするようになりました。


真打になったときには、自分で引越し屋に電話をして、強行突破で一人暮らしを始めました。自由になりたいからということで、自由が丘で(笑)。

――自分一人でも生活ができるようにしていったのですね。その結果、自信はつきましたか?

花緑:うーん、自信が芽生えてきたのは、30歳前後かもしれません。落語のCDを出したり、有名なテレビ番組に出演したり、初めての書籍出版の話をいただいたり……。一気に有名になり、生活も変わりました。

ですが、本当の意味で自信がついたのは、42歳でディスレクシアについて知り、自分は発達障害なんだと受け入れてからだと思います。

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能力差を努力不足だと思わなくなった

――発達障害であることを受け入れたことで、花緑さんにどんな変化があったのでしょうか?

花緑:発達障害は先天的なものですから、読み書きが不得意で勉強ができなかったのは自分のせいじゃなかった、努力不足というわけではなかったんだと思えるようになったんです。
もちろん、これからより良くできるようになることもあると思っていますが、なんだか初めて自分の両足で地面に立ったような気分でした。

そこからは、自分の感覚を素直に言葉にし、自分をさらけ出せるようになって、オープンマインドになりました。子ども時代からのつらかったことが傷にならないように、自分で心のケアもしていったような感覚があります。

2017年、46歳のときに書籍で発達障害を公表してからは、さらに楽になったような気がしますね。

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