2021年4月21日 06:30
“連携”に消極的な療育センターと学校...「前例がない」と断られた私のとった行動は【小学校生活での困りごと最終話】
学校から当センターに直接連絡がないということは、学校があまり積極的でない校風と思われます。
学校から訪問依頼があったわけではないので行けるかどうかわかりません。
また、心理士による感情コントロールプログラムは心理士の手が空いているときのみの対応になります」
心理士のプログラムの実施についてはともかく、医師のオーダーがあったにも関わらず療育センタースタッフの学校訪問がなされないことに私はショックを受け、深く落ち込みました。
立ちあがる力のもとになったのは...
Upload By 荒木まち子
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療育センタースタッフの学校訪問が実現したのは、主治医のオーダーから3ヶ月後のことでした。
くじけそうになったとき、寄り添い支えてくれた支援者の存在があったからこそ私は再び立ち上がることができたのだと思います。
療育センタースタッフの学校訪問後、変わったこと
療育センターの担当者は授業の様子などを見学し、娘に限らず発達障害のある生徒に有効な環境設定や対応方法を学校にアドバイスしてくださったそうです。
その後、私が学校を訪れたときには、教室前面の余分な掲示物は外されていました。
教室後方にはカレンダー仕様の『一ヶ月の行事予定表』が新たに貼られていて“その日の持ち物や提出物”などが記入されていました。
黒板の端には「掃除の手順」が書かれた小さなホワイトボードが置かれていました。
それらは自宅で使用しているスケジュールボードと同様、視覚優位の娘にはとても有効なものでした。
https://conobie.jp/article/3290
コノビ―(conobi)記事 スケジュールボードを作ろう!
カレンダーや手順表などで可視化すると見通しが立ちやすくなり、娘はスムーズに行動ができるのです。
私は早速さまざまな対応をしてくれた担任の先生に感謝の気持ちを伝えました。
周りの友達の変化と協力も後押しになって
環境整備したからといって、すべてがあっという間に解決するわけではありません。
娘は家では相変わらず母の何気ない言葉にキレたり、弟の生意気な態度に激高したりしていました。学校で腹痛を起こし保健室で大半を過ごす日もありました。
でも徐々に娘に声を掛け、助けてくれる友達や「実は自分も同じようにいじめられていた」と娘に告げる友達も出てきました。