子育て情報『超えてはいけない一線、「育児ウツ」の始まり #01』

2018年4月15日 21:00

超えてはいけない一線、「育児ウツ」の始まり #01

目次

・▼3年の不妊治療、2度の流産を経て、待望の息子を授かる
・▼子どもと遊ぶのが大好きだった
・▼超えてはいけない一線と「育児ウツ」の始まり
超えてはいけない一線、「育児ウツ」の始まり #01
source:https://www.shutterstock.com
突然のことだった。ある日、わが子を「かわいい」とまったく感じなくなった。

キャッキャとはしゃぐ声さえ、うっとうしい雑音と耳が判断するようになった。

遊ぶことはおろか触れることも嫌になり、子どもと妻をなるたけ視界から外し、自室にこもるようになった。自室の空気はよどみ、自分が壊れる恐怖心でいっぱいになった。

僕の職業はライター。妻はフルタイムで働く会社員。僕は在宅就労者ということで、結婚以来13年すべての家事を担当している。

そんな僕が体験した“育児ウツ”について、話していきたい。

超えてはいけない一線、「育児ウツ」の始まり #01


▼3年の不妊治療、2度の流産を経て、待望の息子を授かる

妻のオンナ友達は、「まあ理想的」「ウチにも1台ほしい」と言ってくれていた。もともと家事は好きなため、原稿の合間の息抜きとしてできる作業、家事はこちらとしても都合がよかった。

結婚して7年目、互いに39歳のとき不妊治療を始めた。そして3年の治療、2度の流産を経て、待望の第一子を授かった。かわいい男の子だった。

四十の子育てに奮闘しながらも、子どもの世話に励んだ。先ほども述べたが僕は在宅就労者、つまりほとんど家にいるため、育児も積極的に参加した。

毎日お風呂に入れるのは僕の当番だったし、ウンチのついたオムツ替えも平気だった。寝かしつけもやったし、おくるみは力があるぶん、妻より上手だった。

夜中に泣き叫べば、何時間だってあやした。ほ乳瓶の消毒だって何百回やったか。赤ちゃんの世話だけでなく、日々の掃除・洗濯・大人の食事の準備は言わずもがなだ。

イクメンという言葉は嫌いだが、そんじょそこらのパパには負けない子煩悩であることは自負できるレベルだった。

▼子どもと遊ぶのが大好きだった

超えてはいけない一線、「育児ウツ」の始まり #01
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とにかく子どもと遊ぶのが大好きだった。日中は保育園に預けているのだが、午後3時ともなると、もう遊びたくてウズウズしてくる、俺が。なので保育園を早抜けさせて、街へ。夏ならばジャブジャブ池、遠くに立派な子どもプールがあると知ればチャリをこいでそこへ。

2歳ぐらいになると、「おもちゃであそびたい」と言うようになった。

かわいいお前がそう言うなら任せとけ!と今度は、銀座の博品館、原宿のキディランド、台場のトイザらスとチャリを30分~1時間こいで通う毎日。

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