2020年12月21日 11:00
“学び”は“遊び” 子どもは楽しいことからしか学ばない
幼児から大人まで論理国語を教えている出口先生は、子どもが新しい学びをやっているときに一番大切なのは「楽しいこと」だと言います。いったいどういうことなのでしょうか。過去の“学び”からもひもといていきます。
一番の壁は古い価値観をもった先生と親
私たち大人には、「国語はこうあるべき」「算数はこうあるべき」という固定観念ができあがっています。それは、自分がこれまでに受けてきた教育を反芻しているにすぎません。それが正しいのかどうか、何の検証もなく古い教育を子どもたちに押しつけるのは罪でしかありません。
新しい学びを子どもがやっているときに一番壁になるのが、古い価値観をもった先生と親です。私は、開発した教材で幼児期の子どもたちを学ばせる際には、必ず親に同伴してもらいます。これは単なる付添いではありません。一緒に授業を受けてもらい、カリキュラムに取り組んでもらいます。いったん凝り固まった頭を真っさらにするためにも、一緒に授業を受ける必要があると考えるからです。
せっかく教室で自らの頭で考える訓練をしても、家に帰ったら、「なんでこんなことができないの」などと親が台なしにしてしまう可能性があります。親にも子どもへの接し方を学んでもらうために、親子同伴にしているのです。
また、教室を離れた家庭での生活も学びの延長になります。親が新しい教育を体感して、家庭でも生かしてほしいと願っているのです。
親も、子どもの成長を目の当たりにして、新鮮な学びに刺激を受け、改めて学ぶことの「楽しさ」や「必要性」を実感することがなによりも大切なのです。
「出口式みらい学習教室」で指導するのは、実は子どもよりも親に対してなのです。なぜなら、幼児童の教育は結局のところ家庭での教育が基本になります。週に一時間ほど教室に通ったところで、それで子どもの能力が飛躍的に高まるわけではありません。あくまでそれは新しい教育の仕方を指導するためであり、それを受けて保護者が自分の子どもに向き合ってほしいのです。
自分の子どもの教育を他人任せにする限り、子どもの反抗期を乗りこえることはできません。親が子どもを教えることにより、子どもを通して親も学ぶのであり、そのことで良好な親子関係を構築していくことが大切なのです。
また子どもが何かを考えたなら、たとえそれが間違っていても、「よく考えたね」と褒めてあげることが大切です。
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