風の強い日に、小学3年生の子どもを乗せて運転中に起きた出来事です。私のお気に入りが……強風にワクワクした子どもが突然窓を全開にオープン! 車内に強風が押し寄せ、助手席のヘッドレストに掛けていた私のジャケットが窓の外に……。サイドミラーには、遥か遠くに飛んでいくお気に入りの私のジャケットが映り、思わず叫んでしまいました。子どもも小学3年生なので窓を開けるとどうなるか理解していると思い、車の窓のチャイルドロックをしていませんでした。やはり、チャイルドロックをするべきだと痛感しました。子どもは何を突然するか未知数ですね。 ◇ ◇ ◇ 窓から身を乗り出さない、手を出さない、物を落とさないなどの基本的なマナーや安全性を理解していても、悪気なくやった些細なことで、まさかのことが起こることを学びました。窓から物が出ていく可能性を考えて、荷物は置くべき所を考えるようになりました。 作画/まげよ著者:金子 容子30代、2児の男児を育てる母。パートで働き、子どもの習い事の送迎に毎日奔走中。
2024年04月16日わが家には小学3年生の長男と年長の次男、2歳の長女の3人の子どもがいます。これは長男が小学2年生、次男が年少、長女が1歳のときのお話しです。長女が特に好きなのは、長男に絵本を読んでもらうこと。長男がふざけて大げさに読むのが長女にとっておもしろいようです。一方で長男は「自分の行動で長女が喜んでいるのがうれしい」のだそう。ある日、小学校から帰宅した長男が宿題をしていると……。机に向かう兄と遊んでほしい長女長男は下の2人よりも大きいとはいえ、まだ小学2年生。宿題を始めるのも、終わらせるのも、親のサポートが必要です。長男が宿題をしている間、次男にお絵かきや、ひらがなの練習を一緒にするように誘っています。次男とは「プリントやドリルをやりきったら、動画を見てもいい」という約束をしているので、自ら進んで机に向かってくれます。 問題は、1歳の長女です。長男のことが大好きな長女は、遊んでほしくて仕方がない様子。長女は机に向かう長男に絵本やおもちゃを持ってきては、「宿題が終わってから遊ぼうね」と言われ、そのたびに不機嫌になっていました。 私がお絵かきやシール遊びなどに誘えば、ときどきは一緒に机に向かってくれますが、すぐに飽きてしまいます。長男と次男の勉強も見たい、しかしその間、長女の相手はどうしよう……と日々悩んでいました。 とうとう長男が爆発!ある日、長女がおもちゃで遊び始めたタイミングを見計らって、長男と次男と私で机に向かいました。その日の長男の宿題は、親子で同じ文を読み、それぞれが感想文を書くというものでした。 そのうちに、長女が絵本を持って長男のもとにやってきました。いつもなら私が代わりに絵本を読んであげて時間を稼ぐのですが、その日はどうしても長男に読んでほしかったようで、泣きだしてしまう長女。 泣きわめく長女をなだめようと私が抱っこしてあやしましたが、なかなか泣き止みません。とうとう、集中して感想文を考えていた長男が「うるさい! 静かにしてよ!」と怒ってしまいました。 次男のやさしさに涙……怒りだした長男と泣きわめく長女。勉強時間のあとには夕食の準備もあるし、どうしたらいいか困っていた私は、長男に「別の部屋でひとりで集中してきたらどうか」と提案しました。しかし、ひとりで宿題をしている中、弟と妹が遊んでいるのが嫌なのか、受け入れてもらえません。 そのとき、ひらがなを書く練習をしていた次男が「僕が絵本を読むから、その間に宿題を終わらせてよ」と言いながら立ち上がったのです。 私は次男はまだひらがなを一文字ずつしか読めないと認識していたので、絵本を読んであげられるとは思っておらず、とても驚きました。長男も驚いていましたが、私に促されると、すぐに宿題に戻りました。 そして次男のまさかの申し出に、機嫌を直した長女。文章を間違えながらではありましたが、長男のまねをしながら長女に絵本を読んでいる次男の姿を見て、目が潤んでしまう私。 絵本を読み終えたあと、「明日は一緒にお絵かきしようね」と長女を誘ってくれている次男のやさしさにも心を打たれました。次男のおかげもあり、無事に宿題を終えた長男。夕食の準備をしている間に、長女には「さっきはごめんね」と言い、次男には絵本の読み方を教えてくれていました。 年が離れている子どもたちを育てているからこそ出てくる、上の子の勉強時間と下の子の対応の両立。1人が遊んでいれば「遊んでいてずるい」となってしまうので、なるべく長女を机に誘うようにして対応しています。しかし、次男のひらがなを読むという経験を育てるためにも、ときどき絵本を読んでもらうようにお願いしてみるのもいいかな、と思った出来事でした。 著者:安藤 はるか小3、年長の男の子と2歳の女の子のママ。カラーセラピストとしてお悩み相談のサービスを運用中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月07日3歳でASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けたハジュ現在小学3年生、特別支援学級に通う長男のハジュは、3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。1歳を過ぎた頃から、乳児健診での様子や長女の時と比べて、ハジュの成長に「なにか変だぞ……?」と思い始めました。そして、1歳半健診で心理士さんからすすめられたグループ療育に通いつつ、幼稚園に入園し、3歳を過ぎた頃にやっと自分の言葉を話し始めました。そのような中で、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた時には、ショックというよりも「ああ、なるほど!」と、むしろ私のなかで合点がいったという感じでした。そんなハジュの成長の中で欠かせない『相棒』のお話をしたいと思います。ぬいぐるみの、『いつもちゃん』ハジュが1歳の頃に、おばあちゃんが手づくりしてくれた軍手でできたぬいぐるみ。顔はフエルトと刺しゅうで描かれており、とても味のある表情で、子どもの小さな手にちょうどフィットする大きさと形でした。もらった瞬間からハジュはそのぬいぐるみが大のお気に入りになり、片時も離そうとはしませんでした。寝ても覚めても、どこへ行くにもいつも一緒。お風呂に入る時ですら離れたくない!と、ハジュがいつも持っているので、そのぬいぐるみを『いつもちゃん』と呼ぶようになりました。『いつもちゃん』がいれば、ハジュの癇癪やパニックが落ち着く時もあり、『いつもちゃん』は私にとっても、育児中の心強い相棒でもありました。Upload By スパ山幼稚園には持っていけないのよ……『いつもちゃん』と片時も離れることなく、3歳になったハジュ。いよいよ幼稚園に入園することになりました。しかし、さすがに幼稚園にぬいぐるみは持っていけない……。ほかのお友達とのトラブルの原因になってしまうし、もしなくしたりでもしたら大事件!さあ困った。私はまずハジュの説得から始めました。ハジュは、耳で聞いたことより目で見たことのほうがよく伝わったので、絵に描いて紙芝居のように伝えてみることに。そして、いつもちゃんの家や布団をつくっておままごとをして、少しずつ離れられるような練習をしました。しかし、結果は撃沈。絶対に手を放しませんでした(泣)。むしろ、「お母さんは、いつもちゃんに何か良からぬことをしようとしている……?」とハジュに不信感を抱かせてしまいました。Upload By スパ山ぬいぐるみについて、思い切って園長先生に相談入園予定の幼稚園で行われた入園前面談の際に園長先生に思い切って相談してみることにしました。2歳から幼稚園のプレ教室に参加していたので、ハジュの様子や『いつもちゃん』のことも園長先生は知ってくれていました。園長先生に、どうしたらぬいぐるみを家に置いて離れられるのかと相談したところ、「置いてこなくてもいいですよ。一緒に登園して、帰りまで職員室で預かっておきます」と言ってくれたのです!優しい配慮をしていただいて、もうこれで安心!と思ったのですが、そんな一筋縄ではいかないのがハジュです。登園後、いくら説得されようとも、絶対に『いつもちゃん』を離そうとはしません。1歳から肌身離さず持っていた相棒ですし、そう簡単にはいくわけもなく……。「初めての幼稚園生活、ハジュにとっての安心材料である『いつもちゃん』と離れたくないのは、当たり前なのでは……?」という思いが私の頭をかすめましたが、ほかの園児たちも、『いつもちゃん』の存在に気づき始めていました。トラブルになってはいけないと思うあまり焦ってしまい、周りの大人たちがあの手この手で、『いつもちゃん』を職員室に置いてもらおうと説得したので、ハジュは『いつもちゃん』にますます執着するようになってしまいました。私も、インターネットやSNSなどを活用したり、発達センターや主治医の先生に相談したり、幼稚園の先生方も何度も話し合ってくれて、対策を考えてくれました。楽しいはずの幼稚園生活が、『いつもちゃん』についての説得により職員室の中で1日が終わってしまうのはもったいないし、どうしよう……と毎日頭を抱えていました。あきらめた?いや、シフトチェンジ!あらゆる方法を試してみても、ハジュの警戒心は強くなるばかりで、この攻防戦にだんだん大人たちも疲れが見え始めました。万策尽きるとはこのことで……何度目かの園長先生と担任の先生との作戦会議の中で、「いつもちゃんを引き離そうとするのを、もういっそやめてみよう!」と「押してダメなら引いてみよう」作戦を試してみることになりました。Upload By スパ山同じクラスの子どもたちには、先生と私から、『いつもちゃん』はハジュの大切なものだと伝えました。ハジュと同じように大切なものと離れるのを我慢して登園している子はほかにもいるんじゃないか、「うちの子だけこんなことしていいのかな……」と、さまざまな考えが頭をグルグルしましたが思い切って保護者の方にも、ハジュと『いつもちゃん』のことを知ってもらうことにしました。ぬいぐるみの『いつもちゃん』と一緒に幼稚園周りの皆さんの協力のおかげで、『いつもちゃん』と一緒に過ごせるようになったハジュは、やっと幼稚園生活を楽しめるようになりました。そんなある日、担任の先生のエプロンのポケットの中に、ハジュが『いつもちゃん』を自分で入れたと聞きました。ほんの数秒でしたが、ハジュが自分から『いつもちゃん』を手放したのです。先生のエプロンがとても気に入ったようで、その年の運動会にはいつもちゃんをその先生に預けて参加することができました。Upload By スパ山小学3年生になったハジュと『いつもちゃん』の今は……結局、小学校に入学してもハジュは『いつもちゃん』と離れることはなく、一緒に登校していました。それが、3年生に進級したその日に、突然「いつもちゃんは今日からねんねして待っていてね」と、自分の布団に寝かせて登校したのです!ハジュいわく、「ハジュは3年生のお兄ちゃんになったから」とのこと!私も先生もクラスメイトたちも、急なハジュの決断にびっくり!逆に私のほうが「いつもちゃん、いなくて大丈夫なの?」とオロオロしてしまいました。もうすぐ4年生に進級するハジュですが、毎朝「いつもちゃん、待っててね」と優しく布団に寝かせて、帰ってきたら「いつもちゃん、ただいま」とギュッと抱っこしています。周りを巻き込んで申し訳ないと思ったこともありますが、みんなが協力して見守ってくれたからハジュが自分でこのような選択を見つけられたんだと思います。今これを書いている横で『いつもちゃん』を抱っこしているハジュを見て、「あの時、勇気を出してたくさんの人に知ってもらってよかったな」と、思っています。Upload By スパ山執筆/スパ山(監修:初川先生より)ハジュくんの大切な相棒、ぬいぐるみの『いつもちゃん』と幼稚園生活、その後についてのエピソードをありがとうございます。どこに行くにも持っていく、寝る時も一緒に過ごすようなとても大切なぬいぐるみやタオルがあるお子さんは多いですね。スパ山さんが最初にされたように、園生活では持っていけない(持っていかないほうが大切にできる)と説明したり、紙芝居のように目で見て理解できるように伝えたり。そうした工夫でお子さんの同意を得る方法がまずありますね。それでうまくいくならそれで良いと思いますが、そこで納得しない、あるいはむしろ意固地になってしまうような場合は、スパ山さんがされたように園や学校の先生に相談するのが良いですね。どうにかして持っていかないで済むような方策を考える方向もありますが、今回のように周りのお子さんらにも説明して、持っていく方向もあります。園や学校の先生とよくご相談いただければと思います。ハジュくんは持っていってよい事となり、ハジュくんのペースで『いつもちゃん』と離れるプロセスができました。「3年生のお兄ちゃんになったから」と自ら機をとらえて離れ始めたのはとても成長を感じますね。さて、大切なぬいぐるみなどを家に置いておくことはできるけれど、寝る時はそれがないと不安だというお子さんもいると思います。そうしたお子さんが小学校高学年になって移動教室(宿泊を伴う行事)の際に、ただでさえ保護者と離れて寝なければならないのに大切なぬいぐるみもないなんて……!と、とても不安に感じる場合もあります。その場合も同様に担任の先生とご相談していただければと思いますが、「ぬいぐるみを家においておけるよう本人が納得する(家の中でも離れる練習をしてみるなど)」「ぬいぐるみを写真に撮って、写真を持っていく(お守りなどの形にする、アクリルキーホルダーにするなどさまざまアレンジできます)」「ぬいぐるみを持っていく」などいろいろな方法があると思います。どうしたら安心して過ごせるかと現実的に可能な方法はどこかというところで接点を見つけられると良いでしょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月04日進級時の引継ぎは、かつてないほどスムーズだった以前の記事でも書きましたが、4年生から5年生への進級時は、新しい担任の先生との引継ぎがかつてないほどスムーズにいきました。理由としては、・通級指導教室に行き始めたことで、個別指導計画が作成されていた・通級指導教室の先生と新しい担任の先生の連携がうまくいっていた・新しい担任の先生が、場面緘黙について調べてくれていたという感じだと思います。毎年、どこから説明しようか、どこまで配慮を求めていいのか……と、気を遣いながら新しい担任の先生との面談に挑んでいましたが、次女の特性や場面緘黙について先生に予備知識があることで、とても連携が取りやすく感じました。新学年開始時から担任の先生がいろいろ配慮してくれていた進級から1ヶ月半ほど経った頃、担任の先生と私との間で面談を実施したのですが、それまでにも先生は次女に対していろいろと配慮をしてくださっていました。例えば、次女がみんなの前で発言や発表等をする時はその都度どうしたいか確認してくれていたり、次女が積極的にクラスメイトの輪の中に入れるような関わりをしてくれていたりしました。Upload By まりまり家での次女の様子もポジティブに見えた先生の関わりもあって、次女も、何かできた時などには、「自己紹介でちゃんと声出して言えたよ!」とか「今日友達にありがとうって言えた!」など、その都度私に報告してくれていました。Upload By まりまりできたりできなかったりはあるものの、先生に応えるように、次女なりに頑張っているのが分かり、私もうれしく思っていました。今年は環境も良いし大丈夫かも!そういった担任の先生との関わりや、その前の学年から開始した通級指導教室での支援もあり、次女の頑張っている姿を見ながら「今年は学校のサポートも充実しているし、次女も頑張っているし、いろいろ大丈夫かも!」と、私はホッとしていました。Upload By まりまり校外学習を経て……そうして環境にも恵まれて頑張っていた次女ですが、5年生の5月頃に宿泊を伴う校外学習(1泊2日)があり、その後から急に学校に行けなくなってしまいました。いじめなど嫌なことがあったという訳ではなかったのですが、朝起きると「疲れた」「だるい」と言って起き上がれなくなってしまったのです。Upload By まりまり現在6年生の次女ですが、この時のことを改めて聞いても、特に理由はなくてとにかく疲れてだるかったのだそうです。それから次女は少し学校をお休みして、その後はしばらく五月雨登校が続きました。今考えると……次女が休み始めたきっかけは校外学習でしたが、今考えると、進級してしばらくの間頑張りすぎていたんじゃないかな?と思います。次女はもともと、自分でも気づかないうちに無理をしてしまうという傾向があります。Upload By まりまりこの時は、進級時の環境が良かったことで私も安心し、次女の変化に期待もしてしまいましたが、もう少し、次女の様子を注意深く見て、積極的に休ませてあげるなどできれば良かったのかもしれないと、今は思っています。執筆/まりまり(監修:新美先生より)学校は、年度ごとに担任が替わることがあり、担任が替わったときに、どれだけ新旧担任間で引継ぎをしてくれているのか、新しい担任に保護者からどこまで改めて情報を伝えるのがよいのかは毎年本当に悩みますね。サポートブックなどのツールもありますが、そういうものを使うべきかどうかも迷います。エピソードにあるように、通級指導教室に在籍になり、個別の支援計画が作成されたことにより、新しい担任にも支援情報が引き継がれ、年度スタートから必要な支援・配慮が行われたことはうれしかったですね。支援や配慮があったとしても、学年が上がってくることで、お子さんが気を遣いすぎる場面、頑張りすぎる場面が増えるなどもあったのかもしれません。学校を数日休んだり、五月雨登校ぐらいの距離感で通うことが許容されたことで、それ以上疲れをため込みすぎなくてよかったと言えるのかもしれませんね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年03月31日「騒がしくてすみません……」謝ってばかりだった私が変わった3回の転機わが家には特別支援学級に通う小学校3年生の息子がいます。診断は重度知的障害(知的発達症)とASD(自閉スペクトラム症)ですが、ADHD(注意欠如多動症)とLD・SLD(限局性学習症)の傾向もあります。息子が2歳頃は、大きい声で迷惑をかけないようにしないと気を張り、「すみません……騒がしくして……」と周りにあやまってばかりでした。そんな中、息子が3歳、4~5歳、6~9歳の頃、育児の転機を経験しました。Upload By ユーザー体験談3歳の頃訪れた転機は「母」3歳の頃、1ヶ月ほど母、息子、私の3人で一緒に暮らしたことがありました。それまでも年に1、2回は帰省していましたが、長期間一緒に暮らすのは産まれてすぐの時以来でした。この頃の息子は、癇癪を起こすとジャンプしたり、壁を叩いて大きな音を出したり、大声を出したり。でも、注意すると逆効果でますます癇癪を起こしてしまうので、「おいで」と膝に座らせてお話をしたり、別の話題で気持ちを切り替えさせたり、物を投げそうな時は「こっちだったらいいよ」とタオルを渡したりしていました。お気に入りのラムネを準備しておいて、おやつ時間にして切り換えタイミングにしたりもしていました。母へは「息子に手がかかって大変だ」という話はよくしていたのですが、実際に目の当たりにしてびっくりしたのでしょう。「本当にこの生活は大変よ。全部一人でやってるんだもん」と分かってくれました。Upload By ユーザー体験談それからは、家族などで外出や外食の話題が出た際に、私が「いやぁ、食べるもの限られてるし、まだオムツだし、温泉一緒に入れないし、バス乗れないし……」などと話していると、母が「ほんとよ!この子連れていくのは大変だと思うわ。一緒に生活してみてよく分かった!」と味方をしてくれるようになりました。自分の口からいくら伝えても理解してもらえないときがあったのですが、第三者である母による、実際に経験したうえでの言葉は伝わりやすかったのだと思います。家族や親戚へ説明するのはなかなかの負担だったのですが、母が担ってくれるようになり、また一緒に面倒を見てくれるたことで、とても救われました。「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれた海外生活2回目の転機は、年少の時から2年間海外赴任帯同で息子も連れて行ったことでした。それまで日本で通っていた幼稚園では、椅子に座らず歩きまわる息子をほぼ放置。歯磨きやお弁当箱の片づけについて、教えられた通りにこなす息子に笑顔はありませんでした。そんな環境のあと、海外で入った保育園に驚き!園中の先生が無理なく、しかし教えるべきことはしっかり教えながら息子に寄り添って下さいました。お迎えに行くと、園長先生のオフィスで先生の膝に座って一緒にパソコンでお絵描きしていたり、先生が仕事をする横に座って窓の外を眺めたりしていたこともあり、日本で通っていた幼稚園では考えられない「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれました。個を大事にする、みんなと同じでなくてもいい、子どもらしさを大切にしようというおおらかさがあって救われました。Upload By ユーザー体験談この時、私自身が本当の意味で障害受容ができたと思います。周りの人に積極的に息子の障害のことを話して理解を求めたり、それでも息子のこんなところがすごいということを伝えるようになりました。放課後等デイサービスでどんどん成長した息子3回目は日本に帰国したあとに療育手帳を取得し、小学校の特別支援学級と放課後等デイサービスに通えるようになったことです。特に放課後等デイサービスはとても良い施設と出合え、明るい先生たちのご指導で困りごとが改善していき、いろいろなことができるようになりました。とても根気強く、スモールステップで対応してくださったので、息子は毎日学校と放課後等デイサービスを楽しみにし、どんどん成長していきました。スタート当初はおやつも1種類しか食べられなかったので持参していたのですが、好きなおやつの日を挟みながらいろいろな種類に挑戦させてくれ、息子が気に入る新しいおやつ(バウムクーヘン)を見つけてくれました。全員で取り組むダンスに参加したくない場合は、決まった場所に座って見るなどルールを作って許すなど、無理をさせ過ぎず、かといって自由にさせ過ぎない。ちょっと頑張る日もつくるという、ちょうどよいバランスをはかりながら、支援に取り組んでくれています。おかげで、最近ではお友達との交流もできるようになり、施設内や送迎の車内でも、声を掛け合いながら楽しそうに遊んでいる様子も見られるそうです。土曜日にはいろいろな公園や施設に連れて行ってくれるのですが、3年生になったくらいからは、放課後等デイサービスで行って楽しかった場所をママともいきたいと、日曜に私を連れて紹介してくれます。思い出や感情を分かち合いをしたいというところまで成長してくれたんだな~と日々感動しています。Upload By ユーザー体験談私だけで抱え込む必要はないこれらの3つの転機は、自分だけで子育ての悩みを抱え込む必要がないことを実感させてくれました。両手を広げて迎え入れてくれる存在は、息子にとっても、私にとっても、安心して息をつける時間を作ってくれています。息子が周りのたくさんの方に愛情を注いでくださっている分、息子の笑顔も増え、私も救われているということに、この文章を書きながら改めて気づきました。今後は、息子と一緒に新しい地へ旅行をして、一緒に新しい体験をしたいなと思っています。まだ将来のことは正直よく見えないところがありますが、楽しい思い出をたくさん作って、楽しい記憶でいっぱいの人生にしてあげたいです。イラスト/マミヤエピソード参考/おかんレベル9(監修:鈴木先生より)日本と海外では教育の仕方が全然違います。私自身も小学校の3年間は米国の地元の小学校へ通っていました。生活指導は厳しかったですが、宿題はなく、昼はランチボックス持参で外の芝生の上でみんなとランチしていました。帰国すると、毎日宿題があり、昼は給食当番まであり、みんなと同じ給食を黒板に向かって食べるという殺風景なランチになってしまいました。日本にいると普通だと思っていることが、もっと広い目で見たら当たり前ではないかもしれません。これからもどんどん新しい地へ旅をして新しい体験をするべきだと私も思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月14日学校からの連絡がない日はない!問題行動が多かった息子現在高校1年生、16歳の息子は小学1年生の時にASD(自閉スペクトラム症)、中学1年生ででLD・SLD(限局性学習症)と診断されました。小学校1、2年生の時はとにかく問題行動が多かった息子。学校からの連絡がない日はない……というほどでした。息子はほかのクラスメイトと一緒に同じ行動ができませんでした。例えば、図工の課題の絵は描かず、自分の好きな車の絵を描いていました。また、息子は冬になると頬が赤くなりやすかったのですが、それをからかわれ、頬が丸く赤いキャラクターのあだ名をつけられました。息子はそれがいやでたまらず、その名で呼ばれると相手を追いかけ回し、殴りかかることも……。一旦落ち着いてもフラッシュバックで思い出してしまうと、その時お友達は何もしていないのに、再び殴りかかります。また、担任の先生が「静かにして」と言っているのにクラスメイトが静かにならないからと、相手に暴言を吐くことも。さらには、机や椅子を投げ飛ばしたといった連絡もありました。Upload By ユーザー体験談毎日毎日申し訳ないと謝罪し、どうすればいいのか先生と相談しました。そして通常学級に所属しつつも、特定の教科だけ特別支援学級に通うという特例を提案いただき、息子は算数と国語の時間だけ、特別支援学級に通うことになりました。そこで特別支援学級の先生からも見守っていただく形になりました。※通常学級在籍の場合、個別の支援は「特別支援教室」もしくは「通級指導教室」で行われます。もしくは特別支援学級に在籍し、特定の科目を交流級にて受ける形をとります。この体験談のお子さんについては、学校の判断により、通常学級に在籍しながら一部の科目について特別支援学級で受けています。「そんなに暴れて警察官になれるのかな?」特別支援学級の先生の言葉にハッとした息子2年生のある日の休み時間のことです。息子には聴覚過敏があり、休み時間などのガヤガヤする時間帯にはイヤーマフを使用しているのですが、クラスメイトが息子のイヤーマフを取り上げてからかってきたのだそうです。これに息子は怒り暴れ出し、そして手も足も出てしまい……。クラス担任だけでは抑えられなかったため、急ぎ特別支援学級の先生を応援に呼んで二人がかりで抑えたそうです。そこで特別支援学級の先生は息子にこういいました。「そんなに暴れて警察官になれるのかな……?お友達を『ぶっ飛ばす』なんて言う人が警察官だったら、困っている人が怖がっちゃうよね…?」Upload By ユーザー体験談実は息子のこの頃の夢は警察官でした。幼少期から働く車が大好きで、警察の24時間を追ったドキュメンタリー番組を熱心に見ていた息子。生真面目な性格で曲がったことが大嫌い、悪い人を捕まえるという正義に憧れていました。そして警察官は夜もみんなを守って、怒らず優しいイメージがあったようで、その姿は息子の目標だったのです。先生にそういわれた息子はハッとしたようでした。そしてその日の夜、私に「ぼくもみんなと同じように怒らないようになりたい」と何とも切ない表情で言い出したのです。変わりたいと思う息子の気持ちを聞いた私は、心の底から、何とかしてあげたいと思いました。そして学校の先生、主治医と相談しながら、3年生に上がる前から薬の内服を開始することにしたのです。Upload By ユーザー体験談「自己抑制ができるようにしたい」息子の憧れる「警察官」像に近づくために……それからの息子は、問題行動が全くなくなったとは言えませんが、薬のおかげもあり大分落ち着きました。よかったと思っていたのですが、5年生に上がる前のある日、息子が服薬をしなくても自己抑制ができるようになりたいと言い出したのです。薬を飲んでもいいんだよと言っても、息子に思い描く理想の警察官は薬は飲まないイメージだそうで、意志は固く……(こだわりの特性が出ていたのだと思います)。主治医の先生に相談すると、息子1人だけではどうにもならないことが多く周りの協力が必要不可欠であること、そして「小学生で自己抑制ができるようになるのは難しい。中学生でもできるかどうか……」と言われました。かなり難しいことだと分かりながらも、息子の思い、私の思い、主治医の先生の助言を学校の支援会議で相談しました。すると先生方は、大変なことだと分かりながらも息子の望みを叶えたいと言ってくださったのです。それから一致団結して息子に関わってくださいました。Upload By ユーザー体験談先生方の全力のサポート。そして息子の夢には変化が……特別支援学級の先生は特に率先して動いてくれました。息子がイライラしていたら”深呼吸してその場から離れる”という対応方法を根気強く指導してくれました。息子の通っていた小学校は、特別支援学級の在籍人数が4人だったこともあり、手厚くサポートしてもらえたのもよかったのだと思います。保健の先生や教頭先生は、姿を見かけたら声を掛けてくれ、「困っていることはないかい?」と気にかけてくれました。担任の先生や学年主任は、息子がクールダウンできるような一室を設けてくれ、落ち着きたいときは休んできていいよと言ってくれました。歴代の担任の先生方も声をかけてくれたり、息子の表情を見て察してくれたりと、息子にとってありがたい対応をしてくださいました。そして息子は少しずつですが、自己抑制ができるようになっていったのです。小学6年生になった息子は1年生の時とは比べものにならないくらい成長しました。それも先生方の支援のおかげです。そしてそんな素敵な環境下で成長し、高校生になった息子の現在の夢は、警察官ではなく発達障害児に関わる仕事に就く事、できるなら特別支援学級の先生に変わりました。今もその夢に向かって頑張っています。息子を支えてくれたみなさんに本当に感謝しています。イラスト/海乃けだまエピソード提供/しのっぺ(監修:鈴木先生より)自閉スペクトラム症に併存する易刺激性のあるお子さんは導火線が短いので、すぐカッとなりやすい特性があります。そういうお子さんには感情コントロールプログラムを当クリニックではお勧めしています。怒りを鎮める方法や不安を和らげる方法を学ぶプログラムです。また、SST(ソーシャルスキルトレーニング)も必要になります。SSTは一般のお子さんも勉強になるので、道徳やHRなどクラス全体で学ぶ方式がいいかと思います。先生方の全力サポートのできる、校内連携がしっかりとしている学校なら投薬なしでも行けるのですが、ほとんどの学校は連携が困難な状況です。教育だけでなく、医療とも連携してより良いサポートを追求し続けることが重要なのです。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月13日南野ななみさんは、3人の男の子を育てるママ。長男・ひかる君が小学校へ入学てすぐのころ、南野さんはあることを心配していました。それは、ひかる君が1人で登下校すること。毎日、ソワソワしながら登下校の時間帯を過ごしていました。 母は心配でたまらない! 小学校に入学したひかる君が、無事に登下校できるのか不安でたまらない南野さん。 それもそのはず、つい最近まで園児だった子どもを1人で歩かせるなんて…。と、頭を抱えるほど心配で、そわそわと帰りを待つ毎日が続きます。 そして、事故に遭わないようにと祈る日々を送るのでした。 ◇ ◇ ◇ 緊急車両が通るたびにドキドキしてしまう南野さん。「もしかして、うちの子では」と心配になる気持ちもわかりますよね。集団での登下校がある小学校でも、少し前まではママと離れて道路を歩くなんてなかったから心配!と、思うママも多いと思います。これからどんどん親から離れる時間が多くなっていくので、ゆったりとした気持ちで子どもの成長を見守っていきたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 南野ななみ
2024年03月07日小1から行き渋り、小3で母子登校できるようになったけど現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、小学2年生の時にASD(自閉スペクトラム症)と母子分離不安と診断され、小学4年生の時に知的ボーダー、場面緘黙と医師から言われています。姉子は、赤ちゃんの頃から繊細なところはあったものの、幼稚園の時は楽しく園生活を送っていました。しかし、小学校へ入学するとすぐに、登校前に泣き出したり、腹痛や頭痛を訴えたりして、行き渋りをするように。そして、1年生の時の個人懇談で担任の先生から発達検査を受けることをすすめられ、すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたことが分かりました。でも、検査を受けたことで姉子の特性や困り事を知ることができたので、「上手にサポートできれば学校生活も楽しめるかもしれない」と、前向きにとらえていたところで、まさかの転勤。さらにコロナ禍で環境が大きく変わったことにより、転校先で姉子はまた行き渋るように……。転校先の学校では、別室登校や母子登校など姉子のペースでスモールステップを繰り返し、学校にいる時にも少しずつ笑顔が見えるようになってきました。しかし……。登校できるようになってきた矢先の転勤、転校姉子が3年生になり、転校先の学校にもやっと慣れてきたところで、またしても転勤!霧の中でなんとか小さな光を見出して進んでいた道の前に、まるで高い壁ができたような気分でした。当然と言えば当然ですが、姉子の心はスタートラインに戻ってしまいました。前の学校の時と同じように母子登校でスモールステップで……とやってみましたが、そう簡単には行かず、また家にこもるようになりました。そこで、私から姉子への登校刺激やアプローチを一旦全部ストップしてみました。学校には行かないけれど先生方や相談機関とは密に繋がり続けて、相談先はしっかり確保することを意識しました。学校の支援に関する情報は集めておいて、いつでも動ける状態を保ちつつ、「お母さんと一緒に好きなことをしようよ」という生活に変えてみることにしたのです。Upload By スパ山「お母さんと好きなことをしようよ」という生活にしてみると一緒にゲームをしたり、お菓子づくりをしたり、おしゃれなカフェに行ったり。そして、頃合いを見て、学校行事のお便りをさりげなく貼っておくなどして時々ほんの少~し匂わせていきました……(笑)。すると、姉子が給食の献立を見て「え~、おいしそう」と話したのです。学校について姉子から触れてくれたことに飛び上がるほどうれしかったのですが、そこは落ち着いて「ほんとだね~おいしそうだね~」とだけ答えました。姉子が完全に学校を拒否してるのではないと分かって私は安心しました。Upload By スパ山大きなきっかけは、弟の特別支援学級への入学その年の秋頃、ASD(自閉スペクトラム症)がある弟が新1年生として、姉子と同じ小学校の特別支援学級へ入学することが決まりました。そして、入学前に弟と私で特別支援学級を見学しに行くことになりました。しかし、当日、夫の仕事の都合がつかず、姉子とまだ小さい次女と2人だけで留守番をさせるのも心配だったので、結局姉子も次女も一緒に連れて行くことに。放課後の誰もいない時間に、私と子どもたち3人で見学に行きました。姉子にとっては数ヶ月ぶりの学校です。どうなるかとハラハラしていたら、「ここが靴箱だよ」「廊下は走らないんだよ」と弟と妹に教えてあげるなど、お姉さん風を吹かせ始めたのです。拍子抜けしてひっくり返りそうでした(笑)。特別支援学級の先生方もとても優しく、私たちが安心して見学できるように細やかな配慮をしてくださいました。最初は少し不安そうにしていた姉子ですが、帰る頃には先生とすっかり仲良くなって「また遊びに来てね」と言われ「うん!」と答えていました。その光景を見た時に、「姉子も特別支援学級の教室ならもしかして通えるのでは……?」と私は思ったのでした。Upload By スパ山不登校の娘、特別支援学級への転籍に向けて。母、動きます!私は、学校をお休みしていた間にもしっかり繋がっておいた相談機関に行き、見通しが立たないことを不安がる姉子に、しっかり伝えられるように特別支援学級の情報を集めました。学校にも相談に行き、特別支援学級への転籍について話し合いました。そして、弟の2回目の特別支援学級見学の時、姉子に「また一緒に行く?」と聞いてみたら、「うん!」と笑顔つきで返事が返ってきたのです。そこで、慎重に慎重を重ねてゆっくりと、明るい雰囲気を保ちつつ、希望すれば特別支援学級に姉子も弟と一緒に通うこともできると話しました。姉子の反応は「へ~」という感じでしたが、表情は明るかったです。Upload By スパ山小4への進級目前、娘が登校の意思を。そして、特別支援学級へと転籍弟の入学式の少し前、姉子が急に登校の意志を示しました。驚いた私は思わず「へ!?どこに!?」と聞いてしまいましたが、姉子は「○○学級(特別支援学級)に」とにっこりして答えてくれました。こうして、4年生に進級すると同時に姉子は特別支援学級へ転籍することになりました。霧がかかって壁に阻まれていた道がまた見えたようでした。そこからは以前培ったスモールステップで、焦らず諦めずゆっくりゆっくり、2年の母子登校を経ながら学校生活を取り戻していきました。Upload By スパ山6年生になった今は6年生になった現在は、母子分離不安の症状も落ち着いて、私がいなくてもほとんどの時間を特別支援学級の教室で過ごしています。また、通常学級へ交流に行ったり、調子の良い時は、3年生になった弟と1年生の妹と一緒に3人で下校したりすることもあります。委員会やクラブ活動に参加したり、下級生の面倒をみたりしているそうで、その成長っぷりに私は驚かされています。姉子のおかげで、私もたくさんの発見と学びがあり、めちゃくちゃ反省もしました……。姉子が疲れているときは「休もうよ、大丈夫だよ」と、必要以上の不安を感じることなくどっしり構えることができるようにもなりました。もしまた進む道が見えなくなっても、壁がドーンと現れたとしても、「想定内だ」と、心づもりしておき、いつでも子どもたちをサポートできるように見守っていきたいと思っています。執筆/スパ山(監修:藤井先生より)スパ山さんがお子さん3人を育てながら、転勤を繰り返し、試行錯誤されていた様子が伝わってきました。不登校のお子さんにどのように接したら良いか分からない、という方への希望のメッセージですね。読ませていただき、ありがとうございます。今では特別支援学級に行くことができるようなった姉子さんは、スパ山さんの母子登校2年のサポートがあり、弟さんの入学などをきっかけに、学校は行っても大丈夫かもという安心に繋がっていたのだと思います。これからまた環境の変化があるかとは思いますが、休んでも大丈夫だった今回の経験が、これからの姉子さんの成長を支えていくものになると思いました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月04日次女の場合、場面緘黙について知らない担任の先生がほとんどだった場面緘黙疑いの1年生、診断された2年生から6年生の今まで、5名の担任の先生にお世話になってきた次女。その中で、場面緘黙について知っていた先生は、1年生の時の担任の先生だけでした。この先生に、次女が学校で、クラスメイトと話せなかったり、動けなくなったりしてしまうこともあると教えていただき、スクールカウンセラーと面談をすることになりました。そこで次女は場面緘黙疑いとなり、その後の支援を始めていくきっかけになったので、その時の担任の先生にはとても感謝しています。その後次女は転校し、現在の学校では、場面緘黙について知っている先生はいませんでした。進級時の引き継ぎは……?次女が場面緘黙と診断された2年生の時、場面緘黙のことは担任の先生にお伝えし、進級時に学校へ提出する書類にも記載していました。しかし、3年生になって新しい担任の先生とお話ししたところ、場面緘黙についてご存じではありませんでした。たまたまかな……?と思いましたが、4年生への進級時も新しい担任の先生は次女の場面緘黙について知らず、ここでやっと、「私のほうでなにかアクションを起こさないと、特性などについて自動でうまいこと引き継がれるわけじゃないのか……!」ということに気がついたのでした。Upload By まりまりUpload By まりまりその都度、担任の先生に私のほうから説明していたこの頃は通級指導教室(ことばの教室)なども利用していなかったので、学校とのやり取りは、ほぼ担任の先生のみと行うといった感じでした。そのため、進級時には、場面緘黙についての説明や、前年はどう配慮していただいていたか、今後どうしていきたいかなど、私のほうから担任の先生に直接お伝えし、相談する必要がありました。……が、これがなかなか気をつかうものでした。どの程度お願いして良いのか、無理なことを言っていないか、先生はどのくらい理解があるのか、どう思っているのか、うるさい親と思われていないか……。Upload By まりまりなんとか、継続した支援にできないものかな……と思っていました。引き継ぎ問題、解決の糸口は……この引き継ぎ問題が、通級指導教室(ことばの教室)を利用し始めたことで、一気に解決しました!ことばの教室の利用時に、学校側で(保護者と相談のもと)個別指導計画を作成してくれました。そこには本人・保護者・担任の願いや年間指導目標、目標達成のための学習活動、その達成の状況や所見などが記載され、共有されます。最初見た時に、個別指導計画の存在を知らなかったので、こんなことしてくれるんだ!と驚きました(と同時に、もっと早くこれに出合えていれば……!とも思いました……)。さらに、ことばの教室の担当の先生からは「進級時、新しい担任の先生に、保護者の方から特別伝えておきたいことはありますか?」と聞いていただいて、今まで自分でやっていたことを考えると、本当に助かるな~とありがたさしかなかったです。Upload By まりまり通級指導教室(ことばの教室)に通い始めてからの進級次女が4年生の終わりから通級指導教室に通い始めて、5年生の進級時。新しい担任の先生も、次女の担任になるまでは場面緘黙について知らなかったそうですが、個別指導計画による引き継ぎだけでなく、事前に通級指導教室の先生と直接話してくださっていて、場面緘黙に関する知識がある状態でお話できたのでとてもやりやすかったです。Upload By まりまり毎年進級の時には、「またいろいろ言わなくちゃいけない……」「かなり気をつかうな……」と負担を感じていましたが、進級時に連携をしていただけるようになったおかげで、このストレスから解放されました。また、今までの担任の先生がやってきてくださったことや、次女の状態を正確に次の担任の先生へ伝えられるようになったので、私にとっては良いことしかありませんでした。その後、5年生から6年生時の進級は、担任の先生が変わらなかったので、さらに助かる状況でした……!このように切れ目のない支援を積み重ねてこられたおかげで、中学進学時にもとても役立ちそうで良かったです。執筆/まりまり(監修:藤井先生より)年度変わりの今の時期、来年度の先生にどのようにお子さんのことを引き継いだら良いのか、と悩まれている親御さんのヒントになるコラムをありがとうございます。就学前には、教育委員会に就学相談を受け、その際に就学支援シートを提出されてお子さんの様子を引き継がれる方もいます。次女さんの場合は、通級指導の先生作成の個別指導計画と、通級指導の先生と担任の先生が直接話されたのが良かったのですね。通級指導教室(東京都など一部の自治体では特別支援教室)・特別支援学級の先生、スクールカウンセラー、支援コーディネーターの先生と連携をとるのも良い方法です。また、医学的な配慮が必要な場合には、主治医意見書を学校に提出し、それを通じて学校と対話をするのも良いと思います。環境が変わっても、切れ目ないサポートがあるとお子さんも安心して過ごせますね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年02月29日夫と小学3年生の娘との3人暮らし。共働きのため、なかなか娘と過ごす時間が取れないのが私の悩みでした。娘がだんだん難しい年ごろになっていくため、その前に親としてしっかりコミュニケーションを取っておきたいと思っていました。しかし、自分勝手な夫は、夫と娘だけお休みという日に部屋にこもって断捨離に励み、ひとりでリサイクルショップにでかけるなど、娘との貴重な時間を無駄にしてしまうこともしばしば。 私は夫に注意をしていたのですが、遊園地の約束があるから大丈夫と言ってまったく気にしていませんでした。夏休み1番の思い出が…夫と娘が遊園地へ遊びに行く日。夏休み1番の思い出にするんだと、夫は張り切ってでかけていきました。娘は、最近買ってあげた携帯電話をしっかり持ってでかけました。娘は仕事で行けない私にたくさん写真を送るんだと、出発前に笑顔で話してくれました。 娘からの写真は、私に元気を与えてくれます。お礼の返信とともに、帰りに買ってきてほしいものをリクエスト。「帰りパパと買い物お願いね!」 その後、娘から何度も着信が入りました。仕事が忙しくて手が離せなかった私がやっと電話に出ると、思いもよらない事態が……。「ママと離れたくない。私のこと捨てないで」「え?」娘の言っていることがわからず、落ち着かせて話を聞いてみたところ、とんでもないことを言い出したのです。 お昼過ぎに遊園地を後にした夫と娘は、なぜか今どこかのおうちにいて、娘はこれからそこに住むと聞かされたようなのです。私が娘を嫌いになったから離れて暮らすことになった、この人が新しいママだよと、女性を紹介されたと娘は言いました。 しかし夫とその女性は言い争いになり、今はどこか別の場所へ出かけて話をしているよう。私は状況を何となく察し、娘にはそこから離れるよう伝え、携帯電話で連絡を取り合いながら、娘を無事保護しました。クズ夫はこちらから捨てるべし数時間後、夫から連絡が入りました。娘と遊園地ではぐれてしまい、連絡もつかないので、GPSを使って居場所を探してほしいと言うのです。私が娘と今一緒にいること、娘を保護するに至った経緯を丁寧に説明したところ、すっとぼける夫。 しかし、夫は逃げられないと思ったのか、正直に話し始めました。私よりも好きな女性ができた夫は、すこし前から離婚を考えていたそうです。自分都合の離婚なので娘は私の元へ置いていくつもりだったらしいのですが、久しぶりに娘と遊んで手放すのが惜しくなったとのこと。勢いで不倫相手の家へ娘を連れて行ったところ、相手が怒り出してしまい、なだめることに精一杯になってしまったようです。よって娘から目を離すことになってしまったと……。 断捨離に励んでいたのも、不倫相手との生活を考えてのことだったよう。リサイクルショップに行くと言って、いそいそと荷物を不倫相手宅へ運んでいたことも白状しました。 家族の心を振り回さないで!その後、私たちは即離婚。娘と穏やかな生活を始めました。しかし1カ月後、元夫がまたフラフラ現れて復縁を迫ってきたのです。不倫相手に振られたと風の便りで聞きましたが、本当だったよう。 しかも話を聞けば、養育費の支払いと不倫相手と折半するはずだった新居の家賃が夫負担になっているそうで、お金に困って私たちのところにやってきたというわけです。 私が何度も復縁を断ると、元夫は娘を連れ去ろうとまでし、警察のご厄介になりました。怖い思いをした娘は元夫との面会を拒否するようになったため、しばらく夫は大人しくしてくれることでしょう。私と娘の心落ち着く生活が続くことを願います。 自分勝手な欲望のために、娘まで巻き込むなど許されることではないですよね。娘さんにとっても、ショックな出来事だったはず。元夫には自分の行動を反省し、妻と娘の元に現れて不安にさせるのではなく、遠くから2人の幸せを願ってほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月28日昔はやさしくて働き者だった父ですが、年齢を重ねる度に亭主関白になり、私たち家族は少々うんざりしていました。小学1年生と3年生の息子たちは、「おじいちゃんは、いつも命令してばかりで怖い」「おじいちゃんの家に行きたくない」と父を恐れています。 命令ばかりの父に、幼馴染の娘が…ある日、わが家と家族ぐるみで仲良くしていた幼馴染Aちゃんから、3歳の娘を連れて帰省するという連絡が。そこで私は、Aちゃんの娘と息子たちの顔合わせもかねて、Aちゃんを実家へ招きみんなで集まることにしました。普段は亭主関白な父ですが、Aちゃんの娘にはすっかりメロメロの様子。 昼食の時間になり、父はいつものように母や私に「醤油」「皿」と父が望むものを取ってくるように指示をし始めました。すると、その姿を見たAちゃんの娘が「ねぇ、どうしておじちゃんは自分で動かないの?」とひと言。さらにAちゃんも「そうだよ、昔はすごく良いパパってかんじだったのに!」とガツンと言ってくれたのです。2人の言葉に、母と私は内心「よく言ってくれた!」と心の中で拍手! Aちゃん親子の言葉が響いたのか、父はその日を境に昔のようにやさしくなりました。母もビックリした様子で、「Aちゃんたちのおかげだね」と喜んでいます。それからは、息子たちが父を恐れることもなくなりました。今の父は、孫にとても好かれるやさしいおじいちゃんです。 作画/Pappayappa著者:田中 里奈
2024年02月27日こんにちは!おにぎり2525です~。今回は、まさかの反抗期を迎えた小3息子についてです!■プチ反抗期中の小3息子■あっけらかんと答える息子の姿に…まだまだ好きって言ってくれて、ママうれしいです!!反抗期は子どもの成長の証でもあると思うのですが…どうか可愛いまま、反抗期を迎えてほしい!!(それは反抗期とはいえないか 笑)
2024年02月09日小学校入学と同時に始まった行き渋り現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、赤ちゃんの頃から繊細なところはあったものの、幼稚園の時は楽しく園生活を送っていました。しかし、小学校へ入学するとすぐに、登校前に泣き出したり、腹痛や頭痛を訴えたりして、行き渋りをするように。また、ある日突然チックの症状が出るようになりました。そして、1年生の時の個人懇談で担任の先生から発達検査を受けることをすすめられ、すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたことが分かりました。行き渋りやチックは姉子が出していたSOSだったのです。私は姉子に申し訳ない気持ちでいっぱいで、今まで気づかなかった自分をすごく責めました。でも、発達検査を受けたことで姉子の特性や困り事を知ることができたので、「上手にサポートできれば学校生活も楽しめるかもしれない」と、私は前向きにとらえるようにしました。しかし、転勤族のわが家は突然引っ越しが始まります。発達検査を受けた年と同じ2年生の夏、姉子は都心部の小学校に転校することになりました。突然の転校でさらに行き渋るように環境の変化でストレスを受けやすい姉子はますます学校を行き渋るようになりました。さらにコロナ禍で、何とか登校できても、誰とも会話できず、転校したばかりなのに友達をつくることもできません。Upload By スパ山この頃の姉子は本当につらそうで、外出すらできなくなり……。私も「こんな状態になってまで学校に行かなくてもいいのではないか」と思うようになっていました。と同時に、ここで「休んでいいよ」と言ってしまったら、「この先も何かあったらすぐあきらめるようになるのではないか」という底知れぬ不安や、「ほかの子は学校に行っているのに……うちも頑張って行けるようにならなくては」、という気持ちのはざまで揺れて本当に悩みました。Upload By スパ山母子分離不安と自閉スペクトラム症だと診断を受ける行き渋りについて、担任の先生とスクールカウンセラーさん、そして私たち母子で何度か相談していく中で、ある日姉子がポツリと「学校に行っている間、お母さんと離れるのがさみしい」とこぼしました。発達の凸凹があるから登校に不安があるのだと思っていた(もちろんそれもあるのでしょうが)私は驚きました。もう小学生だし、まさか母親と離れるとさみしいなんてことあるはずがないと思い込んでいました。そして、通院していた児童精神科で「母子分離不安」の診断を受けたのです(自閉スペクトラム症もこの時に診断されました)。Upload By スパ山スモールステップを繰り返し、約1年かけて母子登校できるようになんでだろう?どうしたらいいんだろう?と、深い霧の中にいた状態だった私たちにとって、少しだけ進む道が見えてきた瞬間でした。姉子は医師の指導のもと投薬治療を始めました。そして、私と一緒に家で授業の時間割を合わせて用意をする、一緒に学校までまで行って校門にタッチして帰る、登校して先生にプリントをわたす、といったスモールステップを地道に続け、約1年かけてやっと別室に母子登校できるようになりました。(「母子登校」とは、保護者が付き添い、子どもと一緒に登校することです。学校に行くことに不安を感じたり、不登校になってしまった場合に、通常登校へ戻るための支援策として姉子が通っていた学校では取り入れてありました)。Upload By スパ山2年間の母子登校で娘に笑顔が私は、毎朝姉子と一緒に登校し、教室の隣の部屋で課題のプリントなどをしながら一緒に過ごし、給食を食べているのを見守り(コロナ禍だったので、関係者以外の飲食は禁止でした)一緒に下校していました。最初は数十年ぶりに小学生になったような気持ちでいた私でしたが、学校なので家にいるように横になったりスマートフォンを見たり、のんびり休憩できる時間もなく……。ずっと姉子のそばにいなければならないので、常に緊張状態で、しんどくなった時もありました。それに、お昼ごはんは帰宅するまで食べられなかったので、朝ごはんを食べ忘れるともう大変!お腹の音が鳴りっぱなしで……食いしん坊の私にとって、これはかなりつらい経験でした(だからといって痩せたりはしませんでした。不思議だなあ?(笑))。Upload By スパ山そんな中で、クラスメイトや先生方にもとても温かく接していただきました。そして、姉子にもだんだん笑顔が見えるようになってきた時には「母子登校をやってきてよかったな」と、涙が出そうでした。こんな日々が結局約2年続きましたが、またその話は別の機会に書きたいと思います。執筆/スパ山(監修:新美先生より)分離不安症(母子分離不安症)は、愛着の対象(=安全基地、主には母親)から離れることを年齢に不相応に極端に怖がるような状態です。もともと繊細で不安を抱きやすい性質のお子さんに起きやすく、大きな環境の変化や、その環境(園・学校など)が合わずお子さんが不安を抱きやすい状況が続くと分離不安の症状が出やすくなります。学校に行くと分離不安となり、保護者から離れられない場合、対処法としては大きく分けて3つあります。(1)お母さんなどが一緒に登校する(母子登校、付き添い登校と言われることもあります)。(2)学校が大きい不安の対象になっているなら、学校の環境を本人が不安に感じないように工夫する(3)学校以外に本人が大きな不安を抱かなくても行ける場所を探す(例えばフリースクール、ホームスクーリングなど)といったことが考えられます。正直、母子登校は記事にもあったように保護者の方の負担もとても大きいと感じています。それでもスパ山さん親子は、かなり長い期間をかけて、また別室登校と言った形式で(2)の学校自体がお子さんに負担のないやり方の工夫などもしながら、だんだんと姉子さんに学校でも笑顔が見られるようになってきたという、母子登校をやってよかったと思えるところまで行きついたということですね。簡単には語れない2年間だったのではないかと思いますが、本当にお疲れ様でした。スパ山さんも姉子さんも本当によく頑張られましたね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年02月05日年末年始に体調を崩す次女が4年生の年末のことです。急に、動けないほどの胃痛を発症してしまいました。それまでも「胃が痛い」と言うことはあったのですが、こんなに痛がることはなく、すぐに病院に連れて行くことに。結局原因は分からず、お薬をいただいて痛みは軽くなったのですが、年末年始はほとんど食べられない状態がずっと続いて、クリスマスやお正月のご馳走を楽しみにしていた次女は、とても落ち込んでいました。その後、年が明けて学校が始まったある日。夕方、私が仕事から家に帰ると、そこにいたのは顔の腫れた次女。何事かと思ったら、全身がかゆいとのことで、体中にかなりの湿疹が出ていました。何かのアレルギーかと思って、すぐに病院に連れて行きましたが、原因不明の蕁麻疹(じんましん)とのことでした。こちらもお薬で軽快しましたが、しばらくは全身がかゆい状態が続いていました。Upload By まりまりどちらも原因は不明で医師からは……この立て続けに起こった体調不良ですが、どちらも医師からは、原因は分からず、「ストレスからきているのかもしれません」と言われました。「思い当たることはありませんか」と聞かれて、思い当たることしかありませんでした……。Upload By まりまりストレスの原因は?次女的には無理をしているつもりはない思い当たることとして、ちょうどその頃から通級指導教室が始まったこと、ずっと次女のカウンセリングを担当してくれていた臨床心理士さんが辞めてしまい新しい方に変わったこと、とても好きだったクラスからの進級への不安などがありました。以前、小学校入学時にもストレスから身体に症状が出ていたので、また違うかたちで出てきたのかもと思いました。ただ、次女本人にストレスの原因になっていそうなことについて聞いても、「大丈夫」「つらいことはない」「何がストレスになっているか分からない」という感じで、傍から見ていると、環境が変わって負担に感じているのは分かるのに、次女自身は、自分の状態がよく分かっていない様子でした。Upload By まりまり以前、心理士さんから聞いた言葉を思い出した以前心理士さんに、「次女には場面緘黙があるけど、好奇心旺盛でいろいろやりたがって疲れすぎてしまうことが多いので、どう対応したらよいか」と相談したことがありました。今後次女は、そういうものを自分でコントロールしていかなくてはいけないけれど、親としてはどう対応していったら良いのか難しかったのです。そこでは、心理士さんから・もちろん自分でいろいろ経験して、自分で分かるのが一番良い・ただ、今は小学生だし、自分で分かるのが難しい部分もある・近くにいる保護者としては、その時の次女の気持ちを聞いて、フィードバックしていくことで、次女自身の理解を促すというようなアドバイスを受けました。そうすることで、次女が自分の気持ちを言語化して、自分の気持ちや身体の状態を自分で考えられるようになるきっかけになるとのことでした。なので、その後から、なるべくそれを意識して次女と話していくことにしました。Upload By まりまり次女と自分の状態について言語化していく次女はまだ、自分の状態に気づくことに手助けが必要だと分かったので、この間に起こった変化と、それにあたっての次女の気持ちを話し合いました。そこで、いろいろ変化がある時はつらい気持ちになってそれがストレスになること、そういう時は無理をしないで休むことも必要だと話しました。そういうことを積み重ねて、次女が自分自身の身体や心の調子を分かって、少しでもうまくコントロールしていけるようになったらと思っています。Upload By まりまり執筆/まりまり(監修:新美先生より)ストレスが影響して、身体に不調をきたしている、いわゆる心身症の状態だったと思います。頭痛や腹痛、アレルギー疾患(蕁麻疹も含みます)や、自律神経の不調など、ありとあらゆる病気が、ストレスに大きな影響を受けます。心身症の多くの場合、ご本人はストレスを自覚していなかったり、大したことがないと気にしていなかったり、否定していたり、もっと頑張りたいと思っていたりします。ご本人がストレスをストレスと意識していないからこそ、体が症状で悲鳴を上げている状態とも言えます。子どもに心身症症状が出ている場合は、大人のほうでストレスの原因となっていることを探して環境調整したり、ご本人がストレスを自覚してストレスを避けたり上手に付き合ったりできるようなサポートが必要です。記事ではまさに、お子さんご本人が自分の状態に気づいてコントロールできるようになるよう、話し合ってサポートしたことが書いてありました。すぐには自覚できなくても、そこに焦点を当てていくことで、徐々に実感して対処法を身につけていけるようになるとよいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年01月31日未来のスターを発掘するオーディションイベント「スタースカウト総選挙2023 in Winter」のグランプリが、応募総数29,652名の中から大阪府の小学六年生12歳の小西 美結(みゆ)さんに決定いたしました。グランプリ 小西 美結さん美結さんは、同時にミクチャ賞も受賞。ライブ配信においても「人の心」を掴むことができる彼女が3か月以上にわたるオーディションを有終の美で結んだ!準グランプリ 千原 祐来さん準グランプリ 尾留川 陽(びるかわ はる)さん準グランプリ 上 千原 祐来(ゆら)9歳 小学生3年生 大阪府出身準グランプリ 下 尾留川 陽(びるかわ はる)16歳 高校1年生 愛知県出身努力してできないことをできるようにしてきたという尾留川さん、パフォーマンス審査では堂々とダンスを披露し、大手事務所の新人開発担当の目線をくぎ付けにしました。千原さんはこれまで、水泳や体操など体を動かすことが大好きで、今は洋服などを季節に合わせて考えるのが楽しくなってきたとのこと、今後は小学生向けファッション誌ニコプチの専属モデルを目指したいとのことで、2022年in Summerの同じく準グランプリの山本 初華(やまもと いちか)さんのように千原さんの姿を雑誌やテレビで見かける日も近い!花咲 暖さんと成瀬 瑠南さんトークショー「スタースカウト総選挙(略称:スタ選)」は、芸能界を目指す「未来のスター」を発掘するオーディションイベントとなり、30社以上の大手芸能事務所が参加しドラフト型で所属が決定します。今回で12回目の開催となり、これまでに数多くのスタ選ファイナリストが大手芸能事務所に所属しています。例年12月に行われる冬のスタ選が今回は1月に開催!そのため、2023inWinterと称し、今年2024年度も2度の開催が予定されています。今回、2020年度のグランプリ、花崎 暖(はなさき のん)さんと同年準グランプリの成瀬 瑠南(なるせ るな)さんが登壇され、スタ選での受賞後にどのように世界が変わったのかトークショーが行われました。花崎さんは2024年2月9日公開の映画「レディ加賀」において主演小芝風花さんの少女期を演じ、成瀬さんは2023年12月17日まで放送されていた朝日放送のABCドラマ「たとえあなたを忘れても」に出演、今回のスタ選の出場者にとって貴重なエピソードを語ってくれました。今回のスタ選出場者も、どの事務所に所属をするのか?今後の活躍が期待されます。次回の開催は夏となり、既にエントリー受付が開始、既に数多くの応募者がエントリーしています。3rdステージ 質疑応答の様子2024年1月28日(日)TakaraOsakaでファイナルステージが開催今回から初の試みとなる、プロダクションからの投票で2ndステージへの進出54名。2ndステージでは特技を披露していただきました。グランプリの小西 美結さんは特技のダンスを披露。その中から、さらに投票で11名に絞られ3rdステージへ進出。3rdステージでの審査は質疑応答となりました。芸能界において目指したいジャンルとその理由など、緊張しながらステージで答えているファイナリストの今後が楽しみです。授賞式の後は、プロダクションとの面談が行われました。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年01月30日わが家には小学3年生の長女と、もうすぐ1歳になる次女がいます。長女はひとりっ子生活が長かったこともあり、次女を妊娠したことをなかなか受け入れることができませんでした。そんな長女の姿を心配していた私と、長女の心の成長をご紹介します。 待望の第2子、妊娠判明長女が小学2年生のとき、待望の妊娠が判明しました。うれしいのはもちろんですが、ひとりっ子生活の長かった長女がどんな反応をするのかが何よりも気になりました。夫にその話をすると、「そりゃうれしいんちゃう」と、のんきな言葉が返ってきました。一方私は、精神年齢が高くプチ反抗期な長女のことが心配でした。 そして私のつわりが始まったこともあり、妊娠2カ月のときに長女へ妊娠の話をすることに。すると、「ふ~ん」と気のない返事のあとにしくしく泣いたかと思うと、その声がだんだん大きくなり、「いやー!!ずっとママとパパと3人がいい!!」と泣きわめいてしまいました。想像以上に妊娠を嫌がる長女の姿に、私は先が思いやられました。 長女の受け入れ体制が整った日妊娠を長女に伝えてから、こちらからは妊娠や赤ちゃんを匂わせる話はしないよう気を付けました。長女は私の少し大きくなったおなかを見ても、「食べ過ぎやね」と言ってくるので、「そうやね」と返すこともありました。いつもなら私がつらそうにしていると「大丈夫?」と声をかけてくれますが、私がつわりでつらそうにしていても長女は気付かないふりをしていました。 しかし、妊娠7カ月を過ぎたころ。長女が「○○ちゃん(クラスメイト)って4人きょうだいなんやって~。私もきょうだいおるか聞かれたから、一応おるって言っといた」と少し照れたように言ったのです。もう私は大声で叫びたいくらいうれしかったのですが、冷静を装いながら「そうなんや~」と答えました。長女の心のなかでいろいろな気持ちを消化し、赤ちゃんを受け入れられるようになったんだな~と思った瞬間でした。 ついに出産!長女の反応は……?その後は長女から赤ちゃんの話をしてくるようになりました。おなかの赤ちゃんが妹だとわかり、「私の服を貸してあげる」「一緒にままごとをしてあげる」と言ってくれるなど。さらには名前を考え、おなかに話しかけてくれることもあり、次女が生まれてくるのをとても楽しみにしている様子でした。また、私の体がつらいときは、料理、洗濯、おつかいなどお手伝いをたくさんしてくれたので、大変助かりました。 そして無事に出産し、退院後初めて長女が次女と顔を合わせたとき。接し方がわからないのか、長女は次女に近づこうとしませんでした。ひとりっ子生活が長かった分無理もありません。こちらも自然に長女から動き出すのを待ちました。2時間ほど経ったとき、長女が何も言わずお気に入りのブランケットを次女にかけてあげていました。夫と顔を見合わせ、静かに喜びました。 今では長女が次女のお世話をよくしてくれるので、とても助けられています。これは歳の差育児ならではだと思います。ただ、歳の差があると、心のケアがとても重要だと感じました。わが家の場合は、長女を見守ることで、長女が自ら次女を受け入れられるようになってくれました。この1年で、長女の心は大きく成長したと感じました。 作画/山口がたこ監修/助産師 松田玲子著者:石井ゆうき8歳と0歳の女の子のママ。長女の反抗期に悩まされながらも、姉妹の戯れに日々癒され中。秘書として働いており、現在は育休中。1人目出産直後に夫が転職に失敗し、夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。
2024年01月18日こんにちは!おにぎり2525です。皆さん、新年明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします~■2024年の目標は?■超シンプルな息子の目標!身長も体重も標準より上なので、もう少し緩やかでもママは大丈夫!!毎年服のサイズアウトで、買い替えが大変なんです!!(笑)とりあえず身長は伸びても、体重は増えないように管理を気をつけたいです。
2024年01月12日日能研関西は2024年4月より、小学1年生・2年生を対象とした新コース「Nexuss(ネクサス)」を「西宮北口駅第2教室」(所在地:兵庫県西宮市)と「岡本校」(所在地:兵庫県神戸市東灘区)で開講いたします。(初年度は1年生のみ。2年生は2025年4月開講。)個々人に寄り添った密度の高い指導最難関中学の受験状況は、昨今の中学受験ブームも相まって入試難度は高止まり、問題傾向もより深い思考力・確かな記述力・高度かつ正確な作業力を求められるものになっています。「Nexuss(ネクサス)」ではそれらの最難関中学の受験状況・入試問題傾向を踏まえ、学習の先取り=進度を追い求めるのではなく、深度=より深い正確な知識の理解と柔軟な応用力を身につけて骨太な学力を身につけられるように、まずは絶対的な学習環境として「少人数制」最大8名の定員を設定いたします。少人数での学習環境を作ったうえで、授業内での直接の働きかけによって「自己肯定感」の育成、自発的な学習習慣「自ら学ぶチカラ」を身につけていく「アウトプット重視」の授業進行、毎授業後に授業に対する一言感想文を書く時間「今日の振り返り」、教科学習で知的好奇心を醸成する探求学習「クエストタイム」の月1回実施、と既存の大手進学塾とは違う全く新しい、個々人に寄り添った密度の高い指導で低学年のお子様に特化したコースとなります。知的好奇心を醸成する探求学習「少人数制」最大8名の定員【無料体験キャンペーン 概要】2024年の4月開講までに、毎月1回の授業+入会テスト+説明会がセットになったイベント「まるごと!!ネクサス!!」の実施、入会手続き済みの方に限定した「プレ授業」の実施を予定しています。「まるごと!!ネクサス!!」のお申し込み、各種お問い合わせ・ご相談については、ホームページ内の申込フォームより簡単にお手続きいただけます。■日能研関西 低学年コース Nexuss(ネクサス) 【開講教室概要】教室名 : 西宮北口駅第2教室所在地 : 〒663-8204 兵庫県西宮市高松町3番34号 パセオ・エスタシオン3F教室名 : 日能研岡本校所在地 : 〒658-0072 兵庫県神戸市東灘区岡本1-8-22 岡本スタービル2F■問い合わせ先日能研関西 西宮北口駅第2教室〒663-8204 兵庫県西宮市高松町3番34号 パセオ・エスタシオン3FTEL:0798-31-1135[受付時間]火~金 14:00~19:00/土 13:00~18:00(日月はお休みです)「自ら学ぶチカラ」を育てます■会社概要株式会社 日能研関西〒650-0033 神戸市中央区江戸町94-2 ファーストプレイスユニオンビル 7FTEL: 078-321-5050URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年01月11日小学校入学直後から始まった「行き渋り」現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、赤ちゃんの頃から繊細なところはあったものの、幼稚園の時は楽しく園生活を送っていました。そして、いざ小学校に入学!「さあ、きっとこのまま楽しく小学校に通うはずだし、私も幼稚園の送り迎えから解放されるぞー!」と思っていました。最初の頃は、保護者や先生に見守られて集団で登下校して楽しそうにしていた姉子。しかし、入学から1週間ほど経つと、朝泣き出すようになり、登校前に腹痛や頭痛を訴えるようになりました。Upload By スパ山けれども、一旦登校してしまえば、そのまま学校で過ごして帰ってくるので、朝の登校は私がつき添い、校門まで先生に迎えに来てもらうという形になりました。当時はほぼワンオペ育児だったので、下のきょうだいたちの送迎もあり、姉子を送ったらすぐに家に戻らなければならず、校門で泣いている姉子を先生に半ば強引にお願いして帰ることもありました。第一子だし、まだ1年生だから「最初はこんなもんだろう」と、私は楽観的に思っていました。それが2学期になり、3学期になり……、もう他の同級生は一人で登下校するのがへっちゃらになっているというのに、姉子の行き渋りはずっと変わりませんでした。親としては放っておくわけにもいかないので、なだめたりすかしたり、あの手この手で登校させようと必死でした。ある日突然始まった「チックの症状」Upload By スパ山ある日突然、姉子が目をキョロキョロ動かすようになりました。さらに、まるで何かに引っ張られるように首を振るようになりました。それを見た私は、学生の頃に児童発達関係の専攻をしていた経験から、「あ、チックだ」と思いました。チックは癖のようなもので、幼児期から青年期にかけて現れる子がわりと多い症状だそう。原因など解明されていないことも多くありますが、決して育て方が悪いとか、愛情不足などではないと言われています。姉子本人も、出したくて出しているわけでもないので、止めることもできません。指摘すると悪化することもあるらしいので、「やめなさい」「またやってるよ」など言わず、そっと『あたたかい無視』をすることでほとんどの場合、自然におさまっていくと習いました。でも、いくら知識があったとしても、わが子にチックが出たとなるとやはり不安だったので、念のため、かかりつけ医に診てもらおうと思い、姉子に気づかれないように気をつけつつ、チックの様子を動画に撮っておきました。そして予防接種のついでに動画を見てもらうと、「チックが出やすい年齢だし、そのうちおさまるので指摘せず見守っていい」と、お医者さんからもアドバイスをいただき、待つことにしました。学校の先生方にも姉子のチックの症状について伝え、配慮していただきました。低学年だったからなのか、クラスメイトから指摘されることもなく、症状は良くなったり悪くなったりを繰り返したものの、姉子のチック症状は1年ほどで完全に出なくなりました。小学生になって初めての個人懇談で「発達検査」を薦められるUpload By スパ山姉子にチックの症状が出始めた頃とほぼ同じ時期に、小学生になって初めての個人懇談会がありました。その時に初めて担任の先生から姉子の学校での様子を聞いた私。それは、「本当に姉子のことなのか?」と、耳を疑いたくなるようなことばかりでした。例えば、「名前を呼ばれた人からプリントを取りに行く」のような全体指示が伝わりにくく、呼ばれていないのに取りに行ってしまい、別に叱られていないのに、嗚咽が止まらないほど大泣きしたり、ほとんどのテストが白紙だったり、授業中に教室から飛び出して校舎の外で泣いていたなど……。行き渋りはあったものの、登校さえしてしまえば、一日学校で過ごして下校できていたので、何も問題なく学校生活を送っているものだと私は思っていました。そして担任の先生から「発達検査(WISC)を受けてみてはどうでしょうか」と言われ、そこで初めて姉子にも発達障害があるのかもしれないと思いました(2歳下の弟のハジュがすでに発達障害の診断を受けていた)。まさに寝耳に水。いや、寝耳に氷水くらいの衝撃でした。正直なところ「あ、この子もか」と目の前が真っ暗になりました。発達検査で凸凹が分かった!Upload By スパ山すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。発達支援センターはすでに弟が通っている所で、姉子も何度か付き添って行ったことがあるので、心理士さんも弟の担当をしてくれている顔見知りの方にお願いしました。姉子が私と離れることを激しく嫌がったので、発達検査に同席させてもらいました。姉子は緊張がとても強く、一つの質問に3分~4分ほど黙って考えこんでしまうので、だいたい90分程度だと言われていた検査に2時間半もかかってしまい、終わったときにはぐったりしていました(それに根気よく付き合ってくれた心理士さんには感謝しかありません……)。結果はかなり凸凹があり、知的能力についてはボーダーかどうかギリギリのところ。しかし、検査中の緊張の強さから正確に判断できないとのことで、しばらく様子を見ることになりました。検査の結果や検査中の姉子を見て、今まで本人は相当しんどい思いをしてきたことが分かりました。私は姉子に申し訳ない気持ちでいっぱいで、今まで気づかなかった自分をすごく責めました。行き渋りやチックは姉子から出ていたSOSだったことにやっと気づくことができたのです。そして、発達検査を受けたことで姉子の特性や困り事を知ることができたので、「上手にサポートできれば学校生活も楽しめるかもしれない」と、淡い期待を抱いていた頃、コロナ禍が始まってしまったのです……。コロナの影響でさらに大変な事態になってしまったわが家。そのお話は別の機会に書きたいと思います。執筆/スパ山(監修:初川先生より)姉子ちゃんの小学校入学した後のエピソードをありがとうございます。幼稚園保育園から小学校という場に変わり、朝校門や児童玄関で泣いてしまうお子さんは結構いらっしゃいます。保護者が玄関などまで送っても泣いてしまい保護者と別れがたいお子さんに対して、保護者が笑顔で去りながら先生方にお子さんを託すという方法はよく取られる方法です。それで朝の会や1時間目頃までに気持ちが切り替わり教室へ入れる、活動に参加できるのであればよいかなと思います。それ以降まで涙が止まらない場合などは別のやり方も検討してみるのもよいでしょう。そうして学校というものに慣れていくことが新入生の時期には通過するプロセスではあります。チックに関しては、どういう時にチックが出やすいか観察してみるのは有効です。家でも学校でも出るのか、緊張したときだけなのか、逆にリラックスしたときにでるのかなどです。いずれにせよ、何らかストレスが過度にかかっているのではないかなと気を配りながら、チック自体はスパ山さんがされたように本人には指摘せず、見守るのみにしていく。そうした対応が一般的です。頑張りすぎているサインかもしれないと思って生活を見直してみたり、先生に学校での様子を聞いてみたりするのもよいでしょう。個人懇談会にて、学校での姉子ちゃんの苦戦する様子を知ったとのこと。だいぶ驚かれたことと思います。学校、集団生活、一斉での指示理解、決められた活動に取り組むという設定……そうしたものの何かにつまずきが見られた、あるいはとても苦手としているということでしょう。帰宅するとほっとして、学校でのいろいろを良くも悪くも周囲に感じさせないという面もあったのでしょう。気になることがある場合(行き渋りもそうですし、そもそも幼少期の様子から学校や集団生活の中での苦戦が想定される場合など)は、連絡帳や電話などで、お子さんの学校での様子を(懇談会を待たずして)聞いてみてもいいですし、先生のほうで気になることがあったら教えてほしいと頼んでおくのも一つです。発達検査によって分かること・分からないことありますが、まずはざっくりとした知的レベルや得意不得意に関して客観的に掴むには有効です。検査受検にあたっても、姉子ちゃんの抵抗はなかなかのものだったのですね。新奇場面(新しく、珍しい場面)への苦手さ、見通しのつかなさなどが強いとなかなか検査者と二人きりで検査室に入れないことがあります。それでも検査の公平性を保つためにも基本的には保護者とは分離して実施できるよう、最大限工夫するのですが、なかなか難しかったからか保護者が同席した形での実施になったということですね。こうした場合は少数で、基本的にはお子さん一人で受検するものになります。そうした緊張の強さ、そしてなかなかに熟考・長考したというところで、分かっているのに答えられなかった可能性などが浮上するため、全体として参考値扱いになったのではと想像します。ただ、指示を聞いて、期待される回答や言動を取るということや初めての環境で良く知らない人と、というところの掛け合わせでかなり困難が生じやすいことがよく分かり、ということは学校生活もなかなかにしんどい思いをしながら過ごしている可能性が想定されたということですね。家庭での生活が姉子ちゃんにとって安心安全で、そこまでの不適応を家庭の中では出さずにやってこられたからこそ、学校のような集団の場では苦手さが重なっていたけれど家庭からは見えにくかったのでしょう。気づいてあげられなかったという後悔の思いも語られていますが、ただ、「家庭では楽しそうに過ごしていたんだよね」というところは姉子ちゃんにとって過ごしやすい環境を提供できていたからこそでもあります。行き渋りやチックがSOSであったのはそうかもしれませんが、気づくのに遅すぎることはありません。気づいてからの対応が大事です。検査の結果や検査時の様子もふまえて、学校での支援や家庭でのサポートが姉子ちゃんに合ったもので充実してゆくといいなと思いました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年01月08日不安の強い次女、夜一人で寝られないわが家の次女は現在小学6年生。2年生の3学期に場面緘黙(選択性緘黙)の診断を受けています。幼少期から不安が強く、以前こちらのコラムでも、家や学校のトイレに一人で行けなかったというお話を書かせていただきました。Upload By まりまり今回は、次女の夜一人で寝られない問題についてです。次女が小さかった頃は、家族みんなで一緒に寝ていたのでほとんど気にならなかったのですが、子どもたちが自室で寝るようになってから気になることが出てきました。一人でベッドで泣いていたことも2歳上の長女が2段ベッドをほしがったことがきっかけで、次女は小学4年生から、長女と一緒に子ども部屋で寝るようになりました。最初の頃は、就寝時間になると次女が「一緒に寝て」と言ってくるので、「慣れるまで……」と思って一緒のベッドに寝ていました。……が、しばらくたっても全く一人で寝られるようになりません。たまに一人にしてみて(長女は同室にいる)、のぞきに行くと静かに泣いていたりすることもありました。Upload By まりまり理由を聞くと、「今日ねえねと喧嘩したのを思い出して泣いた」から「世界がコロナに負けてるのが嫌で泣いた」まで、大小いろいろなことが原因。一人でいると、どうしても不安な気持ちになってしまうようでした。「一緒に寝て」を断るのに罪悪感があったもともと人より不安の強い次女なので、私としては、慣れるまでは次女の不安な気持ちに付き合わなくては……と思って、毎日一緒に寝たり、そばにいたりしていました。しかし同時に、毎日のことなので、夜の時間が思うように使えないことをとても負担に思う気持ちも大きかったです。小さい頃ならまだしも、その頃はもう4年生。ただ、この程度のことで負担に思っているなんて……という罪悪感も出てきたり……。次女のかかっていた臨床心理士さんに相談したそういう感じで悩んでいたので、小さなことかとは思いつつ、素直に臨床心理士さんに相談してみました。Upload By まりまりすると、心理士さんは「負担に思うのは当たり前ですよ」と言ってくださいました。「お母さんができる範囲でやればいいんです」と。Upload By まりまりこの時、自分の中で、「不安な次女に付き合わなくてはいけない」というような気持ちがあったので、その言葉を新鮮に感じました。心理士さんからは、「たとえば何時までと時間を決めるとか、お母さんの気持ちや都合を伝えても良いと思います。次女さんは、そういうことを分かる年齢になっていると思いますよ」と言われて、ハッとしました。Upload By まりまり次女は成長しているもっと小さい頃であれば、どうしても親が付き合わなくてはいけない場面も多いと思いますが、次女はこの時もう4年生。不安の強い次女に、なんとなく「寄り添わなくてはいけない」と付き合ってきたけど、成長した次女に合わせて関わり方を変えていかなくちゃいけなかったんだと気づかされました。私自身の都合や気持ちを伝えて相談したりできる年齢だよな~と。それからは、次女と相談して、できる時は付き合うし、用事があったり心の余裕がない時は少しだけ一緒にいたりというように意識的に関わり方を変えていきました。そうしていくうちに、次女も徐々に一人でも寝られるようになりました。ぬいぐるみに埋もれつつ、自分なりの対処方法を見つけたようです。臨床心理士さんの言葉が、私にとっては次女との関わりを見直すとても良いきっかけになったのでした。執筆/まりまり(監修:新美先生より)不安の強いお子さんで、お母さんを頼りにしている場合、思春期の親離れ・子離れが大きな課題になります。ご本人の状況を考えると、親がついていないと不安で動けなくなる状況を年齢で区切って放置するのはかわいそうという親心が働きがちです。親御さんが、全力で子どもを守ってきた歴史を踏まえて、「私がいなければ」という気持ちになりやすい傾向があるかもしれません。とはいえ不安が強いお子さんであっても、ご本人の不安を考慮しながらも、段階的に、距離をとっていくことは大切です。特に自閉タイプで変化に疎いお子さんの場合、子ども側から思春期反抗期の変化に気づきにくいこともあるので、親御さんのほうの意識を変えていくことが第一歩になるかもしれません。例えば「親と離れて寝る」ということを試みる場合、まずは本人にモチベーションが持てるような予告、働きかけをしましょう。親御さんの事情を話して折り合っていくことも大事ですね。自分の部屋を持てることを楽しみにできるような計画を立てるのもいいかもしれません。部屋を大好きなグッズで飾るなどはおすすめです。エピソードでも触れられていたように、お母さんの代わりになるかわいいぬいぐるみや抱き枕を用意するのもいいかもしれません。またぬくもりが欲しいなら湯たんぽなどもおすすめです。寝つくまでに安心できるような、いい匂いのするピローや音楽が聴ける装置などを用意するのもいいかもしれません。本人の安心を助けるグッズも使いながら、納得して一人で寝られて、自信が持てる経験ができるといいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年12月27日わが家は小学3年生の娘がいる3人家族。公園遊びのとき「水筒を持参する」「お金とゲーム機は持っていかない」などルールを決めています。娘がクラスメートと公園に行ったある日の夜、突然娘が「ごめんなさい!」と大号泣したのです。その理由を聞いてみると……? 「いきなりどうしたの?」娘の涙のワケ わが家には小学3年生の娘がいるのですが、公園で遊ぶときにいくつかルール決めをしていました。その1つが、「お金を持っていかないこと」。娘は素直にルールを守り、クラスメートとの公園遊びを楽しんでいました。 ある日の夜、いつものように公園遊びを終えた娘が突然「お父さん、お母さんごめんなさい。私、嘘ついちゃった」と泣き出したのです。聞けば、学校でお友だちと「スポーツセンターへ行って有料の卓球をしよう」という話になったため、娘は黙ってお小遣いを持って遊びに出たとのこと。 「最初に話してくれたらよかったのに」という私に、娘は「お金持っていっちゃダメって約束だから、怒られると思ったの!」と言います。約束を真摯に守ろうとする娘の姿を見て、私たちは家族で話し合い、「お金が必要なときは、何にいくら必要か親にちゃんと伝えること」をルールに追加しました。 「ルールだから」と子どもの意見を聞くことなく、頭ごなしに「NO」といってしまうと、子どもは隠し事をするかもしれません。そして、そのことに自己嫌悪し、子ども自身が傷つくことを学び、反省した私。以降、家族で話し合いながらルールを作り、例外があるときは理由を聞いた上で、全員が納得すれば認めることにしています。 作画/Pappayappa著者:更和たい子
2023年12月16日同い年で料理人として働く夫と、小学3年生の娘の3人で暮らしている私。夫は子煩悩で働き者、娘はやさしくて賢く、家庭は円満。順調そのものの人生かと思いきや、娘の小学校の保護者に私を悩ませる存在がいて……。今日は娘・リナの授業参観。参観が終わって学校を出ると、1人のママに声をかけられました。彼女はお金持ちで、他のママよりも年上だということもあって、いわゆるボスママ的な存在です。 今日も数名のママたちを引き連れてランチ会をするようですが、正直このボスママ軍団が苦手な私は、見つからないようにそっと帰るつもりでした。苦手なママ友ボスママはそっと帰ろうとする私をすかさずキャッチ! 「ランチ会に来ないのか?」と声をかけてきます。 用事があると断ると、取り巻きの1人が「もしかして、お金持ってらっしゃらないんじゃない?」と見下すようなことを言うのです。 しかしここでモメると面倒なことしかありません。私は精一杯の愛想笑いをして、その場を後にしました。 リナのクラスの保護者が参加するメッセージグループは、常に稼働状態です。ボスママをおだてるトークで盛り上がっているのを見るとうんざり……。ランチ会もそんなノリだと思うと、絶対に参加したくありません。 ランチ会に参加しようと思ったワケなるべく関わりを持たないように過ごしていたものの、リナからボスママの娘・ナナちゃんを家に呼びたいと相談されました。気が進みませんが、子どもには関係のない話。恐る恐るではありましたが、私はナナちゃんを家に招待することにしました。 そんな心配をよそに、ナナちゃんはとてもお行儀の良い無邪気ないい子でした。仲良く遊ぶ子どもたちを見ていると、親同士がピリついているのが恥ずかしくなってしまいます。 そんな中、再び私はボスママ主催のランチ会のお誘いを受けました。いつもなら断るところですが、少しだけ考えを改めた私……。ランチ会への参加を伝えました。すると、なぜか幹事を任され、人気のレストランの予約を任されたのでした。 幸いランチを予定していたのは平日だったこともあり、スムーズに参加者7人の予約が取れてひと安心です。 私は帰ります!ランチ会当日。予約時間の少し前にレストランを訪れると、みんな集合していました。早速スタッフに声をかけて席に案内されたのですが、なんだかみんなクスクスと笑っていて嫌な感じです。 その理由は案内されてすぐにわかりました。7人で予約をしたはずだったのに、用意されていたのは6人分の椅子。予約を間違えたのかと焦っていると、ボスママが信じられないことを口にしました。 「あなたが7人で予約をしたって言うから、私が6人の間違いだって訂正の電話をしてあげたの」 このランチ会は「ママ友」のお食事会だったようで、ボスママたちから見て「ママ友」ではない私はお呼びではなかったようです。 「予約を頼まれただけなのに、参加するつもりだったなんて図々しい〜」「のこのこ来ちゃって恥ずかしすぎ!」と、取り巻きも私を笑っています。 ボスママ軍団は、私に恥をかかせるためにランチ会に誘ったのだとやっとわかりました。スタッフが気を遣って席を増やすこともできると声をかけてくれたのですが、私だってこんな人たちと食事をしたくありません。 「わかりました。私、友だちじゃないようなので帰ります」 私はそう言って、レストランを後にしました。 ボスママを黙らせたのは…子ども同士が仲良くしているのに、親がいがみ合うのはよくないと思って、今日は私が縁を深める意味もこめてみんなにご馳走しようと思っていたのに……。残念です。 実は今日予約したレストランは夫が経営するレストラン。今日はお世話になっているお礼を兼ねて、とっておきのコースを予約していたのです。コースのお値段は1人5万円。支払いが心配ですが、予約を私に任せたのは彼女たちなので、これでよかったと思うことにします。 家に帰ると、わが家にはボスママの娘・ナナちゃんが遊びにきていました。ナナちゃんは本当にいい子なのに……と思わずにいられません。しばらくすると、ボスママが真っ赤な顔をして乗り込んできました。なんとかお店の支払いはできたようですが、ひどく怒っています。 玄関先で私に吠え続けるボスママを見ていたのはナナちゃんと娘。ナナちゃんはぽそっと「ママ、リナちゃんのママのこと仲間外れにしてるの?」と言いました。そのひと言を聞いて口を閉じたボスママは、文句を言うのをやめて帰っていきました。こんな自分の姿を子どもに見られるのは、さすがに嫌だったようです。 子どもに「やってはいけない」と伝えていることを、大人がするわけにはいきませんよね! これに懲りて、ママ友をいじめの対象にするのをやめてほしいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月16日私は、夫と小学3年生の息子との3人暮らし。夫が再就職した先はいわゆるブラック企業で、そろそろ辞めたいと毎日嘆いています。夫の勤め先の社長は目先の利益のみを追求し、オフィスは残業当たり前のような雰囲気。休みもとりづらいようです。体調を崩す人が多く、辞めていく社員も後を絶ちません。夫から会社の話を聞いていると非常に腹が立ちますが、すぐに辞めもいいとは言い難く……。お金のことを考えると、そう簡単に辞めることを考えられないでいます。 辞めるのはもうすこし待って!夫は常にクライアントや同僚に対し、真摯な姿勢で仕事をしています。ですが、社長の態度があまりにもひどいので、会社に行くのが辛いと言うようになりました。 今すぐ退職を勧めたいところですが、そうもいかない事情があり……。というのも、現在秘密の作戦を遂行中なのです。 私は心を鬼にして、夫にもうしばらく辞めるのを待ってほしいとお願いしました。とにかく、今は何も考えず仕事をしてほしいのです。とにかくもうすこし踏ん張ったら退職願を出してもオーケーということで、この話は終わりにしました。 その代わりに持ち出したのは、私の転職話。息子も小学3年生になり、義母は夕方までなら息子の様子を見てくれると言います。夫は自分が退職し稼ぎがなくなる前に、私が就職を決めたいと思っていると早合点。あともうすこし踏ん張ることを約束してくれたのです。 ある人から思いがけない誘いが…数日後、出先にいる私に夫から連絡が入りました。会社で私に似た女性を見かけ、確認の連絡をしてきたのです。そこで私が、見間違いではないと答えたところ、夫はかなりびっくりして……。「なんでお前がいるの?!」私は率直に、会社を変えようと思っているからだと答えました。「もう安心して、今日から私が社長だから」「え?!」 じつは夫から会社の話を聞き、私なりにいろいろ調べてみました。すると、創業者である会長が私の元上司だということが判明。夫の職場があまりの惨状なので、ひとつ文句でも言ってやろうと乗り込んだら、逆に社長として働かないかとスカウトされてしまったのです。 夫の会社は規模の小さいベンチャー企業なので、人事異動をしやすいらしく……。以前も経営側として働かないかと誘われたことがあったのですが、出産・育児のこともあり、お断りしていました。そして今回思いがけず再会し、スカウトを受けることにしたのです。 今朝、社長交代が社員に知らされたのですが、まさか自分の妻が社長になるとは思っていなかったようです。横暴な元社長にバレないよう会長と私は動いていたため、夫にもこの話は伏せていました。私が社長でやりにくいこともあると思いますが、夫なら大丈夫だと思っています。 社長に就任して1カ月がたち…私が社長に就任してから、1カ月がたちーー。営業として働いていたころの人脈を生かして、新しい取引先もだいぶ増やせました。以前より大きな仕事も入るようになりましたが、職場環境は整っています。 社員の士気も高まり、業績は上向き傾向。辞めていった社員たちに声をかけたところ、戻ってきてくれる人もいました。 夫が社内で気まずい思いをしているのではないかと就任当初は心配していましたが、それは取り越し苦労でした。夫は「妻が社長でうれしいし、誇りに思っている」 と言ってくれているのを耳にし、身の引き締まる思いに。子どもも応援してくれているので、頑張ろうと思います! ◇ ◇ ◇ 大変な職場でも、生活があるとなかなか辞められなかったりしますよね。ですが、体を壊してからでは働くのも困難になりますし、心身ともに健康が一番。家族で相談しながら、一番いい選択をしたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月14日私は夫と小学3年生の娘との3人暮らし。共働きで忙しいため、食事は作り置きをするなど工夫しているのですが……。夫は食事に対してうるさく、出来立てアツアツが大好き。作り置きもイヤなようです。なるべく出来立てを食べてほしいと思いますが、帰宅時間がズレると希望通りにいかないこともあり……。 子育てに参加しない自称イクメンの夫夫がもうすこし家事に協力的になってくれれば、私も料理に時間を割けるのですが……。週に数回のゴミ出しくらいしか手伝ってくれません。 イクメンを自称する夫は娘にメロメロ。ですが、子育てに参加しようとはせず……。そして作り置きの食事は娘のために良くないと言ってきます。私も衛生面には気をつけて作っているのですが、なかなかわかってもらえません。 食事作りに苦労する私の姿を見て、娘は自分も作りたいと言い出しました。娘のやさしい心に感動。夫にその話をしたところ、娘の手料理が食べられると大喜びしています。 ただ夫には、娘に心配させるなんて母親として恥ずかしくないのかと言われましたが……。気にせずにいようと思いました。 夫は裏アカを発見!そこには…ある日のこと、私はSNSで夫の裏アカを見つけました。その投稿内容を見てびっくり。自分がいかにイクメンか、妻である私がいかにぐうたらしているかが書かれていました。 夫の裏アカの画面が開きっぱなしになっていたようで、娘にもバレてしまいました。私たちがケンカをしていると思った娘は、夫婦仲を心配するように。話し合いをするから大丈夫だと言ったところ、安心したようです。しかしその後、この裏アカが騒動を起こすことに……。 ある日帰宅すると、冷蔵庫がガラガラになっていて驚がくしました。「作り置きのごはんが全部ないんだけど……」まさかと思い夫に尋ねると、信じられない一言が返ってきました。「あぁ、俺が全部捨てておいたよ」「え……なんで?」 どうやら夫は、裏アカで集まった意見をもとに行動したようなのです。作り置きを捨てれば作り直すことになるので、出来立てを食べられるという考えのようで……。本当に呆れました。 夫の裏アカが大炎上!犯人は…数週間後、夫が怒って連絡をしてきました。自分のアカウントが大炎上しており、その原因が私だと思っているようでした。どうやら、これまで味方だった人たちから叩かれ、相当参っているようです。 身に覚えのないことを言われ驚きながらも、裏アカの投稿を見ると……。そこには、ゴミ箱に捨てられた料理の画像が投稿されていました。どうやら、娘がやったことのようです。 娘はママをバカにするパパを見たくないと思い、止めようと考えてSNSに投稿したようです。パパが悪者になるとは思わなかったと、娘は泣き始めました。娘を傷つけ悲しませるつもりはなかったと、夫は私に関係修復をお願いしてきましたが、もう気持ちは離れていました。 それから私たち夫婦は別居し、娘は私と一緒に暮らしています。家族で月に一度会う約束をしていますが、この生活のほうが夫婦仲もよくなりました。娘にはつらい思いをさせてしまいましたが、きっかけを作ってくれて本当に感謝しています。 ◇ ◇ ◇ 自分の要望ばかり主張して相手の話に耳を貸さないのであれば、うまくいかないですよね。家族であっても気遣いは大切。相手のことを考え、言動には気をつけたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月12日息子が小学1年生になり、下校時間になると学校の近くへ迎えに行っていました。そのときの息子の行動にびっくりしてしまい……。 下校時に迎えに行ったところ…小学1年生になった息子。下校時はひとりで帰ってくるので、最初は私が学校の近くまで迎えに行っていました。 ある日のこと。信号の向こうで、お便りのような紙を手に持っている息子が見えました。赤信号を待っているとき、紙を落とした息子。その瞬間、風で飛ばされるお便りを追いかけ、車道に向かって走り出したのです。 そこは交通量の多い道路で、車もビュンビュン走る場所。ハッとしましたが、赤信号で私が向こうに行くことができず、大声を出したとしても声が届かない距離。心臓が飛び出そうになりましたが、車道に出るギリギリのところで、息子はその紙を拾いました。 ただ運がよかったとしか思えず。息子には物より命が大事だから、絶対に追いかけて取りに行かないようにと話しました。 ◇ ◇ ◇ 小さな子どもはまだ視野が狭いことも多く、それが事故につながってしまうことも。命に関わる危険なことはしっかり話しておきたいですね。 作画/森田家著者:尾中ぽこ
2023年12月05日2年生の次女と、4年生の長女に、次女の場面緘黙について伝えた現在小学6年生の次女は、2年生の3学期に場面緘黙(選択性緘黙)の診断を受けています。次女が場面緘黙と分かってから、次女と長女に場面緘黙について話をする機会を持ちました。Upload By まりまりまだ小学生なので、2人にはイラストが多めの本を使って説明しました。次女は「ほかにもこういう人っているんだね?」と、場面緘黙があるのは自分だけじゃないこと、また、本の説明から、話せない理由については少し理解してくれたかなという感じでした。長女のほうは「ふーん……」という感じで反応は薄かったですが、その後一人で興味深く本を読んでいる姿が見られました。その時、長女は4年生で、2年生の次女よりは状況を理解してくれているかな?とは思っていました。「わたしってなんでしゃべれないんだろう」と次女が落ち込んだ時…そんなある日、次女が2年生の学年遠足に行った時のことです。遠足から帰ってきた次女と話をしていると……Upload By まりまり「わたしってなんで話せないんだろう……」「わたしってダメだね」と言ってきたのです。日頃も学校では話せてはいないのですが、楽しいはずの遠足で、同じ班のお友達とコミュニケーションが取れなかったことや、そのせいで班のお友達に置いていかれてしまったことなどもあったようで、少し落ち込んでいる様子でした。もともと繊細な次女なので、あまり自分を責めることがないように、親としてはなるべくポジティブな声掛けを意識してきたものの、こうして次女が落ち込むことはもちろんありました。その時の長女の反応Upload By まりまりその時、一緒にいた長女が「次女ちゃんぜんぜんダメじゃないよ」と声をかけてくれました。以前、2人に場面緘黙について説明する時に使った本を良く読み込んでいたようで、不安が強いことや話せないことは、次女がダメなせいではないと説明してくれました。長女が思っていたより理解してくれていたので、うれしく思ったのを覚えています。次女の世話をする……?ただ、長女は理解が良くて、ついつい頼りたくなってしまうものの、それには注意深くしないといけないと思った出来事もありました。Upload By まりまり何事も取り組むまでに不安が強く、時間がかかる次女。以前、夫が「長女ちゃんが次女ちゃんのお世話をしてあげなくちゃ」と言っていたことがあります。自主的に手伝ってくれる分には良いものの、こうして強制されることに長女は「なんで私が」と反発していました。長女の気持ち当時、長女もまだ4年生。長女から、次女のために行動してくれることもあり、頼もしさを感じることもありました。ただ、次女のほうが手がかかる分、きっと我慢している部分も多い。自分のことを考えるだけで精一杯な子どもに、さらに姉妹のケアを無理にさせてはいけないと思いました。なので、長女には、無理に次女の助けにならなくて良いことや、自分のことを優先するように伝えています。Upload By まりまり今は中学2年生になった長女。きっと私が想像していることと、長女自身が感じていることが違っているところはたくさんあると思うので、今後もなるべく注意深く長女の話に耳を傾けていきたいと思います。執筆/まりまり(監修:森先生より)長女さんの次女さんへの接し方も、まりまりさんの姉妹2人共の気持ちをしっかりケアしているところも、とっても素晴らしいですね。「場面緘黙」のある方は、「家族とは問題なくコミュニケーションが取れるけれど、学校などの家の外ではうまく話せない」ということが多いですね。学校などで本人が困ってしまったときに、きょうだいがいる場合にはフォローする場面も多いでしょう。実際それでうまく切り抜けることができたり、本人が誤解を受けずに済むこともあるかもしれません。しかし、いくらきょうだいといっても、保護者ではないのですからフォロー役を常に期待されてしまうのは負担が大きいでしょう。また、本人にとっても、常にフォローされてしまうと家族以外の人との交流の機会が持てず、自信が持てないままになってしまう可能性もあります。あくまでも、「本人に安心感を与える」という意味で、家族の理解が大切なのですね。家族とのコミュニケーションで自信をつけて、少しずつ「安心できる範囲」を広げていけるといいのではないでしょうか。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年11月30日3歳長男の発達に悩んでいた頃、子育てひろばで受けた衝撃ASD(自閉スペクトラム症)のある長男あーは、現在12歳の小学6年生です。あーがまだ幼稚園に就園する前、「なんだか育てにくい……もしかしてあーは発達に何かあるのでは……」と悩んでいた時期に、地域の子育てひろばに連れて行ったことがありました。当時あーは3歳で、就園前の子どもを対象にしている子育てひろばでは比較的大きい年齢のほうでした。3歳のあーといえば、例えば、母親のカバンがあったら必ず中を漁り、その後中身をばらまく・本があったら破く・手の届く棚に物があったら落とす、という行動を平気で取るので、母親の私は、カバンはあーの手の届かない高い所に置く・本は片づける・手の届く棚に物は置かない、という措置を取るのが日常になっていました。なので、子育てひろばでも、あーの破きそうな紙の柔らかい本は片づける・飾っているおもちゃを避ける・そもそも近づかせないようにする、などしていたら、そこの先生にこう言われたんです。「あーくんはもう言ったら分かる年齢だから、言い聞かせてみて」と!!!脳天を直撃するようなお言葉でした。だって……あーに言い聞かせるなんて考えたこともなかったんです(今思えば、日々の暮らしの中で「あーには言い聞かせが通じない」と、ひしひしと感じ取っていたからこそなんですが)。言い聞かせて、聞くもんなのか!?同時に大反省もしました。「言い聞かせることなんかできないと思ってた私のバカバカ!あーはもうそういう『年齢』なんだ!」と……!Upload By よいこ「もう言い聞かせれば分かる年齢」。この言葉に追い詰められて…ということでここから私とあーの「言い聞かせ」地獄が始まります……。優しく言っても、分かりやすく言っても、強く言っても、あーは本があったら破きました。カバンは漁りました。私は……追い詰められました。だって……言い聞かせたら分かる「年齢」なのに、分かってくれないのです。Upload By よいこどうにかして分からせなければ。私の言い方が、しつけが悪いんだ。Upload By よいこなんで分かってくれないの!と感情的にりつけてしまうこともありました。あーは泣いたけど、すぐにけろっと機嫌を戻して私のところに来てくれました。本当に泣いたのは、私のほうでした。あーへの申し訳ない気持ちと、自分の不甲斐なさと、してはいけないことをしているという罪悪感に涙は止まりませんでした。「お母さん、なんで泣いてるの?」と言うあーに謝った後、「あーくん、お母さんのこと抱っこして」と言うと、あーは小さな手と体でわたしをぎゅうっと抱きしめてくれました。この子はこんなにも優しい気持ちと純粋な愛を持った子なのに、私は何をやっているんだろう……と、余計に泣けてきたのを覚えています。Upload By よいこ子どものしつけに必死だった当時を思い返して今なら、一般的な年齢の発達段階に子どもを当てはめて、勝手に厳しくしたって全く意味なんかないことくらい分かるんですが、当時はただただ必死で……(そしてそれはあー12歳の今も葛藤し続けている永遠の課題です)。しつけってなんなんでしょうね。結局親が何か教えようと必死な時ほど何も身につかず、知らぬ間にさらりといろんなことを習得して成長していっている気がします……。特に発達障害のある子どもの育児は、子の成長に並走してあげることくらいしか親がしてあげられることってないのかもしれないなー。……なんて、達観できたらいいんですけどね、なんなら今も絶賛戦ってますよ(片づけしない、忘れ物、口答え、とにかく全部、身の回りの森羅万象に反抗してくるなど)!発達凸凹育児界隈のみんな……ファイトだー!執筆/よいこ(監修:初川先生より)あーくん3歳頃の子育てひろばでのアドバイスをきっかけとしたエピソードをありがとうございます。アドバイスされたスタッフの方も、お子さんの成長発達に良かれと思って、保護者が手をかけているのを減らすべく、その発言をなされたのでしょう。ただ、“言って聞かせる”が効くのは、なかなか狭き門ではあります。年齢や発達段階もそうですが、定型発達のお子さんであっても、発達にばらつきのあるお子さんであっても、気分や性格、得意不得意によって、うまくいくかどうか難しいところです。よいこさんは、これまであーくんを育ててこられた経験から、まずは環境調整(物の位置を手の届かないところに置く)だと感じ取られてそうされてきていたのですよね。おそらく、言って伝わる子だと感じ取られていたらそうされていたのではと思いますし、そこまで物を移動せずとも大丈夫そうだと感じ始めたら環境調整の手を緩めたのではとも思います。一緒にいる保護者の方の感じたこと(勘も含め)は実はとても理に適っていることが多いです。「子の成長に並走する」、まさにそうで、子どもをしつけるというのは、保護者が“こうあるべし”“こうしなさい”というルールを身につけさせていくというよりも、そこ(理想とする姿)に至るために、現状のお子さんの様子と、“こうなってほしい”“これを身につけてほしい”との間の接点を見つけて(つまりだいぶお子さんの現状に寄ったところから)少しずつ「一緒ならできる」「手伝えばできる」を増やしていくことだと思います。本を破かない、カバンを漁らないはなかなか声かけだけでやるのは難しいと思いますが、一緒に本を(破らずに)大切に扱えたら褒める、カバンを(漁らないという「○○しない」目標は扱いにくいので、例えばカバンが置いてあったらお母さんに「はいどうぞ」と届けるなどに変えるなどして目標設定し)ルールにのっとって扱えたら褒める、というあたりをスモールステップで身につけたいところではあります。その第一段階はおそらく、あーくんが不用意に触って怒られる・トラブルになるのを避けるところから始まるので、やれることとしては環境調整です。よいこさんのされてきたこと、よかったんだろうなと思います。発達的にばらつきのあるお子さんを育てていると、良かれと思って定型発達のお子さん向けのアドバイスなどがいろんなところから飛んでくるだろうなと思います。そんなときに、「いや、うちの子ちょっとそれだとうまくいかなくて」とか「やってみたけど、通用しなくて困ってるんですよねー」ということを話せる相手がいるといいなぁと思います。子育てひろばのスタッフの方も、もしかしたらそういうお相手になりえたかもしれません。子育てをしていると年長者や支援者の助言を受け入れなければならないとお感じになる真面目で一生懸命な保護者の方が多いと思いますが、うまくいかないという声はとても大切なものです。そこにこそ、改善や工夫のヒントがあると思います。お子さんが悪いのでも、保護者の方が悪いのでもありません。その助言が通用しない、どうしようというところから、“わが子”のプロたる保護者と、支援者や相談できそうな諸先輩方との“プロ”同士の対話が始まってほしいなぁと願っています。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年11月26日2年生の時に初めて知能検査を受けることに次女は小学1年生の入学後から学校で場面緘黙の症状が目立つようになり、2年生の時に児童精神科クリニックを受診、初めての知能検査(田中ビネー知能検査)を受けることになりました。次女は、家族以外とは話せないし、緊張が高くなると動けなくなってしまう(緘動)ので、少しでも不安が解消できるように、検査について本人に説明をしてから挑みました。初めての知能検査の様子は…?そうして準備をして挑んだ検査。担当の臨床心理士さんと2人で部屋に入り、検査を開始……したものの、次女は全く答えることができませんでした。言葉での質問はもちろん、道具を使ったものなども、固まってしまい手を出すことができずに、検査結果は得られませんでした。Upload By まりまり担当の臨床心理士さんからは、もっと関係性ができてからであれば、取り組めるようになるかも……とのことで、この時はこれ以上取り組ませるのはやめにしました。それから4年後の6年生になって…その後、検査を受ける機会はないまま、次女は6年生になりました。私自身は、客観的な指標がほしいという思いもあって、ずっと「検査は受けられるものならぜひ受けてもらいたい」という気持ちでいました。そんな折、中学校の就学時相談の際に発達検査(WISC-Ⅴ)の結果提出が必要だと分かり、6年生になった今、再度検査を受けてみることになりました。Upload By まりまりあれから4年も経過しているので、「もしかしたらいけるのでは……」と淡い期待を寄せつつ……。本人に発達検査のことを話してみる「昔、心理の先生とやったような検査を、もう1回やってみたいんだけど」と発達検査について本人に話してみると、最初はもちろん拒否。しかし、「(次女の)得意不得意が分かったりして、今後の勉強とかに生かしていけるものだよ」と説明すると、興味を示してくれました。ずっと、カウンセリングやことばの教室に通ってきたこともあって、今までより、家族以外の他者と1対1で何かをすることに対してのハードルが下がってきた成果かもしれません。思っていたよりあっさりと受け入れてくれました。Upload By まりまり一人で検査室に入る次女担当の公認心理師さんは、以前にも場面緘黙の子どもの検査を何度かされているとのことで、安心してお任せすることができました。言語面での検査は無理に実施しないとのことで配慮をしていただき、それを次女に説明して、いざ検査室へ。Upload By まりまり場合によっては時間がかかるかもしれないと言われていましたが、時間内にスムーズに終えることができました。発達検査後、公認心理師さんからのお話検査終了後に、担当の公認心理師さんから少しお話がありました。検査をしてくれたのは初対面の公認心理師さんだったのですが、次女は、最初は緊張気味だったものの、緘動が出ることもなく、かなりスムーズに検査に取り組むことができたとのことでした。ただ、言語面での検査はハードルが高かったようで、実施できませんでした。それでも、全く何もできなかった前回の検査から4年経過して、ここまでできるようになったことに、次女の成長を感じてうれしくなったのでした。Upload By まりまり発達検査をしてみて場面緘黙の次女は家族以外と話せないので、次女自身の本来の能力を見ることができるのがほとんど保護者(私か夫)に限られてしまい、常に「本当に大丈夫か」「本当にこの判断でいいのか」という葛藤と共に過ごしてきました。今回の検査で、次女の成長を感じたと同時に、客観的な視点(検査結果)が得られたことにとても安心しました。今までなんとなくブラックボックスだった次女自身の能力に少し光があたり、次女への関わり方の道筋が、今までより見えやすくなったように感じたのでした。執筆/まりまり(監修:新美先生より)場面緘黙の娘さんの発達検査についてのエピソードを教えて下さりありがとうございます。場面緘黙がある場合でも、言葉を使わずに知的水準を測るフォーマルな検査もいくつかあり、またWISCなどでも言葉を使わない検査のみ実施するという場合もあります。また音声言語で話せなくても、筆談ができるならそれで言語性の水準も(参考値になりますが)算出できることもあります。といっても緘黙の方は、緘動(動けなくなってしまう)になってしまうこともあり、検査自体実施できないということもあります。無理して検査を実施しようとして、検査自体を嫌な記憶にしてしまうと、その後も抵抗感が強まってしまうこともあります。実施できない場合は無理せず、時を待つのがよいでしょう。成長して検査の目的を理解して実施のモチベーションを持てるようになったり、話せずとも他者との関わりに抵抗感が減ってきたりすることで、まりまりさんの次女さんのように、再挑戦で検査を受けることができるようになることはよくあります。フォーマルなアセスメントを受けることは必須ではないけれど、客観的な指標が見えたことで、ご本人の特徴や支援の方向性の参考になることもありますよね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年10月31日小学1年生になった娘の登下校が心配な私は、娘に子ども用のGPS端末を持たせることにしました。しかしある日、なぜか学校にいるはずの娘の位置表示が思わぬ場所に表示されていたのです。その場所とは……? 小学1年生の娘はどこ!?GPSの位置情報を見てみると… 長女が小学1年生になり、ひとりで登校するようになったときのお話です。娘の小学校では、初めの1週間を除いて集団登下校がありません。そのため、「私、ひとりで行けるよ~」と言うマイペースな長女をとても心配していました。しかし、まだ下の子は幼かったため、毎日付き添うことは難しかったのです。 夫に相談して、長女には子どもの見守り用GPS端末を持たせることにしました。ランドセルに小さな端末を入れるだけで、私のスマホの見守り用アプリに娘の居場所が表示されます。GPS端末を持たせることで、やっと安心できるとほっとしました。 しかし翌週のある日、学校にいるはずの娘の位置情報が、なぜか学校から数百メートルほど離れたホテルに表示されたのです。「下校時刻まであと少し。もし教室にいなかったら先生が連絡してくれるはず……」と思いながら、あわてて学校へ向かい、校門の前で娘を待ちました。しばらくして校門から出てきた娘は「お母さん迎えに来てくれたの~?」と笑顔。私は「心配したよ」と言いながら、心からほっとしました。 ネットで調べてみるとGPS端末の位置情報には誤差があるとのこと。私が購入した端末は型番が古く、精度が低かったのかもしれません。防犯グッズを購入する際は口コミなどを調べ、説明書をよく読んで使用しないといけないなと反省しました。 作画/ひのっしー著者:田川ゆうこ
2023年10月13日家族から「甘やかし過ぎじゃない」と言われていた小さい頃からおとなしくてものすごく引っ込み思案に見えてしまう次女。外出先では、不安が強いこともあり、ほとんど私にべったりでした。そんな幼児期の次女をみて、実母からは「甘やかし過ぎじゃない?」「この子、こんな調子で小学校行って大丈夫なの?」と、言われていました。また、場面緘黙と分かってからも、夫からは「甘やかしたからこうなったんじゃない?」と言われたりもして、その都度、「私のせい……?」と考えずにはいられませんでした。それからずっと「甘やかしている?」「過保護なの?」という考えは私の中から離れませんでした。Upload By まりまり遊園地に行った時……とにかく新しいものが苦手で、最初の一歩までがとても不安が強い次女。遊園地では、いつもみんなで乗れる乗り物しか乗っていませんでしたが、その時は次女の好奇心が勝ったのか、初めて、「一人で乗ってみる」とゴーカートに乗ろうとしたことがありました。そうは決めたけど、どうしても不安になってしまって何度も手順を私に確認する次女。「やっぱりやめようかな……」と何度も並んでいる列から外れて戻ろうとしていました。でも、私としては、次女の中での好奇心とか、「やってみよう!」という前向きさとか、今このタイミングで踏み出そうとしている次女の気持ちをとてもうれしく感じていました。なので、一歩踏み出せるように何度も確認する次女に付き合って背中を押していました。Upload By まりまり過保護親認定?列に並んでいて、次女の順番が来る直前、そのやり取りを見ていた遊園地のスタッフの方に、ため息交じりに「お母さん、そんなに何度も言わなくても、この子自分でできますよ」と、言われました。Upload By まりまり操作が簡単だから次女でもできることや、次女への励ましの意味で言ってくれたのかなあとも思いましたが、その時のスタッフさんのため息や、やれやれというような表情を見て、「ああ、私、いろいろ手を出し過ぎている過保護な親に見られているのか……」と気がついて、なんとも言えない気持ちになってしまいました。おおらかな親でいたい。でも必要なこと。Upload By まりまり「できるできる!何とかなるから大丈夫!」と私もそう言いたい。ただ、それでは人よりかなり不安の強い次女が、全く踏み出せなくなってしまうことをこれまでの経験から知っています。次女が自分でできるようになるためには、周りの人からは「過保護」とか「甘やかしている」と見られてしまうような関わりが、一時的に必要なことがあるのが事実です。そうしてやってきた現在の次女は……この遊園地でのゴーカートは、そのやり取りのあとに、なんとか一人で乗ることができました。それが自信となって、その後からは私の助けなく乗れるようになりました。さらにその後は、ゴーカートだけに限らず、いろいろな乗り物に一人で乗れるようになりました。あの、周囲には「過保護」と思われてしまうようなステップがあったからこそ、その後次女は自分で挑戦できるようになったんだと思います。Upload By まりまり現在6年生の次女は、自分でできることが以前より確実に増えています。できないことを、「助けを借りながらも試行錯誤して一歩踏み出してみる」という経験を積み重ねることで、自分自身で踏み出すための自信になったり、自分なりの気持ちの落ち着け方などのやり方を見つけたりしていっているんじゃないかと思います。未だに周りからの視線は気になってしまうけど……私自身の中で、「これ(周囲に過保護とか甘やかしに見られるような関わり)は、次女が一人でできるようになるまでに必要な一過程」と納得しているけれど、やはり周りの視線とか気になるものは気になる……。たとえ周りに見られていなくても、今まで言われてきた言葉から、私の中で勝手に「過保護って思われてるかも……」とネガティブな気持ちになることも多いです。とにかくそういう時は、周りを見ずに、意識的に視野を狭めて目の前の次女のステップにフォーカスすることにしています。最終目標を「次女が自分でできるようになる」ということを次女と共有して、そのためにはどうしたら良いか、今は何が必要か、できそうにないなら何を助けてもらえばできそうかというのを、積み重ねていくしかないんだろうな~と考えています。執筆/まりまり(監修:森先生より)一つの場面だけを見ていろいろ言う人がいると、気になってしまいますよね。でも、子どもの将来のことを本当に真剣に考えることができるのは、やはり保護者の方です。最終的に、親の手を離れても一人であるいは誰かと協力しながら暮らしていけることが子育てのゴールではないでしょうか。「過保護」と「過干渉」は一見似ていますが、似て非なるものです。「過干渉」は自立の機会を奪ってしまうので良くありませんが、「過保護」は問題ないのではないでしょうか。ゴーカートに興味がない子どもに「ゴーカートをやりなさい」と押し付けるとしたらそれは「過干渉」です。ゴーカートをしてみたいと思った子どもの気持ちを応援して、不安な気持ちに寄り添いながら励まして、やり方を詳しく説明している様子は、他人から見たら「過保護」かもしれません。周りに過保護と言われても何と言われても、子どものやりたいことを尊重して、子どもが達成感を得たのだから、保護者としては100点満点ではないでしょうか。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年09月29日うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
子育ては毎日がたからもの☆