2020年3月27日 19:30
又吉直樹の自由な一句、「カツ丼喰える程度の憂鬱」…せきしろと新刊俳句本
「僕の場合は、説明したくない、言いたいことだけ言いたいというのがあって、自由律俳句ならそれができるんですよね。いま自分は蕎麦屋にいて、食べ終わってて…と説明なしに、ずばりと『蕎麦湯が来ない』で終われる。その感じは自分に合っているなと思います」(せきしろさん)
「共感を引き出せるのが面白いというか。共感というと、みんなが思いつくあるあるネタのように捉えられがちなんですが、『10人いたら5~6人はそこ言うよね』というところは避ける。特にせきしろさんは、絶対詠まないですよね。むしろ、10人いて1人いるかいないかのポイントを突いて、『言われてみればそうだな』と納得させる。せきしろさんの句はご自身が俳句で笑わそうとしているわけではないのに、わかりすぎて笑ってしまいます」(又吉さん)
数句取り出してみる。
カツ丼喰える程度の憂鬱
(又吉直樹)
憂鬱を切り裂く保育園児の散歩
(せきしろ)
コーラを好む老人の過去
(せきしろ)
路上で卵の殻を剥いていた老人
(又吉直樹)
同じ言葉が出てきても、見えてくる情景はまるで違う。
おふたりも、思いがけない相手の句に驚くこともしばしばらしい。ゆえに、互いが互いのいちばんのファンだと言う。