2020年9月25日 19:30
2人の子どもを事故で失い… 悲劇に見舞われたダンサーの喪失と再生
コンテンポラリー・ダンサーとしても活躍していた監督ならではの視点や今後について語ってもらいました。
―監督自身がダンサーであったこともあり、以前からイサドラ・ダンカンには興味を持たれていたのでしょうか?
監督もちろん、イサドラのことは昔からよく知っていましたが、だからといって彼女の映画を撮りたいという思いが最初からあったわけではありません。出発点となったのは、映画監督として「ダンスの映画を撮りたい」と考えていたときに、振付師の女性からイサドラのソロダンス「母」という舞踊があることを教えてもらったこと。それが今回の作品につながりました。
―この作品を通してイサドラへの印象も大きく変わりましたか?
監督そうですね。僕が彼女に抱いていたイメージはステレオタイプなものでしたが、リサーチを重ねていくうえで気がついたのは、イサドラというのはとても脆弱なところがあって、極端なまでに感受性の強い人だということでした。なぜなら彼女は数々の悲劇を経験するものの、そういったものも芸術的な創作の原動力にしているということがわかったから。そうやって彼女の足跡をたどる過程で新たな一面や考え方を発見しましたが、それらを“翻訳”して映像にしたのがこの作品です。