2020年12月15日 18:30
すゑひろがりず「ミルクボーイのアドバイスで…」 “狂言風ネタ”誕生秘話
雅な着物と「いよぉぉぉぉ~っ!ポン!」というおめでたい小鼓の音とともに繰り広げられる、異色の伝統芸能風漫才を生み出した、すゑひろがりず。漫才の枠を超え、YouTubeやバラエティ番組でも、存在感をどんどん増して、女性ファンも獲得中。絶妙なセンスで現代語を狂言風に言い換える芸風は、どこから生まれたのでしょうか。
――現在の狂言風のネタにたどり着くまでは、全然違った芸風だったとお聞きしました。
三島達矢:元々はトリオでやっていたんですけど、ひとり抜けて、’11年にコンビになりました。最初は「みなみのしま」というコンビ名で、パイナポー南條&ライチ三島と名乗りアロハシャツを着て、王道のコントをやっていたんです。
南條庄助:でも、それがほんとに鳴かず飛ばずで…。
三島:ふたりとも30歳手前になる頃に「もう誰もやったことのない変わったことをやるしかないやろ」ということになって、今のネタの原型が生まれました。
最初は1分くらいのネタでしたが、それがお客さんにめちゃくちゃウケたんです。その場に一緒に出演していたミルクボーイの駒場さんに「それ本ネタにしたほうがいいよ」とアドバイスいただいて。
南條:そこから思い切って大きく舵を切り、すぐに着物を買いに行って、扇子買って小鼓買って、だんだんと今の形になりました。