2021年11月25日 22:10
SUPER BEAVER・渋谷龍太「救急車で運ばれ…」 波瀾万丈のバンドストーリー
中3で友達と行ったカラオケで珍しく人前で歌ってみたら「お前、歌、下手じゃないね。歌えるほうだよ」って言われて。地元の友達と離れた高校時代は周りに派手な友達もいなくて、一気に自我が暴走したのか髪の毛をピンクにしたり、人前で目立つのが好きになりました。そんな時にバンドに誘われてSUPER BEAVERのボーカルになったんです。
――小説『都会のラクダ』にはSUPER BEAVERが最初にメジャーレーベルで活動していた頃の、辛い日々のことも書かれています。音楽の楽しさを失い、スタッフに人格を否定されるような言葉を浴びせられていた当時、どんな気持ちでバンド活動をしていましたか。
渋谷:メジャーデビューしたのが2009年だったんですけど。活動しながら、自分たちが表現したいことが何かもわからないまま、担当ディレクターの言うままに全てやるという状況に、いつの間にかなっていました。
「これやってみたらどう?」が「これをやって」になり最後は「これをやれ!」になり。まだ21歳で世の中を全く知らなかったこともあり、この社会で何とか生きていかなきゃいけないと、気持ちを騙し騙しやっていて。その状況は傍から見ても異様な光景だったんでしょうね、心配したエンジニアの方が「何かあったら連絡して」