くらし情報『【あの街の歴史エピソード】「高田馬場」は、昔は“文字通り”の街だった!?』

【あの街の歴史エピソード】「高田馬場」は、昔は“文字通り”の街だった!?

2013年6月30日 16:00
 

【あの街の歴史エピソード】「高田馬場」は、昔は“文字通り”の街だった!?
このコラムは、大袈裟なネタではないけれど、知っているとちょっと自慢できる「あの街の歴史エピソード」を紹介します。第一回は、新宿区の高田馬場、早稲田周辺からピックアップしました。

■「助太刀(すけだち)いたす!」の心意気と、江戸の慣習が馴染む街

高田馬場といえば、山手線の「高田馬場駅」周辺を思い出す人が多いと思いますが、これは山手線の駅名としてつけられた後のお話で、実際の高田馬場は、現在の穴八幡宮(西早稲田ニ丁目)辺りのことを指していました。今では、すっかり学生の街となった高田馬場ですが、本来は、馬と、馬術の稽古にはげむ武士たちが住む街だったのです。その名残として、穴八幡宮では毎年近くの戸山公園にて「高田馬場流鏑馬」が行われます。この行事は、新宿区指定無形民俗文化財にも指定されおり、江戸時代の装束を身に着けた射手が、馬上から矢を放つ姿は大変勇ましく、子どもから大人まで魅了するイベントとなっています。

また、穴八幡宮と同じ西早稲田にある水稲荷神社も隠れ名所の一つ。日本には古来より富士山を信仰する風習がありますが、江戸時代に入ると、実際に富士山に登頂できるのは、全ての人に許されたわけではありませんでした。

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