「だめだ」と言われても手放せなかったものたちが、私の“自分らしさ”になった
■装いは、人の心を生かしも殺しもする
幼稚園の頃の記憶で今でも覚えているものがある。
当時セーラームーンに憧れていた私は、友達とセーラームーンごっこをすることになり、保護者がボランティアで作ってくれていた衣装を着て遊んでいた。しかし「さぁ、火星に代わって折檻よ!」と庭に出ようとしたときに先生に止められ、「スカートは脱ぎなさい」と言われたのだ。
そのときはどうして友達はいいのに自分だけだめなのか理解できず、とにかく先生の言いつけだからと脱いだ。
体と心の性別が一致しない、いわゆるトランスジェンダーの私には、体の性別を理由に自分の好きな装いを制限されてきた記憶が、今までに覚えていられないほどある。でもそこで「だめだ」と言われたものほとんどすべて、アクセサリーも、マニキュアも口紅も、長い髪もパフスリーブもピンク色もパンプスも、もちろんスカートも、今の私が私らしくある装いになくてはならないものだ。
それはかつて身につけることを許されなかったり、自分から諦めてしまったりしたものだったけれど、やはり諦めきれずに周囲の声や、ときには自分の羞恥心に逆らって身につけ続けてきた結果なのである。
これは性別によって親や学校などから身につけることを許されなかったものに限らず言えることで、肩幅があって身長が高いから似合わないと言われたことがある和服も、胸がなくてかっこ悪い気がしていたキャミソールも、ずっと諦めずに着続けてきたことでどんどんしっくりくるようになってきた。