2021年9月12日 11:52
いつが最後になるのか誰もわからない だからこそ、「いま、ここ」にしっかりと立ち、味わう
おいしく食べられたのだろうか。
亡くなって5年も経ってからそんなことを思い出してもどうにもならないことはわかっていますが、それが人生最後のちゃんとした食事だったのかと思うと、胸の奥からやりきれなさが湧き起こるのです。
きょとんとした顔をして私を見ているとき、何を思っていたのか。何も、ものを言わない母に責められているような気になり、後悔ばかりが次々と波のように心に打ち寄せたのでした。
最後に……誰もが、いつかはこの言葉に出会います。そして、いつが最後になるのか誰もわからない。だからこそ、「いま、ここ」にしっかりと立ち、味わう。
母も、その人生のシナリオを味わって生ききったのだと。
若くして逝った友人たちも、神様と約束してきた時間を味わい尽くしていたのだと。
そう思うことで、私は大好きな人たちの死を受け入れることができたのです。やれることを、やる。精一杯、やる。ただこれだけです。そして、命をつなぐ食事を、美味しくいただく。白いご飯とお味噌汁と梅干しだけでも、おいしく、ありがたく。
そんなささやかなことも、人生という物語のひとつの支えになるような気がしてなりません。
脳梗塞の治療を終え、母は療養型の病院に転院しました。