2020年4月16日 18:37
「母親なのに夜遊びに行くなんて」 そう思った男性が学んだことは【きしもとたかひろ連載コラム】
今までの失敗が無かったことにはならないぞ」ともう一人の自分が責めてくる。
「あの人は間違っている」というような誰かを批判する言葉を聞くと、他人事ではなくその言葉はそのまま自分にも突き刺さる。
浅はかな偏見で人を差別したことや傷つけたことがある。保育でも、強い言い方をしたり怒鳴ったり、言うことを聞かせようとしたり、そういった「適切ではない関わり」をしたことがある。
体罰を与えて大怪我を負わせたことはなくても、そうなっていたかもしれない状況はいくらでもあったと思う。思い出すだけでこの仕事から離れたくなる。
ぼくが今どんな人間になっていても、そのときのその人の傷はきっとそのままだ。なかったことにはできない。
たまたまなのだ、いま何もない顔をして保育を語れているのは。当たり前のように子どもたちと毎日関わることができているのは。
ぼくの知っているそれと、違うものたち
ぼくが育った家庭は、父がお茶をくれと言えば母はお茶を淹れる。返事をする母は、どちらかといえば嫌そうな顔をしているので、それはそれで嫌だろうから自分で淹れれば良いものを、父は半ば意地のように自分では淹れない。
それについての是非は語れないし語るつもりもない。