「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。

浸水させた玄米2合に、いわしの味噌煮缶1缶と玉ねぎ半個をのせ、規定よりもやや少なめの水を注ぎ、顆粒だし大さじ0.5~1を混ぜて普通コースで炊飯。今回はだしがらの昆布も少し投入。お米はもちろん白米でも!
ズボラとこだわりの間で、玄米ごはん一考。
アレルゲンフリー、グルテンフリーなどの体質や健康面だけでなく、ヴィーガンやハラールなどの宗教的配慮からも、日本でも徐々に食事の選択肢が増えている。なんの食物アレルギーもタブーも持たない私だが、唯一といっていいほど主体的に選択したものがある。玄米だ。
理由は単純で、あんまり白米が好きじゃなかったのだ。一方で食べ物を残すことにもなんとなく抵抗を感じており、「とりあえず食べなくちゃいけないもの」として飲み込んでいた。
ただ、おせんべいなどの米が原材料のものすべてがダメというわけではないので、苦手な食べ物を訊かれても「特にない」