ご両親も暁斗の彼女とかそういうことは関係なしに温かい目で見守ってくれました。白馬のお土産屋さんでアルバイトもしましたが、“家賃も生活費は一切いらないよ”と言ってサポートしてくださった。1年後には暁斗のいる長野市へ行って、ユニクロでアルバイトしながらひとりで暮らしましたが、彼とご両親の存在があったから今まで競技を続けてこれたと思います」と、由梨恵さんはしみじみ語る。
当時の彼女は全日本スキー連盟(SAJ)強化選手でありながら、活動費や遠征費は自己負担。恵まれた環境にいる自分とは異なる形で努力する由梨恵さんの存在も励みに、渡部は世界トップを目指した。W杯総合ランキングは’11-’12シーズンの2位を皮切りに’12-’13、’13-’14シーズンが3位と表彰台をキープ。’09-’12年にかけてW杯3連覇を果たしたジャゾン・ラミ=シャプイ(フランス)やフレンツェルら世界トップに肩を並べた。自信を深めた彼は’13年春に「ソチでは金メダルをとる」と宣言。自らにプレッシャーをかけることで、有言実行を果たそうとしたのだ。
同じころ、由梨恵さんが左ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負ってソチを断念したことも、渡部を奮起させる材料になったに違いない。
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