2019年10月25日 10:00
石田ゆり子、アラフィフにして「無色透明」の奇跡はいかにして達成されたか

石田ゆり子
「ふたり足して100歳なんですよ。ゆり子・雅治で1世紀」(福山雅治)
「やめてください。やめて!(笑)」(石田ゆり子)
10月18日放送の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)のスペシャルで、福山雅治と石田ゆり子がこんなやりとりをしていた。これがセクハラにならず、笑いとして成立するのは、福山のキャラもさることながら、石田が50歳には見えない「奇跡のアラフィフ」だからだろう。
しかし、奇跡は容易には達成されない。ここにいたるまでには紆余(うよ)曲折の歴史があった。
■「奇跡のアラフィフ」になるまでの道のり
彼女は23歳だった’93年に『彼女の嫌いな彼女』(日本テレビ)でドラマ初主演。ただ、大きなヒットにはならなかった。ちょうどその時期、テレビ誌の仕事でインタビューをしたことがあるが「まじめだけど地味」という印象くらいしかない。アイドル時代に何度も取材した3歳下の妹・石田ひかりとは対照的だった。こちらもまじめなところは似ていたが、どこかおきゃんで、前に出る圧を持ち合わせていたからだ。
実際、ひかりは’92年に朝ドラ『ひらり』(NHK)に主演し、翌年にかけて2年連続で『紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。
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