くらし情報『宮沢りえ「悲劇のヒロインになりたくない」やせ我慢発言から生まれた女優人生』

2020年9月17日 16:00

宮沢りえ「悲劇のヒロインになりたくない」やせ我慢発言から生まれた女優人生

なお、りえに対してはその7年前、彼女が15歳のときに取材したが、印象はあまりよくなかった。りえママこと宮沢光子マネージャーに操られる人形みたいだという、のちに広まるイメージに近い姿を目の当たりにしたからだ。

とはいえ、人形みたいだからこそ、アイドルとして成功できたのだろう。ふんどしカレンダーやヌード写真集が売れたのも、母が狙い、世間が期待した新時代のセックスシンボルという役割を彼女が一生懸命、演じたからにほかならない。

また、筆者と同じ時期に取材した知人からはこんな話を聞かされた。「地球が滅亡するとしたら、最後の日をどう過ごしたいか」という質問に、彼女はこう答えたという。

「お母さんと一緒にいる。一緒にいて、サンドウィッチを食べたい」

親の離婚で父とすぐに生き別れ、母とも10歳まで別々に住んでいたというりえ。そう、彼女は愛に飢えた子どもであり、哀しみという感情を持った人形だった。そこを秘めつつ、明るく振る舞ったところに、アイドルとしての魅力があったわけだ。が、破局とその後の迷走は彼女が実は無理をしていたことを浮き彫りにした。そして、その身の上に同情したり、悲劇性に欲情したりする人が現れる。

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