くらし情報『【哀悼掲載】斎藤洋介さん、複雑な家庭環境で育つも最期まで注ぎ続けた「母への愛」』

2020年9月20日 11:30

【哀悼掲載】斎藤洋介さん、複雑な家庭環境で育つも最期まで注ぎ続けた「母への愛」

母親が亡くなってから、「洋介、目玉焼きって、どう作ればいいんだ?」って、父親から電話がかかってきたことが。

軍隊教育を受けていますから。「男子たるもの、いつ戦場に行くかわからない。すべてのことをできるようにしておけ」。ですから、アイロンがけに始まり、けっこう厨房にも入ってて。伊勢えび、活魚なんかは豪快に料理する人でしたけど。日常の料理を作ったことがなかったんです。

その時、あぁ、本当に母親が実家からいなくなったんだな、と思いましたね。

■母・てるさんの一生を振り返る

自由だったんじゃないですか。子どもがいるにもかかわらず、その方と離婚し、うちの父親と一緒になって。最初は、いちばん下の子が、まだ赤ん坊だったので、その子だけを連れて逃げてきて。ほかの兄弟も家にいるのがイヤだというので、うちの父親を頼って名古屋に来て……。

兄弟からは、「あんたのお父さんは、お母さんを奪った男だ」っていわれたことがありました。小さいころは、意味がわからなくて。

「“あんたのお父さん”って。あんたのお父さんと違うの?」って。

そういう母親の姿が、すごくイヤだなと思う、思春期の時期もありましたけど。

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