くらし情報『南三陸防災対策庁舎で犠牲、息子の帰宅を10年待ってケーキはいつも「半分こ」』

2021年3月8日 05:00

南三陸防災対策庁舎で犠牲、息子の帰宅を10年待ってケーキはいつも「半分こ」

南三陸防災対策庁舎で犠牲、息子の帰宅を10年待ってケーキはいつも「半分こ」
スポーツマンで精悍(せいかん)な顔立ちの宏規さん(村上さん提供)
自宅の仏壇に朝ごはんを供える。きょうの献立はいもの天ぷら、ほうれん草のおひたし、豚汁、ごはん。線香を焚き、手を合わせ、顔をあげて写真の宏規さんを見つめる。

宮城県気仙沼市の村上勝正さん(71)・和子さん(68)夫妻の日課だ。夜ごはんの時間になるとまた取り替える。あの日までここで3人で暮らしていた。

「朝はお茶がわりに牛乳を飲んでいた。だから牛乳も供えるんです」

と勝正さんは言う。

同居していた長男・宏規さん(当時33)は学校の事務職。地元の気仙沼西高校を卒業後、県内の気仙沼、石巻、名取各市の小・中学、高校を渡り歩き、震災当時は学校現場を離れて県南三陸教育事務所の主査で災害担当をしていた。

宏規さんは自宅ではほとんど仕事の話をせず、両親は事務所職員らと高台に避難したものと思っていたが、実際には海に近い南三陸防災対策庁舎に駆けつけ、避難した屋上で津波に巻き込まれたとみられる。行方不明のまま半年が過ぎ、葬式をあげた。宏規さんの骨壺(こつつぼ)は今も仏壇にある。

「骨っこ見つかったら入れようと。でも全然見つからず10年たってしまった。

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