それで駅の操車場まで移動してしゃがんでいたら、今度は駅員が来て“貨車に火が入ると危ないからどいてください”と。
しかたなしに錦糸公園まで逃げる途中、婦人会のおばさんが水をジャージャーかけて身体に火が燃え移らないようにしてくれて。公園でひと晩明かす中、爆撃機B29がすごい低空を飛んでいきました」
コックピットの米軍兵が下を向いているのが見えたという。
「機銃掃射はされませんでしたが、あたりで燃えさかる煙にやられて目があかなくなってしまった。隣のおばさんが目を舐めてくれて、ようやくあけられるようになりました。
朝になると一面、焼け野原で視界をさえぎるものはなく、遠くの上野駅の駅舎が見渡せました。“あらっ、上野駅”と驚いて」
空襲で家族は助かったが、友人の命は奪った。
本所実践女学校3年のクラスメートとは「また明日ね」と別れたきり、半数近くと再会できなかった。仲のいい友人は空襲で両親を失い、親戚宅に身を寄せることに。
ある日、その友人が錦糸公園に仮埋葬されている両親をお参りするというので「私も行く」とついていった。「きっと、毎日のようにお参りしていたんでしょう。涙ひとつ見せず、静かに手を合わせていました。
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