吉右衛門さんは、芸一筋の孤高の役者。周囲と距離を置いて思い詰めることもある繊細な気質でした」(同・松竹関係者)
転機が訪れたのは、吉右衛門さんが17歳のとき。
■菊之助が準備していた恩返し
「’55年に東宝が松竹に対抗して“東宝歌舞伎”を立ち上げた。吉右衛門さんは’61年に実父や兄とともに東宝に移籍し、同じ舞台に立つことになったんです」(同・松竹関係者)
生家との距離が縮まる機会となったが、環境の激変に戸惑いを覚えるように。
「吉右衛門さんは、スタンダールの『赤と黒』や漫画『巨人の星』の星一徹役など、現代劇からミュージカルまで幅広く挑戦。でも、自分ではしっくりこなかったようです。一方、白鸚さんは現代劇でメキメキと頭角を現し、主演した『ラ・マンチャの男』は代表作になりました。吉右衛門さんは’74年に松竹に戻ります。出戻りということで冷遇されましたが、確かな芸が彼の評価を高めていきました」(同・松竹関係者)
その後も兄弟は、切磋琢磨しながら、高く険しい歌舞伎道を進み、ともになくてはならない存在になる。白鸚は、弟の早すぎる死を悼んだ。
「今、とても悲しいです。たった1人の弟ですから。
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