くらし情報『田原俊彦の子育て厳格な理由 娘に伝えた「2世でも責任を」』

2018年8月4日 19:16

田原俊彦の子育て厳格な理由 娘に伝えた「2世でも責任を」

それから、母・千代子は女手ひとつで、娘3人と息子1人を育てなければならなかった。そんな背中を見て育った息子は、母のことをこう感じていた。

《今になって思うと、何回となく人生を投げ出したくなったことだろうと思う。親がどうであろうと、ひとりの人格を決めるのは結局その人自身だと思うけど、少なくとも僕の基本をつくってくれたのはそんなお袋だったんだ》(FRaU 94年8月23日号)

ハングリー精神の強い田原は高校1年の夏、山梨から東京のジャニーズ事務所に直接自らを売り込みに行き、ジャニー喜多川氏に翌週からのレッスン参加を認められる。

3年間の下積みを経て、1979年に『金八先生』の生徒役に抜擢され、翌80年に『哀愁でいと』で歌手デビュー。当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』で3週連続1位に輝き、一気にスターダムへと伸し上がった。その後も、『ハッとして!Good』などヒット曲を連発した彼は、まず親孝行に徹した。父親の墓石を作り、母親に家をプレゼントしたのだ。


母親に愛情を持って育てられた田原は、娘にも存分の愛情を注いだ。可南子が1歳のころ、田原はこう話していた。

《子育てって3才までが大事。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.