2018年8月26日 11:00
寺越友枝さん「息子を守るためにオルガン、サバ缶も北朝鮮へ…」
そしたら家族みんな、泣いて喜んでくれたって」
現在、北朝鮮の平壌で暮らす武志さん。’63年5月11日、叔父の寺越昭二さん、外雄さんと高浜港(石川県)から小型漁船に乗って漁に出たきり行方不明になった。中学に上がったばかりだった。
「当時、寺越家は子どもだけで6〜7人おって、そのうえ貧乏。武志は、兄妹の子どもとようケンカする“きかん坊”やったさかい、『仕事もせんのに、ご飯ばっかり食べよる!』と、姑から目を付けられて、肩身のせまい思いをしとったんや。漁の手伝いをしたら、500円くらいはもらえる。だから私は、『はよ、漁に出てこい!』言うて、あの日も、まだ昼食のコロッケをほおばる武志を急かせて、漁に行かせてしもうた――」
警察や村の人々による捜索が続いたが見つからず、捜索はわずか1週間で打ち切りに。遺体も揚がらないまま葬儀が行われた。
武志さんが失踪して23年目の’88年1月。友枝さんの母心を激しく揺さぶる事件が起こる。
「武志の23回忌が終わったころ。いつまでも『武志、武志』言うていたらいかん。区切りをつけようと思うて、失踪後、海に浮かんでいた学生服を’87年の12月に処分した。