2018年11月8日 06:00
安藤サクラ守った義母の遺命 まんぷく優先で対面は60時間後
サクラさんは“看取りよりも収録”という誓約を守ったのです」
『40、50は鼻たれ小僧』が口癖で生涯“演じること”を追求し続けた角替さんは、舞台にだけは妥協を許さなかった。角替さん自身はインタビューで次のように語っている。
《たとえ(子供の)ピアノの発表会でも、チャランポランにやって欲しくないの。人様の前で、一段高いところに立ったらもう、ステージなのね、私たちにとって。とにかく稽古しろって、1カ月くらい前は鬼になりましたね。(中略)後でお父さんとも話したんだけど、私たちにとって舞台っていうのは、神聖なものなんだねって。『板』の上にのるってことはうちの家族には、神聖なことなんです」(『ラ・セーヌ』93年7月号)
サクラは角替さん逝去の1カ月ほど前から週末は必ず帰京し、長女を連れてお見舞いに通っていた。
「角替さんは、サクラさんがコミカルに歩く『まんぷく』のオープニングがお気に入りでした。
最後にサクラさんが海岸で両手両足を広げるのですが、あれも彼女のアドリブで、その話を聞いた角替さんが笑ってほめてくれたそうです。『あんた、女優を選んで正解だったね』って」(前出・舞台関係者)
“女優を選んで正解”。義母が遺してくれたその言葉は、安藤サクラの女優人生を照らし続けることだろう。
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