2019年3月11日 11:00
宝来館女将 亡くなった従業員の分も「生きっぺし」W杯誘致へ
内輪だけの会でしたが、和やかないい会だったんです」
会がお開きになり、岩崎さんが旅館に隣接する自宅に戻ったとき、激震が襲った。岩崎さんは急いで宴会場に走り、残っていたお客さんに声をかけた。
「ラジオを持って、外サ、駐車場サ行って!」
宝来館は、避難指定ビルになっていた。駐車場に、集落の人々が続々と集まってくる。旅館の裏山には、避難のための登山道も造ってあった。根浜海岸では毎年、津波を想定し、海水浴客を誘導して山に避難させる避難訓練もしていた。
そのとき上澤さん一家が、親戚と車で帰ると言ってきた。
「明治29年、昭和8年にも大津波があり、この地域では地震から津波が来るまで20分ほどかかることはわかっていました。
一瞬、間に合うのかなと思ったんですが、『すぐ帰って。津波、来るから』と、止めなかったんですよね……」
ラジオの速報が知らせる津波の高さが3メートルから6メートルになったとき、集まった人々が列をなして、裏山の登山道を上り始めた。岩崎さんも上りかけたが、途中で駐車場に人が残っているのに気づき、女性スタッフと迎えに戻った。逃げ遅れた人たちと、再び登山道へと走り出したまさにそのとき、津波が背後から押し寄せてきた。