父から受けた性虐待で、もっとも古い記憶は4歳ごろのもの。
「母が留守のとき、父はじゃんけんゲームをしてくれました。私が勝ったらおやつをもらえて、父が勝ったら私の股間をなめるんです。くすぐったくて嫌だったけど、お菓子がもらえるからがまんしていました。母には言うな、と言われていました」
さらに、ゆかりさんが小学生になると、父はゆかりさんを海や山に連れていき、裸の写真を撮った。
「『子どもの裸はけがれなくてきれいだから』と。私が嫌がっても父は聞いてくれません。母も、その場にいたけど、『撮ってもらいなさい』と父の味方でした」
父は、ゆかりさんが言うことを聞かないと、すぐに怒鳴ったり、ときには体罰を加えたりした。
父の暴力は、母にも向けられた。
「父は、私が言うことを聞かないと、『おまえの育て方が悪い』と言って、すぐに母を怒鳴るんです。だから母は、泣きじゃくる私のお尻を自分も泣きながらたたいたり、火を消してまだ熱いマッチ棒を、私の手に押し付けたりしたこともあります」
子どもながらに、<母は、どうして父の言いなりなのか。母のような自立できない女性になりたくない>って思っていたんです」
ゆかりさんが小学5年生になるころには、父の性虐待はエスカレートしていった。