2019年9月5日 15:50
アントニオ猪木妻逝去で憔悴 マフラーコーデ発案し公私支えた
でも僕が『なんでも人にやってもらっていると早くボケるよ』と言うと、気に食わなかったみたいでムッとしていました」
昨年に実姉が亡くなったというが、猪木からは連絡もなく、告別式にも姿を現さなかったという。
「『なんで来ないのかな』という親戚もいたけれど、本人にわざわざ聞くことでもなかったしね」(啓介さん)
啓介さんが久しぶりに連絡をしたのは、田鶴子さん逝去後のことだった。
「兄貴と話したのは5〜6年ぶりでした。弱っている声で、さすがに落ち込んでいるようでしたが、あれだけの人だから徐々に元気になってくれると思います」
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