2019年9月23日 11:00
海老名香葉子 焼け跡から家族の遺骨がみつからず…明かす原点
ほっぺのエクボは、あなただけのもの。だから、いつも笑顔でいなさい』と。それを支えに、今日までやってきました。その母も父も、長兄、次兄、弟も祖母も家族6人を、終戦の年(’45年)の3月9日から10日にかけて、下町で10万人以上が亡くなったという東京大空襲で亡くしました」
1933年(昭和8年)10月6日、海老名香葉子さんは、東京は本所区竪川町(現・墨田区)に生まれた。父親は、釣り竿職人の名匠「竿忠」三代目の忠吉さん、母親はよしさんといい、5人きょうだいのただ一人の娘だった。
「B29による東京大空襲の猛火のなかを、母は弟を背負って逃げたそうです。家族6人はみな、遺骨も見つかりませんでした。私は沼津の叔母の家に疎開し、その後に石川県の穴水町へ行って生き残ることができました」
終戦から3カ月後、東京に戻った幼いカヨちゃんは、親戚宅をたらい回しにされる。
「戦争で、親戚の人も変わりましたね。大人も食べていけないなか、『お前みたいな子が生き残っちゃって』とまで言われて。焼け跡で、拾ったお鍋で雑草を煮て食べたり。よく生きていたと思います」
くじけそうになったら、父の名を叫んで耐えた。