2019年10月24日 11:00
立民・枝野代表の元CA妻明かす「不妊治療巡り朝まで大げんかを」
大学卒業後、日本航空のCAとして働いていた和子さん。’99年の結婚と同時に生活が一変するーー。
「まずは地元選挙区内での挨拶回り。そして何よりも選挙に慣れること。結婚して3年ぐらいは、代議士の妻としての仕事を覚えることを最優先に考えました」
3年の間に選挙も経験し、ひととおり仕事を覚えた和子さんは、そろそろ子どもを作りたい、そう思い始める。だが、いざそうなるとなかなか授からない。このとき年齢は33歳。悩んだ末に、枝野夫妻は不妊治療に挑むことを決意する。
「最初は人工授精から始めましたがうまくいかず、半年後に体外受精に切り替えました。でも、着床しても受精卵が定着せずに流れてしまう“習慣性流産”という状態が約2年間続いて……」
習慣性流産による期待と失望の繰り返しに、うつに近い状態にもなったそうだ。
「いちばんつらかったのは、子どもが流れた後、仕事先で“お子さんはまだ?”と、支援者の方から声をかけられることでした。当時、不妊治療をしていることは枝野と私以外誰も知らない。普通の会話の中で“まだ?”と。悪気がないことがわかっていてもつらかったですね」
不妊治療中に、一度だけ夫と大げんかになったことも。