2020年1月17日 17:00
家族の「終活」を無駄にしない“良いお見送り”はできるのか
そこに、おばあさまの生き様を拝見する思いです。そんなおばあさまにはいろいろ思うところもおありだったでしょうけれど、それを共有できなかったことがあなたさまの今の苦しみになっておられるようですね。
でも、思い出してみていただきたいのです。私たちが心を通わすために使うのは、なにも言葉だけではありません。眼差しや表情、息使い、姿勢…ありとあらゆることが「伝える」「受け取る」ための道具になります。たしかに、おばあさまはご病気によって「言葉」を失われたかもしれませんが、それでも一緒に過ごされたお時間の中で、あなたに伝わってきたものがあったでしょう。必ずあったはずですよ。どうか思い出してみてください。
それが、おばあさまの「最期はこうありたい」というご希望の表現だったのです。
見送られて数年がたった今でもおばあさまをお心にかけ、自問自答なさっているあなたのお姿から、おばあさまへの大きく深い愛が伝わってきます。そんなあなたに見送られたおばあさまが、残念な思いを残されているわけがない。そうでしょう?
仏教には「回向(えこう)」という考え方があります。生きている者が人助けをしたり、一生懸命に働いたりして「徳」