2020年2月17日 11:00
資産150億長女の波乱半生 伯母介護で養女となり相続騒動にも
近所に所有していたプレハブに住んでいた、父方の伯母の体が弱ってきて、孝子さんが住み込みで世話をすることになったのだ。最初は、伯母もある程度は自分でできたが、やがて認知症を発症。
「食べても『おなかがすいた、おなかがすいた』言うて。徘徊も始まりました。何ぼ鍵かけても、夜になると出て行く」
その度に、着の身着のまま、伯母が行きそうなところに捜して夜道を走った。やがて昼も夜もなくなり、徘徊は休みなしに続いた。伯母の死に水をとったのは、94年。足かけ8年の介護だった。
数年後、今度は、尼崎の旧家・矢野家に嫁いだ母方の伯母が寝たきりに。母に頼まれて、車で介護に通うことになった。伯母は極端な寂しがりやで、孝子さんが少しでも遅くなると、機嫌が悪い。
1年365日、休まず通った。中津へ帰る頃には夜中だった。
「おしめをしても『気持ち悪い』って、自分で外す。小はまだいいけど、大がね。ベッドの端に擦り付けたり、絨毯の上にしたり、もうところ選ばずですねん(苦笑)。
話すと面白いけど、さっき掃除したばかりやのにって、泣きながら掃除するときもありました。それやのに、甥や姪たちがお見舞いに来ると、伯母は上手にしゃべって受け答えするんです。