くらし情報『ヒョウ襲われても母を心配 松島トモ子を壮絶介護から救ったもの』

2020年2月24日 11:00

ヒョウ襲われても母を心配 松島トモ子を壮絶介護から救ったもの

きっかけは、当時の時代劇スター・阪東妻三郎のスカウト。母・志奈枝さんは引き受けた。

「今でもそうだけど、子供と一緒に行ける職場って少ないわよね。親子が離れずにできる仕事が子役だったから、母は引き受けたんです。常に人目があって、母と2人きりで話すらできませんでした。だから母は、私が中学生になったとき運転免許を取ってくれたんです。まだ女性ドライバーが珍しい時代でした。そうすれば、移動中のクルマは母と2人きりで話せますからね。
車中は、母を独り占めできる応接室だったわね」

高校を卒業する頃、松島さんは留学を決意。仕事と学校と家庭を行き来するだけの毎日に疑問を感じたからだという。渡米から2年半後、帰国した松島さんに、再び映画や舞台など、たくさんオファーが舞い込んだ。しかし、相変わらず“かわいいトモ子ちゃん”を要求される日々に、やりたい仕事とのギャップを感じてうつ病のようになってしまった。

そんな中、活路を見出したのが、語学力を生かした海外レポーターの仕事だった。「ベトナム反戦運動家のキム・フックさん、元ソ連大統領のゴルバチョフさんなどインタビューさせていただいて。父も祖父も海外を飛び回っていた人ですから、母も私の活躍を喜んだみたいですよ」

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.