2020年12月21日 11:00
“アイヌ”告白は生死かけた決意…宇梶静江語る解放運動の覚悟
病院へ駆け込むと、脳炎の一種「眠り病」と診断された。働きすぎや過度のストレスが原因とされる大病だ。検査を受けながら、生まれて初めて、死を意識していた。
「やっぱり死んだら、先に逝ってしまった母ちゃんや姉ちゃんのもとにいきたかった。そのためにはアイヌらしい自然な形で死を迎えたい、そう思ったんだ」
東京で暮らしながら、ずっと抱え込んできた違和感が、いよいよ臨界点に達しようとしていた。
〈ウタリたちよ、手をつなごう〉
72年2月8日、朝日新聞の家庭欄には、こんなタイトルの投稿が掲載された。「ウタリ」とはアイヌの言葉で、同胞、仲間の意味だ。その内容は、まず自らがアイヌだという告白に始まり、アイヌがさまざまな差別に苦しんできたこと、さらに首都圏に暮らす同胞に向けて、ともに語り合う場を持とうと呼びかけるものだった。
そう、静江さんはついに「私はアイヌです!」と声を上げたのだ。
「生きるか死ぬかという思い、それぐらいつらい公表だったよ」
反響は大きかった。「私もいわれなき差別を受けてきました」「勇気ある発言に驚きました」と、多くの便りが寄せられた。しかしほとんど、和人からのもの。同胞の反応は冷ややかだった。