2020年12月30日 06:00
メンバー語る22年前のTOKIO解体危機【2020ベストスクープ】
と口をそろえる。
国分「1人1回くらいはあるんじゃないですか。辞めたいとかもう解散したいとか。僕もデビュー5年目くらいで“もうちょっとヤだな”って思ったときもありました。全速力でずっと仕事をしていると、追いつかないときもあるんですよ。僕ら幸せなことに若いころからピンの仕事もやってたりするので、そこのバランスの取り方がわかんないままやって。そんなことを繰り返して26年続いてきたので」
松岡「僕も20代前半のときかな。いつもいることが当たり前なものがナアナアになってきたことへのイライラが。
夫婦もそうだと思うんですけど(笑)。決して大人になれてなかったので、『ふざけんな、そんなん俺ができるわけねーだろ!』と思いながらやってました」
国分「俺、それ覚えてる(笑)」
城島「当時、10代の人間もいたり、自分も20代前半だったり、みんなヤンチャだったんで、ルール作っても守れるわけないっていう考えもあって。ただ5人集まったときにルールに縛られるようなグループじゃないほうがいいなっていう思いはちょっとありました」
松岡「言い方を変えると、26年、よく続いたなって……」
最初の“解体危機”から22年、5人それぞれの不満が噴出するたびにTOKIOは調整を繰り返してきた、と3人は訴える。