くらし情報『最愛の妻と母が相次いで他界…桂文枝語っていた2人への感謝』

最愛の妻と母が相次いで他界…桂文枝語っていた2人への感謝

その際、師匠となる故・桂小文枝さんが提示した入門条件は「親の了承」。幼い頃に父を亡くした文枝にとって、治子さんはたった一人の親だった。だがなかなか話を切り出せず、「就職の面接があるから、人事部長に会って」と嘘をついて連れ出したという。

ところが治子さんは「月謝のようなものはいりますかーー。よろしくお願いします」と、師匠に深々とお辞儀したのだった。その時のことを、文枝はこう述懐していた。

「母を騙したつもりでしたが、実際は、息子が就職せずに噺家になることに気づいていた。その晩、横で寝ている母を見ると、肩をふるわせながら泣いていました。
子が手を離れる安心、それとは反対の寂しさ、先行きへの不安……複雑な感情が渦巻いていたんでしょう。あの晩の、母の背中が目に焼きついて、『どんなことがあってもやめてはいけない』と思いました」

■真由美さんは自律神経失調症から救ってくれた恩人

「桂三枝」としてデビューした文枝は、’67年にラジオ『歌え!ヤングタウン』(MBS)の司会で一躍ブレーク。『ヤングおー!おー!』(MBS)や『パンチDEデート』(関西テレビ)といった人気番組で、徐々に頭角を現していった。

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