くらし情報『3.11から10年。生島ヒロシ振り返る母の遺骨と妹を津波に奪われた日』

2021年3月11日 06:00

3.11から10年。生島ヒロシ振り返る母の遺骨と妹を津波に奪われた日

しかし、鉄道は全線がストップ。飛行機もマヒしていた。「もう、タクシーしかない」と思ったが、それがなかなか捕まらない。マネージャーと雪が降り始めた町をさまようこと1時間半。ようやく、市内の自宅に帰る客を乗せたタクシーを捕まえ、頼み込んで乗せてもらった。そこから、タクシーを5台乗り継ぎ、東京を目指した。

「道中も余震が何度もあって、渡っている橋がものすごい揺れる。太平洋が見えると、運転手さんから『仙台空港は全滅らしい、津波で人がバタバタと死んでる』、そう教えられて空恐ろしくなりました」

郡山市内から乗ったタクシーにはカーナビがついていて、そこで発災後初めて、テレビのニュース映像を見ることができた。


「真っ先に映し出されたのが、文字どおり火の海と化した気仙沼でした。アナウンサーの方が『津波に襲われた気仙沼の港から、火の手が上がっています』と」

血の気がひいて、全身が震えた。“死んでもしゃべり続ける”はずの彼が、言葉を失っていた。

「気仙沼には親戚も友人もたくさんいます。なにより、妹夫婦が気仙沼で暮らしていたからです」

■地震の直後、妹から「明日は行けそうにない」。その後連絡は途絶えた

じつは生島さんの妹・亀井喜代美さん(当時57)

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