2021年12月6日 06:00
常識破りの“ママドル”ポジション開拓!松田聖子の巧みな自己プロデュース力
瞬く間に、正統派アイドルから、ママドルへと変貌を遂げたのだ。
「当時はまだアイドルにとって、交際相手がいることもタブー。ましてや結婚、出産でやめるのが当たり前とされた時代でした。’93年、雅子さまが外務省のキャリア官僚を辞して皇室に入られたときも、寿退社の象徴と言われました」
聖子がそんな常識を打ち破れたのは、結婚直後に絵本『ベビー・ディヴァインの冒険』の日本語訳を手がけたり、休業中に自叙伝を出版したりするなど、入念な準備をして、独自にママドルというポジションを開拓したことにある。
歌手としても『Marrakech~マラケッシュ~』『旅立ちはフリージア』(ともに’88年)と、立て続けにヒットを飛ばした。
「メディアで母娘の動向がたびたび報じられたことから、日本中が聖子さんのママぶりに注目し、沙也加さんの成長を親戚のような目線で見守ってきました。’11年末の『紅白歌合戦』で初めて親子共演して『上を向いて歩こう』を歌ったときは、“あの沙也加ちゃんもあんなに大きくなったんだ”と感慨深く、思わず私も涙ぐんでしまいました」
忘れ去られるどころか、目の離せない存在であり続けたママドル聖子。