2022年5月22日 06:00
75歳、人生の繁忙期 歌人・永田和宏「天の妻はきっと褒めてくれる」
そのあいだで悩む裕子さんが純粋すぎる恋の煩悶をぶつけてきた、68年1月の一日を、永田さんが回想する。
「あの日、河野はことさら思い詰めているようでした。喫茶店で長い沈黙にいたたまれず、外の路地に出て河野に告げられたんです」
裕子さんは「どうしたらいいの」を繰り返し、泣きながら永田さんの胸をたたき、くずおれた。
そこで彼がかけた言葉を、裕子さんは日記に克明に刻んでいた。
《あのひとは限りなく優しかった分別をもっていた〈好き嫌いはどうしようもないモノなんやしそんなに苦しむな……さあ自分の足でちゃんと立って〉そう言いながらむき出しになった脚にスカートをかぶせてくれた》
そしてこの記述のあとに、後に代表作のひとつとなる一首(『森のやうに獣のやうに』所収)の原型がつづられていたのである。
《たとへば君ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫って行つては呉れぬか》
裕子さんの最も有名な歌がこの出来事に起因していたことを初めて知った永田さんは、驚いた。
「私のことを『離れられない存在』として強く意識してくれた夜だったんだと、感慨深い思いでした」
この日以来、会う頻度が増していき、裕子さんの熱情は一気に、永田さんへと傾注していった。