2022年5月29日 06:00
陣内貴美子 過酷な練習支えたマッチの存在「上京したついでに“出待ち”を」
“トシちゃんがいい”“マッチのほうが不良っぽくてカッコいい”というクラスメートのやりとりを聞き、大きなスニーカーのセットの前で『スニーカーぶる~す』(’80年)を歌うマッチをテレビで見て、すっかりファンになりました」
それを知った友達や後輩が、アイドル雑誌の『平凡』や『明星』のマッチのページを切り抜き、透明の下敷きに挟んでプレゼントしてくれた。
「ウォークマンはめちゃくちゃ高価だったので、小さいラジカセを買ってもらい、マッチの曲を入れたカセットテープ4~5本と一緒に旅行カバンに入れて、遠征先で聴いたりしていました。テープにはラジオの歌番組から録音するんですけど、リクエストハガキや曲の紹介が長くて、イントロ部分にかかってしまうと、もうがっかり(笑)。歌詞カードを持ってないから、曲を一時停止し、巻き戻しながら、ノートに歌詞を書き起こしていました」
ちょうどこのころ、16歳にして初めて日本代表入りを果たした陣内さん。「マッチのセカンドシングル『ヨコハマ・チーク』(’81年)が私の誕生日にリリースされたときには、“お祝いしてくれてる”と勝手に思い込んでいました」
そんな“プレゼント”のおかげか、陣内さんは海外の大会のジュニアの部で優勝、シニアの部のダブルスでも準優勝した。