2022年6月26日 06:00
目が見えない夫婦の子育て 家族でかけあうたくさんの「ありがとう!」
ふたりは「誰かの心に響く人になってほしい」と「響」と命名した。
「子どもがふたりとなると、少しの油断で命に関わる事故が起きてしまうかもしれない。そこで、思い切ってサポートをお願いしました」
こう誠さんが説明するように、’12年秋から亜矢子さんの母が同居。全面的に家族を支えてくれた。
「絵本の読み聞かせや学校とのプリントでのやりとりなど、どうしても視覚情報が必要な部分は義母が助けてくれました。義母はじめ周囲の人たちの手も借りて、どうにかやってきた、そんな感じです」
先述のとおり「自分たちだけでは無理」と早い段階からいい意味で割り切っていた誠さん。それは亜矢子さんも同じはずだったが。
亜矢子さんの不安は、寄り添い上手な夫、それに成長の早い子どもたちが、徐々に和らげてくれた。
「こころは、上手に響にミルクを飲ませてくれました。小学校に上がるころには2人とも料理の手伝いも。掃除のときも『ここにまだゴミ落ちてるよ』と教えてくれたり、拾ってくれたりも」
順調だった家族5人の暮らしだったが、昨年、亜矢子さんの母が他界。ここへ来て、改めて4人だけの暮らしがスタートしたのだ。
■私たちの場合は頭にきたからって、しゃべらないというわけにはいかないので
「最初のころは『皆で役割分担して頑張っていこう』なんて言って、うまくいってたんです。