2022年6月28日 06:00
山口百恵さん“スターになっても驕るな”弔問にも駆けつけた亡き恩人マネジャーの教え
「僕も、小田さんが亡くなる1カ月前にお電話をもらって『宮ちゃん、コロナが落ち着いたら会おうよ。またご飯食べようよ』って。その矢先に亡くなられて……」
宮下さんが、百恵さん、小田さんと出会ったきっかけは、’75年に新宿コマ劇場で行われた『百恵ちゃん祭り』というステージ。当時、百恵さんはデビュー3年目、16歳。
「その制作担当が小田さんで、僕は縁あって脚本を任されることになったんです」
そのときに小田さんと“山口百恵をこれからどうしていこうか”とさまざまな話をしたという。
「当時、森昌子、桜田淳子のほうが人気があったわけです。それを超えるためにはどうしたらいいかと、すごく話し合いました。そこで清純な桜田淳子に対抗するために考えたのが、『黒い天使』。
『百恵ちゃん祭り』でそのタイトルのミュージカルをつくって、ちょっと不良っぽい、けれど心は純粋な少女という設定で百恵ちゃんを登場させたんです。
そのどこか陰のあるイメージというのが、その後もずっと“山口百恵”の大きな魅力のひとつとなっていったのかなと思います。それを小田さんと一緒に作れたのは僕の誇りでもありますね」
■百恵さんが売れてもうれしそうな顔をしなかった
その後、『百恵ちゃん祭り』は毎夏の恒例となり、百恵さんが引退する’80年まで開催された。