2020年10月8日 17:23
ル・コルビュジエが嫉妬した女流インテリアデザイナーの生涯
そのため、ル・コルビュジエ(ヴァンサン・ペレーズ)が提唱していた“家は構造や環境に左右されてはならない”とする「近代建築5原則」の主張に真っ向から矛盾することになった。当然、コルビュジエは自分の主張と相容れないアイリーンの建築に反発したが、内心ではその革新性に嫉妬し、恐怖していた。
完成後間もなくアイリーンは、コルビュジエの横暴やバドヴィッチとの様々な行き違いから、バドヴィッチに「E.1027」を残して、自分のための新しい家「テンペ・ア・パイア」を造って移り住んでしまう。
そして1938年、コルビュジエがアイリーンに無断で「E.1027」の壁に8枚のフレスコ画を描いてしまう事件が起こり、アイリーンとコルビュジエの断絶は決定的になる。さらにル・コルビュジエが「ラ・マルタン休暇小屋」を裏に建てたことで、世間にはE.1027もコルビュジエの作との認識が広まった。
しかし大戦後に荒廃した「E.1027」を愛で、オーナーのバドヴィッチ亡き後は買い戻すために奔走したのは、ル・コルビュジエだった。自分がほんとうに愛し、死ぬ場所として。
アイリーンの名作家具とインテリアセンスに脱帽
本作は実際に「E.1027」
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