「娘には自分と同じ口惜しさを味わわせたくない」
メアリ―がホッパーに渡した一つの時計。それは母から娘への激励に他なりませんでした。
母の後押しもあって、ホッパーはすくすくと才能を伸ばしていきました。名門女子大であるヴァッサー大学を卒業後、イェール大学院へと進学。卒業後は母校のヴァッサーで数学の教鞭をとり、1934年には母の夢見た数学の博士号を取得しています。
私生活でも大学在学中にヴィンセント・ホッパーと結婚。彼もニューヨーク大学の教授になりましたから、夫妻ともに学者の、絵に描いたようなエリート夫婦でした。
戦争が始まると、婦人部隊に志願
十分な収入も社会的地位も手に入れて、当時としてはそろそろ人生も黄昏にさしかかる37歳という年齢を迎えた頃、ホッパーはまったく新しい分野にチャレンジしました。
きっかけは第二次世界大戦。
海軍が創設した米国海軍婦人部隊(WAVES)に志願したのです。
前線に行くわけではありませんでしたが、当然、夫も友人も大反対。しかし、ホッパーの考えは、
「港の中の船はそりゃ安全よ。でも、何も生み出さないわ。外海に漕ぎ出し、そして新しいことを始めなきゃ」
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