2016年12月3日 19:10
この瞬間も、死に向かって生きている。「ばあちゃんの呪文」に思う、心に響く生き方
特別、田舎暮らしへの憧れがあったわけではない私だが、東京に住みながらもずっと「心の原風景」みたいなのはあった。そして、その原風景とともに思い出すのが、ばあちゃんの呪文と生き様だ。
私の場合、「母の呪文」ほど「ばあちゃんの呪文」はあまり効果がなかったようだけれど……。
ばあちゃんの田舎にあった、自分だけの基地
東京で生まれ育った自分の中に、子どもの頃からあった「原風景」。
それは、ばあちゃんの家の茅葺き(かやぶき)屋根の家だ。
子どもの頃、毎年夏休みになると、母方の田舎である宮城の山奥に帰省した。
そこは、私がいま住んでいる立山町・千垣以上に本当に何もない「田舎」で、集落自体もこじんまりとした村だった。
大きな茅葺き屋根の家に、中に入ると夏でもひんやりと冷たい土間。
囲炉裏(いろり)。
たっぷりと水が張られた水甕(みずがめ)。家の裏庭にひっそりとあった小さな池と井戸。
夏はたらいに冷たい井戸水を入れてスイカを冷やした。
トイレはもちろん水洗ではなく、「厠(かわや)」という言葉が似合いそうな、家の前を流れる小さな用水路の上に建てられた「離れ」だった。
その「厠」の中には、鈍い灯かりを発する豆電球に、天井からハエ獲りの粘着テープが下がっていて、髪の毛がくっつかないよう気をつけた。
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