2019年5月15日 09:00
愛するためにも愛されるためにも、必要なのは自信ではなく、覚悟です
そのとき自信はむしろなかったですし、そのために自分を満たそうなんて発想もありませんでした。
そこでもう一度「愛すること」「愛されること」について考え直すことにしたんです。
■「愛されたい」という呪いからの脱却
人は誰しも「愛されたい」という欲求を持っています。
それは子ども時代の、「愛されないと」生きていくことができなかった体験に根付いています。
子どもが生を受けて独り立ちするのはほぼ不可能であり、「世話を焼いてもらい、ご飯を食べせてもらい、構ってもらう」ことで生命を維持しようと考えます。
つまり僕たちはみな、「愛されることで生きていける」ということを学習しているわけです。
そして同時にこの学習によって、「愛されなければ生きていけない」という呪いを自分にかけてしまうのです。
■真の自立とは「愛されることへの放棄」
一方で、僕の周りにいる「“依存”という言葉を1mmも感じない自立した人」たちをみると、彼ら・彼女らは「愛される」という発想をそもそも持っていません。あくまで自分が「この人だ」と決めた人を自らの意志で愛そうとしているのです。
そこに「運命的な出会い」の概念もありません。