『クロワッサン』のお疲れ解消・体質改善メソッド8月31日、日々の疲れを解消し、疲れない体になる体質改善などを紹介する新刊『クロワッサン特別編集 お疲れ解消メソッド17』が発売された。『クロワッサン』は月2回、マガジンハウスが発行している料理、健康、ファッションなどの生活情報誌で、新刊はその特別編集版であり、84ページ、880円(税込)の価格で発売中となっている。北陽・虻川美穂子さんの人生初「腸律セラピー」長く続くコロナ禍では、多くの時間を自宅で過ごす状況が続いてきた。ずっと家の中にいるはずなのに、慢性的な疲れを感じる人も多く、運動不足やストレスがコンディション不良を招き、疲れの原因になっているのかもしれない。新刊では、まず読者が抱えている不調、柔軟性、舌の色と状態から疲労度をチェックする。続いて、疲れない体を獲得する体質改善に効果が期待できるツボ、運動、マッサージを紹介。運動不足対策では、「第2の心臓」ともいわれるふくらはぎにアプローチする血流改善法などが紹介されている。また、女性お笑いコンビ北陽の虻川美穂子さんが人生初めてとなる「腸律セラピー」を体験。このセラピーでは、体だけでなく、心の状態も改善するという。さらに体の中を整える睡眠、腸活、水分補給が解説されている。(画像はAmazon.co.jpより)【参考】※『クロワッサン特別編集 お疲れ解消メソッド17』 - マガジンハウスの本
2022年09月06日株式会社マガジンハウス(本社:東京都中央区、代表取締役社長:片桐隆雄)は、2022年1月27日に「マガジンハウス新書」を創刊します。第一弾はこちらの2冊雑誌のような発想で「新書」をつくりました!2022年1月27日、「マガジンハウス新書」を創刊します。情報の鮮度やデザインにもこだわり、雑誌的なアイデアで“今”を切り取ります。雑誌的発想とは、情報の鮮度や深度、こだわり、センス、独特の世界観。極上のエッセイから、ビジネス、健康、料理、スポーツ、カルチャーまで、日々の暮らしや仕事に役立つ、人生が豊かになる、知的好奇心を刺激する――マガジンハウスらしい、POPでカジュアルな新書を目指します!「マガジンハウス新書」第1弾はマガジンハウスにゆかりのあるお二人の作品から!■マガジンハウス新書001五木寛之『捨てない生きかた』捨てる身軽さよりも、捨てない豊かさを。「コロナ以後の新時代」を生きる逆転の発想!『平凡パンチ』で「青年は荒野をめざす」という小説を連載していた五木寛之さんが、「マガジンハウス新書」創刊のために書下ろしたシン(新/深/真)・エッセイ。人生には、ひとりぼっちになることが必ずあります。しかし、モノにあふれた部屋に入れば大丈夫。「ガラクタ」という強い家族、強い味方がいるからです。また、「捨てない」というのは、単にモノを捨てないということではありません。「過去」を捨てない、「人」を捨てない、心を捨てない――すべてを含めて「捨てない」と表現しているのです……。著者自身の「捨てない生活」から、仏教の「捨てる思想/捨てない思想」、「この国が捨ててきたもの」までを語り、モノを捨てることがブームとなっている現代社会に一石を投じます。人生の後半生は、モノに宿った【記憶】とともに生きる黄金の時代なのです!■マガジンハウス新書002松浦弥太郎『新100のきほん 松浦弥太郎のベーシックノート』現在『クウネル』で「大きな山をこえるとき」というコラムを連載中の松浦弥太郎さん、超一流の会社社長も愛読していた「きほんシリーズ」待望の初新書化!【幸せを比べない。真似ることをしない。】【こつこつと、貯めるのは信用。】【自分のものにしない、預かる心で。】【ひとつでも多く、人と人を結ぶものを。】【それで人は幸せになるのかと考える。】【さかさまにも考えてみる。】【その場にいない人の話をしない。】など……。著者がきほんとして書き出し、普段から意識している100項目と、仕事に関するきほん100項目に加え、新書化にあたり10のきほんを書き下ろし。100のきほんは、自分を知るために、自分について考えるために、そして自分らしくいるために、しっかりと身につけておきたいきほんの心がけです。【商品概要】「マガジンハウス新書」2022年1月27日創刊(以降、奇数月下旬発売)<マガジンハウス新書001>■書名 :『捨てない生きかた』■著者 :五木寛之■定価 :909円+税■発売日:2022/1/27■ISBN :978-4-8387-7501-9 C0295■サイズ:新書判、200ページ<マガジンハウス新書002>■書名 :『新100のきほん 松浦弥太郎のベーシックノート』■著者 :松浦弥太郎■定価 :909円+税■発売日:2022/1/27■ISBN :978-4-8387-7502-6 C0295■サイズ:新書判、248ページ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月27日14年間勤めた出版社を辞めて、なんの保証もないまま女一人アメリカに移住した筆者土居彩。大学で半分ほどの年齢の人たちと肩を並べて心理学を学んだり、先住民のみなさんと暮らしたり、恋をしたり失恋したり、禅センターでは雲水修行も行ったアメリカ生活でした。日本帰国を目前にし、この4年半を振り返って、得たもの失ったものを考察します。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 75ここまでのあらすじ。私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた会社を辞め(当時は雑誌『アンアン』編集者)4年半前に、スーツケース二つで渡米しました。自分もそれを提案していた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方を見つめ直して、私にとっての幸せとは何かを実体験の中で確かめたかったからです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、認知症の女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わりました。そして2年ほど定住場所を持たず、オルタナティブ文化の発祥地であるエサレン研究所でボディ・ヒーリングを学んだり、ジョアン・ハリファックス老師のウパヤ禅センターで5か月間の雲水生活をしたり、タサハラ禅マウンテンセンターでボランティアしたりと女ひとり放浪旅をしていました。ハッピーエンドに執着したけれど…ここでは渡米したばかりで右も左もわからない時期からの暮らしをライブでお届けしてきましたが、ことの発端はアンアン編集部に所属していたときの班のキャップが「土居さん会社辞めてアメリカ行くんでしょ? じゃ、なんか書いてくれない?」と、何気なく放ったひと言です。『会社を辞めて、サンフランシスコへ』と題してスタートしたものの、サンフランシスコで暮らしたのは最初の半年ばかりで、最終回のこちらはサンタフェにあるウパヤ禅センターにて、作務の合間の自由時間に執筆しております。で、最終的にこの4年半、ひたすら思うがまま行動して得たもの、失ったものはいったい何か、ということなのですが。現時点で思うことを書きたいと思います。とはいえ、これは時を経てまた新しい思いや発見があり、変わる可能性は大です。正直言えばどこかで、この連載をキレイに終わらせたいという思いがありました。例えば「紆余曲折ありましたが、素敵なアメリカ人男性と結婚して、かわいいハーフの子どもが生まれました。めでたしめでたし」とか、「大学院に合格し、晴れて心理学者の道を目指しています。チャンチャン」のような。でも、なんということでしょう。スタートした4年半前と同じくパートナーは居ないし、学歴だって変わっていません。むしろ仕事を失って、4年半分歳とっちゃったよ! という……。もっとも恐れていた終焉を迎えようとしております。さらには、貯金も相当使っちゃいました、馬鹿高いアメリカの学費と生活費で(こういう急降下ぶりをnose diveって言います。どうでもいいけど良かったら単語帳に加えてみてください)。留学相談はどうか私にしないで。だから、たまに「留学したいんですけど」というご相談をいただくのですが、私のケースは留学ということに関しておそらく世間的に見て失敗例だと思うので、私には相談しないほうがいいです(でも英語ができなくても、バークレー心理学部でオールAを取る方法という謎のメソッドは助言できるかもしれませんが)。むしろ大学院に実際に通って研究室で良好な関係を築いている人とか、ポスドクのポジションで新しいキャリアを築いている人とか、可能なら教授にあたって情報収集してみてください。アメリカの大学院のサイトには、大抵これらの人たちのメールアドレスが全て明記されていますので、興味がある研究室を見つけたらまずはそこで出している論文をいくつか読んでみてください。そして共感できるものや自分だったらこう発展させたいというものがあったら、あとはだめモトで彼らにコンタクトを取ってみてください。さて、では逆に得たものは何か、ということなのですが。現状に腹がくくれるようになったことでしょうか。先日も禅センターのレジデントのひとりに「締めくくりをハッピーエンドで結べず、連載が書けない。読者の期待を裏切りたくない」と吐露すると、「なんでキレイにまとめる必要があるの? 人生なんて、混沌として、とっ散らかったものじゃない、そもそも。パートナーがいなきゃ幸せじゃない、良い仕事についていないと認められない? それってあなたが囚われていた過去の価値観から何も自由になれていないということじゃない? それをあなたの大事な日本の読者に伝えて何か意味があるの? ビートニクみたいに、そういう価値観と反逆するような現実をありのままに書きなよ」。そう言われ「はい、まさにその通りです」と、とっ散らかった現状を目前にして、これを書いております。えーい、どうにでもなれい!中年で会社を辞め、自分の半分ぐらいの年齢の人たちと肩を並べながら勉強することで、「もっと若かったらなぁ」「もっと英語ができたらなぁ」「もっと自由なお金があったらなぁ」といつも無意識に誰かと自分を比較して、一喜一憂している自分の存在を嫌というほどに気づかされました。プログラムを終えて日本に一時帰国したらしたで、母になったり昇進した知人たちと自分を比べて、自分の現状を恥ずかしく思ったりもしていました。渡米して3年ぐらいこれが続いたと思います。当然まだ比較のトラップにハマることがありますが、今はそれをしているのに気づき苦笑いしているという冷静な自分もいます。このように少しは精神的に自立した自分と出会えたことがアメリカに来て得たものでしょうか。「しゃーないしな」マインドは有責態度。おそらくこれが違うステイタスでの渡米だったら、例えばもっと若い年齢で留学していたり、奨学金で学んでいたり、海外転勤や、パートナーに付き添ってのアメリカ生活だったとしたら、私の場合は、この両手を挙げた「しゃーないしな」という降参マインドに到達できなかったと思います。降参マインドは一見無責任にも感じられますが、私にとってそれは目の前の現実とは、大なり小なり自分が作り上げたものだと受け入れ、100%腹をくくる姿勢だと捉えています。ちなみに先日私は友人と考えていた人をひとり失いました。辛い経験でした。ウパヤ禅センターを出たあとに彼女とその友人と3人でビジョンクエストの旅をする予定をしていたのですが、旅の前に彼女は私が滞在していた禅センターに坐禅を組むためにやってきました。そこで前もって黒い服で訪ねてほしいとリクエストしていたのですが、お尻が見えそうなホットパンツに背中全開のキャミソールでやってきた彼女。慌てて黒の作務衣を貸し出しました。そして坐禅の後、レジデントたちが私たちを昼食に招いてくれました。彼女が共有スペースに設置されたサプリメントを取ったり、禅堂用のヨガマットをキャンプ用に借りられないかとたずねる態度にヒヤヒヤしながらやんわりと諭し、時が過ぎ無事に禅センターを早く出発したいと祈っていました。そしてレジデントたちにキャンプ用のテントを3人分借り、せっせと運び出していると、無許可で寮のシャワーを利用し、肩はむき出し胸元が大きく開いた、左胸に赤い大きなバラが刺繍された黒の超ミニドレスを着てシャワールームから出てきた彼女の姿が。そこで私はついにハッキリと言いました。「強く聞こえたらごめんなさい。ここは僧院なの。私の家だったら何を利用してもらっても、どう自由に過ごしてもらっていいのだけど、ここは共同体の場(Place for community)なの。シャワーだって、食事だって、レジデントは労働と学びの対価として、やってきた人は寄付や滞在費を払うことで利用しているの。タダじゃないのよ。そうやってここは維持されているの。あなたはそのどちらでもない。洋服もあなたに似合っていてとても素敵だけど、ここはみんなが教えを守って実践する場所。ここではみんな、肌の露出はなるべく控えているの。僧院がどういう場所か、という点に関して共通理解があると考えて、その点をきちんと前もって説明しなかった私が悪かった。ごめんなさい。謝ります。で、このスペースをみんなが気持ち良く共有するために、もう少し思いやりを持って配慮して行動してもらえないかな? 私の大事なプラクティスの場所なの」。正しい、間違っているを超えて守りたいもの。すると「あなたは規則を守ろうとする人だけど、私は規則があれば破ろうとする人間なの。人が黒を着ろといえば、私は赤を着る。私にとってのスピリチュアルな実践とは、自分を表現するということなの。集団に身をひそめるというのでは無いのよ。悪い人間だ、至らない人間だと、あなたは私を侮辱したのよ。辱めたことを忘れないでちょうだい。あなたは否定的なものに焦点を合わせる人だけど、私は前向きなものに焦点を合わせる人間なの。喜びや楽しさに焦点を合わせることで、そういう現実を創造してきたのよ。あなたが不快な気分を感じることに対して、私は何もできない。だってあなたが目の前の現実を不快だと解釈して、不快を感じるという選択をしたわけだから。それはあなたの選択で、それに対して私は何もできないの。すべてはあなたの投影よ」と言われました。あまりにも雄弁に返されたものだから、「正しい、間違っているとジャッジする私のほうが狭量な人間なのかもしれない」と一瞬煙に巻かれた感じが。でも、その後彼女たちがキャンプに必要な製品をアウトドア洋品店から“買って”使用した後、90日以内の返却保証ポリシーを利用して故意に返却して、全額返金を得ようとしている計画を「私はできない。どうしても正しいことだとは思えない」と言うと「90日返却保証ポリシーから逸脱した行為ではなく、しかも私たちが返却したことで、この高額な製品はアウトレットになり、安く適正な価格で買える人ができる。これは実際には良いことなのよ」という彼らのロジックにどうしても納得できません。確かに正しいとか間違っているという価値判断は人によるものかもしれない。だったら正しい間違っているを超えて、私は私の信条を守りたい。そこで「やはり、この旅行に参加できない。ごめんなさい。どうしても私の価値観とは一致しない。もしあなたたちが不快な気持ちにならないなら、これを私の謝罪と旅への応援だと受け取って」と100ドル札と彼女が持っていなかったキャンプ用のマットを渡しました。贈ったもののどこかで「受け取れないわ」と断ってくれるのを期待してもいたのですが、「ありがとう。正直レンタカー代に助かるわ」と言われ、レジデントから借りたテントや大量の荷物とともに駐車場で彼らを見送ることとなりました。100ドルをさっとカンパすることは今の私にとって大きなことではありましたが、彼女たちが金銭的に余裕がないなかで旅をしていることはわかっていたし、表面的には彼女たちにそれを贈ったと見えますが、実際は自分の信条に投資したということだと捉えています。禅センターで一度は「さようなら」の涙を交わしたバツの悪さから、レジデントたちが夜の坐禅を組んでいる際に忍び足で寮に入ってキャンプ製品を返却し、図書室でコッソリと、滞在するためのホテルをネット検索していました。©Warrenすると法話の準備のために偶然坐禅に参加していなかった先生にうっかり見つかってしまったのですーー。格好悪い! そこでことの顛末を告白することになり、「で、なぜホテルを探しているの? いくらでもここに居たらいいじゃない。みんなも喜ぶわ」と先生に夕食に連れ出してもらい、涙の別れの4時間後には「新しいレジデントのアヤと言います Nice to meet you!」と爆笑の渦のなか、出戻り状態。滞在を二日間延長させてもらうことになり、翌日にはまた典座とともに30人分の食事をこしらえていました。©Tracy写真は出戻りすることなどみじんも想像できなかった別れの前夜に「お礼に」とベジタリアン巻き寿司を振る舞ったときのもの。「すごい!」「フードトラックを始めるべきだ!」とレジデントのみんなに絶賛されましたが、実は巻き寿司を作ったのはこれが初めてという、大胆にもぶっつけ本番。うまくいって良かったです。後ろは強く、前は柔らかく、大胆な心を。心理学者のルネ・ブラウンが言う、”背面は強く、前面は柔らかく、大胆な心 (Strong Back, Soft Front, Wild Heart)”を持つ人でありたいと心から思います。自分が大切だと思うことを貫くためには、ときには「No」と言う必要があります。行動を取るためには常にイエスマンではいられませんし、嫌われ役を買って出る必要もあります。冷静に考えれば、すべての人から好かれることは、どうやったって無理なのです。この4年半でそれがよくわかりました。でも60年代のフェミニズム運動のように硬いバリアを張ったような「No」では無く、ユーモアだったり、与えられるものは差し出せる寛容さを持ちながら、健康的な境界線(Healthy Boundary)を柔軟に引く在り方を模索していきたいと思います。英語がわかると当然も変わる。あとは月並みなことですが、やはり英語がわかるようになって世界は広がりました。知りたいことがあれば、日本語と英語両方の情報源から探れるので、ちょっと角度の異なった意見も参考にできるようになりました。特にアメリカ生活最後に再び過ごしたウパヤ禅センターでは、いろいろなバックグラウンドや価値観の人がやってくるのですが、例えばベストセラー作家のナタリー・ゴールドバーグや、ダライ・ラマとの研究で有名な脳科学者のリチャード・ディビットソン博士を始め、トランスジェンダーのお坊さんが法話をされたりもして、「こういう形で仏教や瞑想を研究だったり執筆活動だったり、新たな創作活動に繋げる方法があるんだ」という、私の「こうあるはずだ」という、無意識の思い込みが外される新鮮な瞬間が日々ありました。写真はウパヤ禅センターで催された、Kaz Tanahashi先生の書道ワークショップで高校生以来の書道を。まず大切なのは「スマイルです。スマイルができていないなと感じたら、一度筆を置きましょう」というKazさんの教えにビックリ。色彩を書道で使うのも初めてで、新鮮でした。アメリカ人の人たちがたった2泊3日で楷書、行書、草書と見る見る上達していく姿に驚きました。一連の出来事の10日前に撮影した写真ですが、「金」「慈」「道」と、偶然にも何かこれから起こることを暗示するような文字ばかり………。自立だけ、依存だけ、を超えた相互存在。ある日、レジデントのひとりに「私は日本にいるときは自立した人間だと思っていたの。でもアメリカに来てからいろいろな人に助けてもらうばかりで、早く自立しなければという思いが強くなった。でもこの4年半で、日本にいたときも決して自立していなかったことに気がついた。今も昔も、『誰かに認められたい』といつも人の反応に一喜一憂し、彼らからどう見られるのか、彼らから承認されなければとどこか精神的に依存していた。これからはあなたのように本当の意味で自立したい」と告白しました。すると彼女に「『私は誰の助けも必要としないわ!』と毅然と振舞うことって案外簡単なの。一番難しいのは、無防備な自分を晒して、相手を頼り、そして裸になってくれた相手にも頼られるという関係性じゃないかしら。生きていくうえでどうやったって、なんの世話にもならないなんて、無理でしょう。だから私がこれから意識的に取り組みたいのは、単に依存(dependence)するだけでもなく、自立(independence)するだけでもなく、助け合いによる相互存在(inter-being/inter-dependence)という関係性なの」と言われてハッとしました。親切するのに、メリットが必要という隠れた思い込み肩書きなし、職なし、女ひとり海外生活という状況に身を置くことで、いったいどれだけたくさんの人が部屋の鍵を私に貸してくれたことでしょう。「なんの得にもならないのに、なんでここまで私に良くしてくれるんですか?」とカリフォルニア州ベイエリアの恩人のひとり、あきよさんに尋ねたときに「アヤちゃん、どうして親切にするために得になるかどうかが必要なの?」と逆に質問を返され、自分の中の歪んだ価値観に気づかされたことがあります。「何か食べたいもん、ある?」とたずねては、いつも私のリクエストのオムライスを作り、「アヤの独特のブレなさは不器用でも絶対それを手放さずに生きていて、星みたいにキラキラしていて。アヤに良くしているなんて思ってないよ? ただそれ、ずっと見ていたいだけやねん。星を見ていたいみたいに」と、パートナーのショーンと待っていてくれるゆかちゃん。「無料は良くない」と断った時点から、KOMBUCHA2本の取引でとてもパワフルなヒーリングをしてくれ、セッション中に生まれて初めてワンネスを一瞬体験させてくれたペルー祈祷師末裔のエミリオ。旅の間中、2年以上も荷物を預かってくれ「今度またカリフォルニアに戻ってくるときまで置いておいてもいいよ」と、今なお荷物を置かせてくれているよしこさん。「あなたならできますよ。楽しんでやってくださいね」と素晴らしい本の翻訳を、翻訳なんて一度もやったことの無い私に任せてくれたカズさん。「存在価値が無いと思ったら連絡しなさい。アヤがそう思わなくなるまで、君がどれだけ優秀な人材なのかを説明しよう」とことあるごとにチェックインしてくれる、元インターン先の社長。帰国に際して不安を拭えない私を「おばあちゃん心を自分にね」と微笑み、抱きしめてくれたハリファックス老師。あなたは涙を見せる前に去っていく人だけど、私たちは本当はあなたの涙を一緒に見たいのよ」と言って送り出してくれたウパヤ禅センターのみんな。そして、「こうあってほしい」という娘像を破壊し続けている私を、感服の「しゃーないしな」マインドで受け入れ、帰国後に延暦寺家族旅行を企画してくれた両親。ほかにも書き出したらキリが無いほどたくさんの人にお世話になりました。たくさん支えられてきたから、支えられる側が持つ喜びと辛さの両方の想いを身にしみるほど経験できました。支え続けられた私はこれから、いったいどうやって人を支えることができるんだろう。そしてまた誰かに支えられていくのだろう。これからの人生をどう構築していくんだろう。まだ何も見えていませんが、宮沢賢治『雨ニモマケズ』マインドヒッピー風味をそこはかとなく醸すカリフォルニア・ベイエリアの人たちとウパヤ禅センターのみんなは、これから私がどこでどう暮らすことになったとしても、人生の師、そして友として大切にしたいと思います。「私がしたことが、アヤの助けになったのだとしたら、私に早くお返ししなきゃと焦るんじゃなくて、それをいつか、ほかの人にやってあげて」と、たくさんの人に言われました。社会の中で無名の良き隣人として目立とうとはせず、さりげなく手を差し伸べてくれたみなさん。はい、できることから少しずつ。不器用なりに、私もやってみます。アメリカのほうが好きか、日本が良いか、と言われるといまだによくわかりません。もちろんアメリカ人だから、日本人だから、という国民性や国のシステムの違いにイラっとしたり感心したりはします。いまだにアメリカ人の公共スペースの使い方や、自己主張の強さには「もうちょっと周りを見ようよー」と辟易とするところがありますし、そのいっぽうで相手の気持ちを推しはかり、地雷を踏まないように話すばかりに焦点が絞りにくい日本の会議をスピードアップしたいという衝動に駆られてしまうこともあります。とはいえ一概にそれもそうとも言い切れず、4年半経って思うのはその人次第だなというところが大きいと思います。心に従って行動した結果、好きが講じて少しずつではありますがそれが仕事にも繋がり始め、瞑想アプリの会社から“セルフ・コンパッション”に関する執筆依頼が来たり、禅センターの体験をインターネットマガジンに執筆する機会があったり、ZENに関する本の翻訳のお仕事をいただいたことも得たもののひとつです。けれども、まだ生活できるレベルには達していません。だからこれからは、第二の冒険が始まると思っています。ひょっとしたら、この帰国後が本当の冒険になるのかもしれません。苦手だった頼んだり頼まれたり、健康的な境界線を引くことも必要になっていくのかもしれませんね。©Yumiko Hiraiいったいこれからどういう形で生活していくのか? 私にとって正しい生計の立て方(Right Livelihood)って?? 四十路の私に仕事が見つかるのかな?? なんて私はまだ古い価値観に囚われていて、仕事は与えられるものではなく、自分で創造するものだと捉えるべき??? まったく謎だらけです。はい、”背面は強く、前面は柔らかく、大胆な心 (Strong Back, Soft Front, Wild Heart)”を忘れずに。ひとつだけ確かなのは、ここでは機が熟せず書けなかったことを含めての4年半の体験を一年かけてまとめたいと思っていることと、結果生計を立てるのとは別の形になったとしても、なんらかの手段で文章を通じてみなさんにお伝えしたり、いつか一緒に瞑想する機会なんかも持てたらなと願っています。そしてこの一年半取ってきたように「これが人生最後の一年だと思って行動しよう」という思いで過ごしていくということ。人生は思うよりも短いのです。最後に緩和ケア看護師のブロニー・ウェアさんによる、人生の最後に多くの人が後悔する5つのことを紹介したいと思います。彼女は死の床にある人々に「人生でいったい何を悔いているか」とたずねてきた人です。以下の5つがそのトップ5だと言います。多くの人が死に際して後悔する5つのこと。1. 人が私に期待する人生ではなく、自分の人生を生きる勇気が持てたら良かった。2. そんなに働きすぎなければ良かった。3. もっと自分の思いを表現する勇気が持てたら良かった。4. 友達ともっと連絡を取り合えば良かった。5. 幸せになることをもっと自分に許せたら良かった。心から、ありがとうございました。この不定期連載をご愛読していただき、大変ありがとうございました。読んでくださった皆さんがいたからこそ、不定期すぎる不定期だったのにも関わらずこちらを続けることができました。心より御礼申し上げます。どうか良い1日をお過ごし下さい!SEE YOU!またお会いする日まで!ありがとうございました。
2019年08月03日人気のダイエット企画が1冊に4月9日、がんばらなくても痩せられるダイエット法を紹介しているムック本『anan SPECIAL がんばらないダイエット!“痩せ活”』がマガジンハウスから発売された。マガジンハウスはファッションやメイク、ダイエットなど、女性向けのライフスタイルの情報を掲載している週刊誌『anan』を発行しており、新刊は『anan』で掲載された人気のダイエット企画をまとめたものとなっている。新刊の価格は810円(税込)で、表紙とグラビアはモデルでテレビ番組などでも活躍中の滝沢カレンさんが務め、インタビュー記事も掲載されている。ストレスなく一生続けられるダイエット春を迎えると、来る夏に備えダイエットを志す女性も少なくないが、毎年、同じように決意し、なかなか結果が出ず、いつの間にかダイエットの意欲は薄れ、その決意も忘れてしまう。このようなことが繰り返されるのは、そのダイエットにストレスがあるからであり、もしもそのメソッドが一生続けられるようなストレスのないものであれば、断念することなく成果も得られるはずで、健康面においてもプラスとなるはずである。「足パカダイエット」「食べて痩せる新常識」ほかこのムック本では、この1年間『anan』で好評だった「足パカダイエット」「ゆっくりスクワット」「体芯ねじり体操」「肩甲骨ほぐし」「さらしダイエット」「ゆるっと朝ヨガ」「骨ストレッチ」など、自室で簡単にできるものばかりを紹介している。また、食事においても「食べて痩せる新常識」「肉食ダイエット」「卵で痩せる」「旨味スープで痩せる」など、栄養面からも考えられたダイエット法が掲載されている。(画像はAmazon.co.jpより)【参考】※『anan SPECIAL がんばらないダイエット!“痩せ活”』 - マガジンハウス 編 - マガジンハウスの本
2019年04月19日14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、女ひとりスーツケースで全米を放浪し続けること早4年。アメリカ先住民のナバホ族のみなさんと生活したり、禅センターでの雲水修行などもありました。さて今回はサンフランシスコで開かれたWisdom2.0に参加し、過去の恋愛関係を見直し、反省するための智慧を授かったと言うのですが……。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 74私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた仕事は辞め(当時はアンアン編集者)4年ほど前に、スーツケース2つでひとり渡米しました。自分自身もそれを提案しまくっていた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方をもう一度見つめ直して、私にとっての幸せのカタチとは何かを実体験のなかで確かめたかったのです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、アルツハイマーの女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わりました。1年ほど前からは定住場所を持たず、オルタナティブ文化の発祥地であるエサレン研究所で暮らしながらヒーリングを学んだり、ジョアン・ハリファックス老師のウパヤ禅センターでは4か月間の雲水生活をしていました。とはいえ、尼さんになりたいわけではない。禅センターに住んでいたというと、必ず次に「で、尼さんになるの?」と聞かれます。そんなつもりないんだけどなぁ。©UPAYA ZEN CENTERでも、スピリチュアルジャーニーとは独りで行うもの。離婚もしているし、当時付き合っていた人に10日間のヴィパッサナー瞑想合宿を終えて、次は4か月間禅センターで暮らしてみると話すと、「俺はリトリートとリトリートの間のつなぎじゃない!」と激怒され別れたという経緯もあったし……。そこで、精神的に成長するまで恋愛は保留です、という思いはあった(いまだにある)ようです。しかしスカラーシップが取れたことで、3月1日から3日までサンフランシスコで開催されたWisdom2.0という会議に参加し、その信念が揺らぎ始めました。Wisdom2.0ってナニ?で、Wisdom2.0とはなんぞや、ということなんですけれども。わかったつもりで使っている言葉、ナニナニ2.0ですが、これってそもそも何なんでしょうか。「10年ぐらい前に流行った言葉だよね」とテックフリークな友人に言われても、ソフトウェアアップデートの通知が出るたびに怯え、『明日再通知する』と後延ばしし続ける超アナログの私には未ださっぱり耳慣れない言葉です。「Web2.0」、つまり発信者と受信者という一方通行ではなく、受信者が発信者になったり、発信者が受信者になったりと多方向に情報を発信できるようになったインターネットの利用法がナニナニ2.0の語源です。そこから、「2.0」という言葉は、当たり前だと思っていた一般常識や価値観がガラッと変わるような新しい考え方、サービスなどを表すのだそうです。創設者の悩めるトレーラーハウス生活が発端。そしてWisdom2.0とは、テクノロジーと新しい「Wisdom(賢さ)」、つまり人生の目的や物事の根本にかかわる深い智慧、を融合させた新しい視点やそのヒントを、スピリチュアルリーダー、心理学、人類学や環境学者、ジャーナリストや作家、政策計画者、社会活動者、企業家などが提案する会議です。見よ! この気の遠くなる程長い受付までの列を。この先もずーーーっと続きます。Perfumeのコンサートじゃないですよ。Wisdom2.0です。そう、大人気なのです。Wisdom2.0は、ホストも務めるソレン・ゴードハマーさんによって創設されました。金髪長身でタイトな黒の上下を着こなし、登壇者たちの言葉を的確かつ優雅に導くソレンさん。その堂々とした姿からは想像もつきませんが、Wisdom2.0の構想が生まれた現場とは、悩める一年間のトレーラーハウス生活だったとか。離婚し、仕事も失い「オレのアイデンティティは何なんだ?!」「いったいオレは何をやっているんだ??」と自問自答する日々を過ごしたそうです。ほぼタダ同然でWisdom2.0コミュニティに紛れ込んでいる私と、そのカースト頂点に君臨するソレンさんとでは現実問題交わるところは全くないのですが、そのエピソードを聞いて妙にソレンさんに親近感が湧いたのも事実(勝手に)。等身大の尼問題について考えてみよう。そもそもこのスカラーシップを申請したのは、私の二人の先生、ウパヤ禅センターのジョアン・ハリファックス老師とUCバークレー心理学部のダチャー・ケトナー博士が登壇するから。社会に関わる仏教(Engaged Buddhism)を実践する老師と、畏怖の念と利他的な行いの相関関係を研究するケトナー博士。そして終末医療におけるドラッグの有用性について新刊を出版したマイケル・ポラン博士による対談を聞いて「畏怖の念と慈悲の心、そして社会変革を」みたいな壮大でかっこいいテーマについて書こうと思っていたのですが。どうもマイクロで申し訳ありませんが、むしろ目前でくすぶっている「尼問題」が緊要なので、Wisdom2.0の中でジョン・ゴットマン博士(写真上)らによって語られた『生涯かけた愛に必須のコミュニケーションとは?』をもとに、恋愛では失敗続き、そのうえ「全ては空である(あらゆるものには自性はなく、変化を続けることが存在の本質)」といった内容のお経を毎日唱えすぎた結果、恋愛に対してすっかり傍観者状態となった私がどうやったら再びモチベーションを上げられるのかを考察することとさせてください。シングルで恋愛も諦めている女。登壇したのは2組の夫婦であり、4人のパネラーです。まずジョン・ゴットマン博士(写真右から2番目)は、ワシントン大学心理学部の名誉教授で、同大学に『The Love Lab(愛研究所。「ラブラブ」と親父ギャグなところがイイですね)』を作って恋愛関係や、パートナーシップについて40年以上研究してきた、まさにラブ街道まっしぐらの権威。ジュリー・シュワルツ・ゴットマン博士(写真右)は、その妻で臨床心理学士として結婚、セクハラ、レイプ、家庭内暴力、同性婚、子育て問題などを取り扱うエキスパートです。ゴッドマン博士の話をリードするのは、ジャーナリストで、ダライ・ラマ、デスモンド・ツツとの共著『よろこびの書-変わりゆく世界のなかで幸せに生きるということ』を出版したダグラス・エイブラハムさん(写真左)。そしてその妻であり、統合医療、セクシャリティや関係性を専門としたレイチェル・カールトン医学博士(写真左から2番目)です(才色兼備!)。まずダグラスさんが会場にジャブを放ちます。「この中で20年以上のパートナーシップにある人はいらっしゃいますか?」「では、10年から20年は?」。ちなみにここで、ダグラスさんが「うわお!」というほど会場過半数の人が手を挙げ、肩身の狭い思いをしました。ダグラスパンチは続きます。「10年以下は?」「シングル?」「シングルで、募集中?」「シングルで、もう恋愛をあきらめちゃってるとか?」(はい、そうですよ。手は挙げませんけどね)。二人だからこそ学べることってなんだろう?禅寺を出たばかり、洞穴でも瞑想したよ、なんていうおひとりさま街道まっしぐらな私は、しょっぱなからダグラスパンチをストレートで食らったワケですが。「私はもう恋愛、キャリア、何に関しても強い望みも執着も、煩悩として手放しました」などと思っていたけれど、パンチの痛みが予想外に強かったので、姿勢を正して真面目に聞くことにしました(若干、前のめり)。そういえば禅センターにいたころ、同レジデントのマリィに「ねぇ、ここでみんなにすごく気にかけてもらって、老師にもいっぱい愛をもらっているのに、なんで寂しくなるのかなぁ? 精神的に満たされているはずなのにそう思っちゃうから、ちょっと罪悪感」と打ち明けると、彼女から「そりゃそうよ。私たち修業したってさ、そもそも動物だもん。スキンシップの無いこの生活は、まぁ孤独にもなるわよ」と言われて、深く頷きすぎて首がもげそうになったっけ。(余談ですが、プロのボディワーカーだったマリィにはクリスマスプレゼントにマッサージしてもらいました。優しいね)。さてジュリー博士も、私たちはそもそも群れで暮らす動物だから、生物学的にもつながりが不可欠であること。1日24時間週7日パートナーと暮らすことで、共感力、調和を育み、良い時間だけではなく、特にストレスや難しい関係から思いやりや分かち合いというもっとも神聖な自分の一面を知り、成長することができるといいます。パートナーは、自分の光と影を写す鏡。ジュリー博士を見つめながら、夫のゴットマン博士は続けます。「パートナーシップから、思うほど自分が聡明じゃないと気付かされますよね。うちの場合も妻はこの世界で知り得ることのすべてを知っていて、私といえば、まぁその残りを知っています。これはマーク・トゥエインがそういうことを言っているのを、盗用したんですけどね」。いいなぁ、いいなぁ。ゴットマン博士、すごい研究者なのに、ちょっとユルくて。好きだなぁ。「二人の関係性のなかで、影響を与え合うこと、そして受け入れることを学び、そこから成長が始まります。つまり、個人の成長ともすべてつながっていますよね」と博士。また、パートナーシップはどうしても心の深い部分に触れることになるので、親子関係など子ども時代にできた傷によって、相手に自分の心の奥底にある恐れを投影してしまうのだとか。才色兼備なレイチェル博士も例外ではないそうで、「見捨てられたり無視されたりすることが怖くて、自分のどうしようもなく酷い部分を夫のダグ(ダグラスさん)に見せつけてしまったりしますよ。パートナーとは、これ以上ないっていうぐらい鮮明に自分の光と影の両方を写す存在です。でもそんな最悪な自分を見せても、ダグは逃げ出さずに私を愛し続けてくれる。そうした関わりから自分の光と影の両方を愛せるようになり、心の奥底に潜んでいた恐れも少しづつ薄れていったんです」。研磨剤として成長を促す。ちなみにダグラスさんとレイチェル博士は全然育ってきた家庭環境が違ったのだとか。「僕はユダヤ系家族で育ったから、言い合いこそが愛、という雰囲気でしたね。いっぽうプロテスタントの家庭で育ったレイチェルからしたら『あなたって、火星から来たの?』という感じで。そこで初めて、『え、みんなこんな感じじゃないの?』って気付かされましたね。このようにひとりではなく二人だからこそ、影響を与えあって、違いを受け入れ合って、さらにはそこでどうやって自分から不純物を省けるかと学んでいけます」。運命の相手、ソウルメイトってどんなヒト?ところで私たちはたったひとりのソウルメイトを求めるものですが、それっていったいどんな人なんでしょうね。「スピリチュアルな男女の道を歩むために、一般的にある種完璧で、カーボン紙で複写された写しみたいに自分にぴったり合うような人をイメージするものですよね。やっぱり自分と同じような人がいいんでしょうか?」とダグラスさんがゴットマン博士に尋ねます。遺伝子型が近い男性のニオイは臭い。「スイス人の生物学者 クラウス・レディケンによって行われたTシャツ研究というものがあります。男性たちが2日間着続けたTシャツをそれぞれ同じ箱に入れて、女性たちにどの匂いが好きか、性的に魅力を感じるのか実験したんです。すると女性たちは、免疫系を司るMHCという遺伝子群があるのですが、自分と異なるMHCを持つ男性が着ていたTシャツの香りを好んだんですね。生物学的に考えて自分の遺伝子を確実に残すためには、異なる免疫系を持っているパートナーを選ぶほうが、生まれてくる子どもが病気にかかる危険を回避できる可能性が増しますよね。そこで遺伝子レベルでは、全く違うタイプの人のほうが相性がいいんですよ」とゴッドマン博士。違うから、相性がいい。さらに最近の研究では、匂いが好みだった男性に女性が実際に会ってみたら気にいるのかを調べたのだとか。「結果は、好きだったんですね。だから全然違う人を実際に選ぶものなんですよ。それなのにうまくいかなくなったときに、『あなたって、違う!』と非難するものですが、そもそも自分と違う人を選んでいるわけですから違っていて当たり前。お互いを気遣い、違いを受け入れ、共通性を作っていくことが円満の秘訣です」。相手選びを誤ったのか、視点が低すぎたのか?前回の恋愛における敗因は、愛されたい症候群の元カレと、愛されているという実感を男性に沸かせるのが下手な女(=私)という最悪の組み合わせによるものだと思っておりました。さらに人種も年齢も生活するコミュニティも全然違ったので、彼の友達の食事会(アジア人ゼロ)に招かれたときに、「えー、日本人なの? 日本人って一番良いアジア人だよね!」と笑顔で言われて、愛想笑いを返しながらも、実は嫌な気分だったと後日打ち明けたら、「えぇ、そうなの?!(良いって言われているのに?)。そういう彼だってメキシカンなんだけどねぇ」と言われて、さらに不快に感じたっけ。あなたと過ごした時間も、ある意味2.0。でも、富士山レベルの高い視点で見れば、苦手パターンをお互いに克服するにはぴったりの相手だったとも言えるかも。猫の毛を逆なでするぐらい、ギャーッな相性の悪さ!と思っていたけれど(ちなみに写真は、親に預かってもらっている猫)心の持ちようでは、スピリチュアルな学びの相手として最高だったとも考えられるのでしょうか(う〜ん……、そこまで宇宙視点で物事を捉えられない)。とはいえ、このところずっと一匹狼的に生きていたので、そんなふうに人に対して怒ったり不安になったりということがあまりなかったので、そんなダークな一面が自分にあると知れたのは、ある意味感謝ですよね。相手無くては、わからないものですから。自分の価値観が全く通用しない場合が往々にしてあると石頭をかち割られ、パラダイムシフトを果たせたという点では、まさに2.0体験でした。どのみち、今はひとりの時間です。先月日本に一時帰国したときには曹洞宗の総本山、総持寺で接心に参禅し、憑き物を落とすように警策を受けてきました。繰り返しますが、総持寺の雲水さんの雑巾掛け姿をFacebookのカバー写真にしているからって、尼さんになるってわけではないんですよ。誤解です。2020年Wisdom2.0日本初上陸さてこのWisdom2.0ですが、来年2020年3月20日、21日、日本に初上陸するとサンフランシスコの会場で発表されました。写真は左から、Wisdom2.0共同創設者の木蔵シャフェ君子さんと荻野淳也さん。お二人は、今ここに生きるマインドフルネスをビジネス、医療、一般の場に活用するための取り組みもされています。「今のまんまなんにも変わりたくないです」という人はヤケドしてしまうかもしれませんが、自由な発想や新しい自分を発見してみたい人はぜひ足を運んでみてはどうでしょうか。Wisdom2.0 Japanについては、以下 YOU!Wisdom2.0 Japanのみなさんとの夕べ。久しぶりのお酒で、顔が寝ています。恋愛全敗中の私にそっと荻野さんが渡してくださった本、ジョン・ウェルウッド著『パートナーシップのマインドフルネス(愛を育てる瞑想のプラクティス)』も、パートナーシップをスピリチュアルな精神成長のための道だと見直すための必読本!
2019年03月15日14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、女一人スーツケースで全米を旅し続けること早4年。アメリカ先住民ナバホ族と暮らしたり、’60年代以来、オルタナティブな文化の発信地として世界的に有名なエサレン研究所の毎日、そしてウパヤ禅センターでの癒しと学びの雲水生活、その9か月間をダイジェストで振り返ります。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 73私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた仕事は辞め(当時はアンアン編集者)4年ほど前に、スーツケース2つでひとり渡米しました。自分自身もそれを提案しまくっていた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方をもう一度見つめ直して、私にとっての幸せのカタチとは何かを実体験のなかで確かめたかったのです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、アルツハイマーの女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わり、1年ほど前からは定住場所を持たず、ゴールもあらかじめ設定しすぎない放浪生活をしています。会社を辞めて渡米後にどうなったかをずっとananwebで書かせていただいていますが、ずいぶん音信不通にしておりました。大変申し訳ありませんでした!!!連載をぶっつり9か月間も放置しながら、一体何をしていたかというと…。ヴァレラ シンポジウムに参加する。まず2018年5月にニュー・メキシコ州にある禅センター、ウパヤ禅センターで開催された『ヴァレラ シンポジウム(旧:禅ブレイン)』に参加しました。それは、脳科学者のリチャード・デヴィッドソン博士を始めとする世界的な研究者たちが、非暴力かつ効果的な方法で民族の違いや対立を超えて、解決を導くためのヒントや実例について研究データを交えながら発表、討議するというもの。シンポジウムに参加したのは、大切な友人がつないでくれたご縁で、その後にアメリカ先住民 ナバホ族が暮らす、アリゾナ州にあるビッグ・マウンテンという地での先住民の人々との生活を控えていたからです。彼らは「この聖地は母なる大地の内臓にあたる場所。それを掘り起すなんてもってのほか」と、アメリカ政府の石炭発掘開発に対する反対活動として、水道も電気もガスも走っていない地で暮らす人々です。会社を辞めてから、いろいろと学んだり、瞑想したり、お世話になったりしていくなかで、「で、いったい私に何ができるんだろう?」という気持ちが募っていきました。そんなときに「彼らについて日本のみんなに書いてほしい」とお世話になりまくった友達のリクエストを受けることになって、彼らのことを全く知らない私が「でも、どうしたら?」。そのヒントを得たくてシンポジウムに参加したんです。シンポジウムでは、脳科学的にも人間には本来思いやりの心が備わっていることがデータとともに語られ、ヒマラヤやメコン河での環境保全に携わってきた博士なども登壇し、とても鼓舞されるものでした。ビッグ・マウンテンでの羊飼い生活。シンポジウム後に勢いづいて、「よし!」とビッグ・マウンテンへ向かったのはいいけれど、想像と現実には大きな隔たりがありました。私は単なる足手まとい。そのうえ精一杯でも、ほぼ無収入状態の私が差し出せるお金は僅かなものです。では精一杯働きますと、羊飼いのお手伝いや家事をしながら数日間暮らしたわけですが、羊毛にへばりついた糞やダニを素手で掃除しても、清潔な水では手を洗えず、またその手で料理を作ります。土埃で髪は砂まみれ、体は汗だくでも、当然シャワーなんて浴びられません。そして電気がないので、日の入りとともに床の上に羊の皮をひいて耳栓しながらナバホ族の男性ふたりと一緒に川の字になって雑魚寝します。朝一番には都市から運んできたワイン樽大のプラスチックタンクに入れた水道水を、ホースを使って口で吸い込み大型タンクに移す作業をするも、何度も肺に水が入ってしまい窒息しそうになります。気候変動は、目の前の現実。ある日、頭にべったりと血がついた羊を目にしました。ここ数年続くひどい日照りによって草木が枯れ、ウサギがいなくなり…。餌を失ったコヨーテが極度の空腹に耐えかね、もはや目の前に人がいても、恐れずに羊を襲うのです。気候変動の影響をまざまざと見せつけられる毎日で、このほかにもここでは書けないようなショッキングな体験もしました。たった数日間で、おかしな咳にも悩まされるようになり、やむなく山を降りるという苦渋の決断をしました。その後自己嫌悪に陥り、「私なんてなんにもできない、口先ばっかりの人間だ。そんな私が書くものなんて、なんの救いにもならない」と全く原稿が書けなくなってしまったのです……。エサレン研究所で過ごした1か月。その後、カリフォルニア州ビッグ・サーにある、オルタナティブ文化の発祥地 エサレン研究所で1か月間、施設の仕事を手伝いながら学ぶ学生(ワーキング・スカラー)として暮らしました。エサレン研究所に志望動機エッセイを書いて選ばれると、通常の1/5ほどの費用で滞在できるのです。プログラムを担当する先生は、スザンヌ・スカーロックという30年以上のキャリアを持つクラニオセイクラル・セラピーの指導者でした。彼女はそれに瞑想や西洋心理学、先住民の智慧などを組み込んだ独自のヒーリングメソッド“ヒーリング フロム コア(深部からの癒し)”を開発し、全米を中心に世界でワークショップを行っています。動く瞑想で、号泣する。授業中に身体の声を聴いて何も考えず、ただ手や足の意志に身を委ねて動くという瞑想法も教わりました。私が日常的に取り入れていた身体の動きを固定するヴィパッサナー瞑想とは全く違うアプローチでしたが、両手を目の上に置いたとたん、涙が止まらなくなりました。スザンヌだけではなく、クラスメートたちにも頑張りすぎ、自己批判しがちだとも助言され、これまで見たくないものをたくさん見てきたことをただ認め、自分に寄り添うという自己ヒーリングに集中しました。優しいタッチで触れ合うヒーリングテクニックも学んで、お互いに癒し合いもしました。エサレン研究所では、朝からだいたい15時頃まで草むしりや草木の剪定、道路を掃いたり、ベッドメイキングなどに従事し、授業は夕方から開始。また、週に一度はスザンヌの講座だけではなく、ゲシュタルト療法による公開カウンセリングも受けました。授業の後や週二度の休日には、みんなでギターを弾いたり、歌ったり、エサレン名物の温泉にもつかりました。男女混浴の洗礼。温泉は、男女混浴なので恥ずかしがっていると、「アヤ、体は美しいよ。恥ずかしくなんかない! 見てごらん!」と全裸でミケランジェロ像のように仁王立ちしてくれた同級生(男性)も(笑)。毎日ダンスをしたり、週末には海で子どもみたいに風車をしてもらったり、会話の流れでまじめくさると絶妙なタイミングでオナラをして笑わせてくれたり……。世界的なセラピストによるクラニオセイクラル・セラピーも受け、たくさん泣いてたくさん笑いました。再び青春時代に戻ったような、まぶしい日々を過ごしました。本当は全然大丈夫じゃなかった。実はホームレス旅生活を決行したのは、ここで書いていたほど前向きな理由じゃなかったんです。当時の私は完全に行き詰っていました。バークレー大でオールAを取っても、討議にはついていけない程度の英語力の私は、とてもじゃないけどアメリカで大学院レベルの心理過程へ進むなんて無理だと思い知らされました。UCSFでインターンするも無給で持続不可能だし、日本人を治験者にした研究のアシスタントをしていても、心理過程大学院レベルの学位が無い未経験者だからと重要なデータ分析には参加させてもらえず、あえなく中断。とある会社では就職を打診されたけれど、ワーキングビザが発行できなかったため、断念します。結果、貯金を切り崩しながら暮らす日々で、「本当に伝えたいことだけを書く」と覚悟したのはいいけれど、ライターとしても満足には生活できていません。というわけで、こんな全てが中途半端な状態でビザが切れて帰国したら、どんなに恥ずかしくて、悲惨なんだろう? 親や友達は、そんな私のことをどう思うだろう?? 例えば、一時帰国でウィークリーマンションを借りるも、カード先払いにもかかわらず、どこにも所属せず社会的信用がない私は、親の保証人サインがないと契約できないという有様なのです。消えてしまいたい衝動を抱えながら。応援してくださるみなさんには本当に申し訳ないけれど、「この世界から消えてしまえたら、どんなに楽だろう……」。そんなふうにも考えていました。日々思い詰めて、ふと「ビザが切れるのは約一年後。どうせこの世界からいなくなるなら、その覚悟で残りの時間と貯金を使って生きてみたらどうだろう?」。そして部屋を引き払い、いままでの思考パターン「何かになろうとする」からいったん距離を置き、直感的にただ思いのまま行動してみることにしたのです。というダークな思いを、エサレン研究所でワンワン泣きながら初めてクラスメートに告白することができました。そうして、本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをすることで閉ざしてきた心が少しずつほぐれていったのです。ウパヤ禅センターで4か月間修行。エサレン研究所の後は、ニュー・メキシコ州サンタフェに再び飛び、ウパヤ禅センターで4か月間雲水生活をしました。素晴らしいシンポジウムに参加したのはいいけれど、頭でわかっているだけで実行に移してみたら何もできなかった私。これからまた実社会の中で生活していく前に、コミュニティと一緒にプラクティスしながら、しっかりとした軸を作っていきたいと思ったのです。ウパヤ禅センターでは、作務衣姿で朝6時には起床し、7時から坐禅と朝礼。日本語でも読んだことが無かった、ローマ字で書かれた摩訶般若心経を毎日唱え、侍者として導師に付き添い、参禅中の線香を渡したり、袈裟を整えたり。私はキッチン作務担当だったので、典座と呼ばれる料理長とともに毎日5時間以上かけて20人から100人分の3食を作り続けました。坐禅は朝に加えて、12時、17時半と毎日3度あって、坐りながら開始を知らせるための木版を打ったり、終了の鐘を鳴らしたり。禅センターですが、日本人は私ひとり。アメリカ人を筆頭に、オーストラリア人、ドイツ人、イギリス人、アイスランド人、ポーランド人など老若男女ともに暮らしていました。2か月ほど経ったときに、腰が痛いという母ぐらいの年齢の女性に変わって皿洗い用の水を溜めた大きなたらいを運び続けるうちに今度は私も腰を痛めてしまいました。毎週鍼治療に通っても、そのときはいいのですが、またぶり返してしまいます。今の自分でも、いいんだ。©UPAYA ZEN CENTERそこでプレジデントに「労働と引き換えに、ここに無償で住みこみ、3食いただいたうえに勉強までさせていただいています。それが十分にできない今、ここを去るべきだと思うのですが……」と相談するとビックリされ、「そんな必要はありません。あなたの問題は、コミュニティ全体の問題です。一緒に考えていきましょう」と言われて、今度は私のほうが驚きました。“いい子”じゃなくても、できが悪くても、私を受け入れようとしてくれる人がいる。不完全な私のままでも居場所はあるのだ。それは、ブレイクスルー的な体験でした。ジョアン・ハリファックス老師からの学びと癒し。そして僧院長であるジョアン・ハリファックス老師との出会い。彼女は外国人女性として初めて、昨年曹洞宗の総本山である総持寺で開かれた世界仏教徒会議で基調講演されました。禅センターを作り、何冊もの本を出版し、世界中を飛び回って講演しながら、毎年医師団を連れてヒマラヤの山奥で病院をキャラバンするという老師。こちらでエンゲイジド・ブディズム(社会と関わる仏教)と呼ばれますが、仏教から学んだ教えを社会貢献に活かしている人として全米でとても尊敬され、大変有名な人です。そこで、お会いするまでは勝手に「鉄の女」的な印象を持っていました(笑)。©UPAYA ZEN CENTERそんな老師と初めてお話ししたのは、みんなで輪になって率直な思いを述べ合うカウンシルという集いででした。皆が良い意見を出し合って、では最後の締めくくりをといったタイミングで私が最悪の爆弾を投下しました。それは、仏心があるなんて信じられない!「誰もが仏だと言いますが、私はどうしてもそれが信じられません。だって私はすごく自己中心的だし、できればもっと怠けていたい。朝起きるときも、まだ寝ていたいなぁ、面倒臭いなぁといつも思っています。“もっといい人間になりたい”と思うから、こうして修行しているわけで、どんなに坐っても勉強しても働いても、そんな私がそもそも仏だ、なんてとても思えないんです」というずっと抱いていた困惑をストレートにぶつけたのです。すると老師が、身体全体の慈しみが溢れ出るような思いやりに満ちた目で私をじっと見つめ、ただ「素晴らしい……」「美しい……」と言いました。私を全く否定せず、全身全霊で、ただともに居てくれたのです。それはたった2分程度だったでしょうか。でも、「これが今ここにあるというマインドフルネスの力なのか」、そして「良い悪いと判断せず、ありのままの現実を思いやりの心で見るということが、こんなに癒しになるんだ」と理解するのに十分でした。老師は、本当に包み込むような圧倒的な優しさとエネルギーを持つ美しい人です。頭での理解を超える体験。その体験は、言葉ではうまく言い表せないのですが、頭での理解を超えて、「なるほど」が身体の芯部から突き抜けていくようでした。その日から、私は老師とウパヤ禅センターと恋に落ちたのです。クリスマスには車で2時間ほどいったアメリカ先住民が暮らす集落(プエブロ)へ老師や皆と訪ね、彼らの鹿ダンスを見学しました。寮のドアを開けたら雪が胸の位置まで積もっていて、平泳ぎの手で雪かきしながら朝一番のトイレに行く経験もしました。毎週グルテンフリーのタルトを焼いてくれるレジデントがいたり、安居(あんご)と呼ばれる1か月間の集中修行の後で「髪への執着から自由になりたい!」というレジデントのために急遽ヘアサロンをオープンしたりも(その様子をビデオで記録したら、以来ヨーコ・オノと呼ばれるようになりました、笑)。そんなふうに一緒に笑ったり泣いたり怒ったり支えあったりしながら、ウパヤ禅センターでの4か月間が過ぎて行きました。禅センターを出た今は、まだ少し夢の中にいるようです。しばらくバークレーで翻訳作業に携わりながら生活していますが、今は「こうなりたい」とか「こうしたい」という気持ちがますます薄れていて。価値観や自分の状況がより鮮明に把握できるようになってきたにも関わらず、なんだか少し他人事のような感じなんです、自分の人生が。今ここから自分がどこに向かっているのか全くわからなくて、ちょっと怖いけれど、意外にそれをあまり怖いとも思っていないことがまた怖いというか(笑)。うまく説明できないんですが。でも、目の前のことや人たちにはできるだけ誠実に。今ここに集中して気をそらさず、できる限り、目の前の責任を果たしたいと思います。SEE YOU!
2019年03月02日こちらアメリカの2017年トレンドメニュー「アボカド・トースト」。原価のわりに値がはるので、これをやめなければミレニアル世代は家が買えないと警鐘を鳴らした億万長者もいたほど大ヒット。今ではオシャレなカフェの定番メニューになっています。けれどもサンフランシスコの現実と照らし合わせて見れば、そう簡単にはことは運ばなさそうで……。考察してみました。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 69みなさんアボカド・トーストのことをご存知でしょうか?その名前の通りズバリ、潰したアボカドを塩こしょうとレモンジュースで和えたオープンサンドのこと。こちらアメリカにおける2017年のトレンドフードだったこともあり、わたしが住む西海岸ベイエリアでは多くのカフェや人気レストランの定番メニューとなり、半熟ゆで卵やサーモン、トマトやフェタチーズなどをアレンジした、お店それぞれの趣向を凝らしたアボカド・トーストが食べられます。例えば『Blue Bottle Coffee』ではシソふりかけ(!!)が和えられたシンプルなアボカド・トーストが9ドル。4.5ドルのラテを一緒に注文すれば、税金(カリフォルニア州税が9.25%)とチップ(15〜20%)を合わせて合計18ドル程度になります。つまりトーストとラテで2000円するわけですね。家が欲しけりゃアボカド・トーストをやめよ、という億万長者のアドバイス。ところで1980〜2000年頃に生まれた人を「Millennials(ミレニアル世代)」と呼ぶのですが、オーストラリア人億万長者のティム・ガーナー氏(彼自身もミレニアル世代)が『60 Minutes』という番組のなかで、ミレニアル世代は流行りのアボカド・トーストを買うのをやめなければ「自分の家を持つことができないぞ」と警鐘を鳴らし、節約を促しました。じゃあ、やめればサンフランシスコに家が買えるのか?ところがParagon Real Estate Groupの調査によれば、2017年5月の時点でのサンフランシスコで販売されている家の中央値は150万ドル(1ドル110円で計算しても、約1億6500万円!)。高級住宅に限り、じゃないですよ。中央値(median price)が、です。つまりアボカド・トーストとラテを8万3334回やめればサンフランシスコに家が買える計算になり、1年が365日だとすれば毎日食べていたとしても229年かかります。人間の平均寿命を考えると、アボカド・トーストを止めたところで家は買えないというわけです。年収1000万円以下が低所得者になり、2018年7月の時点で最低時給が15ドルになるという異常バブルなサンフランシスコですが、当然アボカド・トーストを注文できない人もたくさんいるわけで、いったいアメリカでは何がどうなっているというのでしょう?トップ0.1%の人たちがその他の200倍稼ぐ。INEQUALITY.ORGより経済貧富格差が大きな問題になっているアメリカですが、上の図はカリフォルニア大学バークレー校が2015年度の全米における世帯年収を調査したグラフ。これによるとアメリカの世帯年収トップ10%の人たちの平均所得は、その下90%の9倍以上。さらにはトップ0.1%の人々は、ボトム90%の人々の約200倍も稼いでいることになります。また世界最大のヘッジファンドBridgewater Associatesの創設者であるレイ・ダリオ氏によれば、トップ0.1%の人たちの世帯年収の合計は、ボトム90%の合計と同額なのだとか。つまり、たった0.1%の超富裕層の収入合計とそれ以外のほぼ全員の収入合計が変わらないというのです。つまり、サンフランシスコの所得1000万円以下が低所得者という話もこれに当てはめれば、ものすごく稼いでいる人が平均値を大幅に上げていることは確かで、どうやら過半数の人が1000万円以上の年収があるという話ではないのです。ところで上の動画は昨年観たマイベスト映画、ショーン・ベイカー監督の『The Florida Project』(フロリダ・プロジェクト。日本公開2018年5月予定)のトレーラー。この監督は他作品もiPhoneで撮ったりと低予算で実験的なことをやっていて、個人的に注目しています。さてこちら『Florida Project』では世界最大のアミューズメントリゾートである『ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート』がある、フロリダ州が舞台。『マジック・キャッスル』と呼ばれるモーテルにシングルマザーの母と暮らす6歳の女の子の目線で見た貧困層の人々の暮らしが描かれています。モーテルで暮らすなんて、アパート生活よりも割高では? と一見思えますが、きちんとした定職が無かったり、犯罪歴があったりすると入居審査に落ちてしまうので、結果こういうモーテル暮らしになるワケです。バイト生活者も利用していたフード・バンク。この映画のなかに賞味期限スレスレの食品を企業やスーパーからの寄付を受けて配給するフード・バンクの車が出てきます。映画を観ながらふと、サンフランシスコのヘイト・アッシュビーで暮らしていたころにハウスメイトの女性が毎週末『Haight Ashby Food Program』というフード・バンクの列に並んで、オーガニックスーパー『Whole Foods』や『Trader Joe’s』のパンや果物、惣菜を持ち帰っていたことを思い出しました。日本で暮らしていた頃はこういう配給を受けるのは相当な生活貧困者だろうと思っていたのですが、そうでもなかったんですよ。20年以上サンフランシスコで暮らすという30代の彼女はオシャレな花屋に勤めながらこちらの短大であるシティ・カレッジで何コマか授業を受けていました。彼女にはアルバイトとはいえど毎月収入がありましたが、家賃を払ってたまにカフェに行ってというので生活がやっと。「ここ数年の家賃の異常な値上がりで普通に生活できない」と、彼女のように今までサンフランシスコで暮らせていた人たちも生活がどんどん厳しくなっています。実際に彼女とハウスオーナーと3人で暮らした写真の家は昨年秋に売りに出され、オーナーは北カリフォルニアに引っ越しました。そこはサンフランシスコで初めて自力で問い合わせて住めた家だったので、売り出しの看板を見た途端、想い出が失われるようななんともいえない気持ちが。「サンフランシスコは、もう俺の知っている街ではないよ」と最後に言った、その家で生まれ育ってきた50代後半の彼の言葉は、忘れられません。どうやっても家は買えない。だから、買うことができるたまの贅沢としてヒップなトーストとサードウェイブコーヒーを楽しむという姿勢は、たしかに刹那的ではあります。でも実際にベイエリアで暮らすミレニアム世代を見ると、それはある意味彼らの厳しい現実における自然選択なのではとも思えるのです。SEE YOU!
2018年02月23日図らずともやさぐれモードで始まった二度目のヴィパッサナー瞑想合宿。セルと呼ばれる独房に篭って瞑想し続けた結果、心の深い深い部分まで向き合うことになりました。結果、”40歳を目前とした不安”について延々と語る女性に自らを晒せるほどエネルギーが軽くなったのですが。いったいどんなステップを踏んだというのでしょう。時系列でご報告します。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 67くしゃみが止まらず、ティッシュが手放せない。2回目のヴィパッサナー瞑想合宿、前編はこちらをどうぞ。やさぐれモードで始まった2回目のヴィパッサナー瞑想合宿ですが、始めの3日間はとにかく眠くて、眠くて。あろうことか瞑想中に寝落ちすることが多々あったほど。そこで休憩時間は散歩もせずにひたすら気絶したように爆睡していました。朝の4時半から瞑想がスタートするのですが午前中はくしゃみ、鼻水と涙が止まらず、ティッシュ箱が手放せない状態に。まったく集中できません。健康だけが取り柄だったのに、どうやらアレルギーになってしまったようです(これって、瞑想アレルギー?)。結果、ティッシュ箱と頭からすっぽり被れるぶ厚めのストールが瞑想時の私の必需品に。ちなみに合宿中にみんながどんな格好をしているのかというと、写真上のようなポンチョ人口が高かったです。ポンチョの下はパジャマのようなゆるいスウェットの上下。分厚い靴下を履いてビルケンシュトックのサンダルというのが北カリフォルニア ヴィパッサナー瞑想合宿の定番ファッションのようです。「大草原の小さな家」のローラ気分の寮。寮の部屋の様子はこんな感じ。前回のヴィパッサナー瞑想合宿で訪ねたNorthern California Vipassana Centerとさほど変わらなかったので、そちらを再掲載しました(携帯電話を没収されるので、写真撮影ができないんです)。シングルサイズのほどよい硬さの低反発マットが敷かれたベッドに、ナイトテーブルとデスクランプ。あとはゴミ箱とティッシュ2箱にハンガーが5本です。今回違った点は、全室個室で洋服ダンスがありました。※ヴィパッサナー瞑想合宿・初体験記事は、こちらをどうぞ。寮はこのように木々に囲まれた原っぱに何棟か建っています。ちょっとした『大草原の小さな家』気分です。10日間の寮のトイレ掃除は、有志で行います。3日目に、当番表が埋まっていなかったため、睡魔と戦い意識朦朧としながらトイレ掃除をしてみました。現在8人で暮らしている家でもそんな感じなので、「私の人生、トイレ掃除しているうちに終わりそうだな……」と思って、少し気が滅入ります。独房に篭って、瞑想し続ける。今回の合宿所ではメディテーションホールで集団瞑想を行うだけではなく、パゴダと呼ばれる仏塔(写真上)の個室でも瞑想できるとか。日本の侘び寂び、簡素な仏塔とは趣が違って、超エキゾチック&ド派手な外観ですね……。余談ですがこのパゴダの小さな個室のことを英語でcell(セル)というのですが、コレ、刑務所の独房っていう意味もあるんですよね(苦笑)。中の様子はというと、だいたい一畳ぐらいのスペースに坐布がひとつ。窓はありません。ここに篭ってしまえば、誰も気にせずにいくらでもくしゃみができるし鼻もかめる。寛ぎすぎて「こりゃ、楽だわ〜」と壁の角にもたれて、あろうことか爆睡してしまったり。非常に落ち着くので7日目ぐらいまではひとりここに籠もりきりで瞑想していましたが、肉体的にはラクなのですがなぜかここにいると私は怖いことばかりが頭に浮かんでしまいます。4日目の朝は「この後に及んで大学院に行かなかったら、渡米したけどなんの意味も無かったな!」といろんな人に批判されるという被害妄想たっぷりな悪夢にうなされて目覚めると、眉間と左頬に大きな吹き出物が。ウォーキングコースに設置された“course boundary(ここまでよ)“と書かれた標識を見ては、袋小路な自分の人生に照らし合わせてしまうというネガティブっぷり。心の中と同様、外は雨です。「二回目だといっても、前回8日目に体験したスカッとしたあの状態からはスタートできないのだな……」と、憂鬱な気持ちになります。ニルヴァーナ(涅槃)への道は、はるか彼方……。「瞑想によっていい気分でいたい。幸せになりたいという気持ちが先行すると、それは良い気分に対する執着であり、嫌な気分に対する嫌悪感ですから、真の幸せ、つまり涅槃への歩みとはまったく逆の方向に向かっていることになります」というヴィパッサナー瞑想を指導するS.N.ゴエンカ師の教え。厳しい!といった感じで解脱の道とは真反対に進もうとする気持ちをなだめながら、コースで指導される瞑想法は鼻腔を流れる呼吸に集中するアナパーナ瞑想から、頭のてっぺんから爪先までの感覚を観察しながら平穏な心を保つというヴィパッサナー瞑想へと移り変わります。行動に移せず、現実化しない妄想に囚われる。5日目に再び寮のトイレ掃除当番表が埋まらず、二度目のバスルーム清掃を。ふたつあるトイレのひとつが掃除中に使われていて、使用時間が長かったので「あ、そっちは掃除してくれているのかも♡」と淡く期待をするも、あてが外れて腹が立ちます。「アニッチャー(諸行無常の意)、アニッチャー……。あぁ、全てが “気づき” と “平穏な心” の練習。ヴィパッサナーなのだなぁ〜」とわかったような気分で掃除中に鏡を見ると、普段吹き出物などほとんどできないのに鼻の横にまでできものが!トイレ掃除後、悶々とした気持ちを抱えながらパゴダに篭って瞑想をしますが、「1年半したらビザが切れるけれど、その後私はどうなるのだろう……」とものすごく不安な気持ちにトラップされます。そこで休憩中に森の中の湖のほとりを歩くことにしました。自然に癒やされるうちに「先のことはわからないけど、少なくとも今はこうして自分のために時間とお金をかけられる。ありがたい。私は幸せだ」と感謝の心が芽生え、少し心が前向きに。湖面に映る木々を眺めているうちに、心の淀みが外の世界に反映されているのだというゴエンカ師の教えが心に染み入ります。こういう経緯を経て毎度この合宿で思う定番ごとなのですが「精神衛生上、緑に囲まれた場所に引っ越したほうが良いのではないか(家賃が格安ならなおのこと良し)」と未だ行動に移せず、現実化しない妄想を抱きながら1日を終了。ユーモアは全てを制す?今回の合宿から坐禅中に体が痛まなくなったことはこれ幸いなのですが、代わりに思考の大暴れが顕著に。6日目のQ&Aの時間に先生に相談すると「呼吸に戻り、感覚に戻りなさい。ヴィパッサナー瞑想で感覚に集中できない場合は、アナパーナ瞑想を行って」と助言されます。「感覚に戻るとは、再び頭のてっぺんに意識を持っていってボディスキャンを再開するということでしょうか?」とたずねると、「いいえ。注意がそれてしまった箇所からです。そうじゃないと、頭のてっぺんばかり観察することになってしまいますよ」と指導されました。「あ、それまさに私がずっとやっていたことです! あやうく頭のてっぺん観察のエキスパートになるところでした」と答えると先生にウケ、ろくすぽ瞑想も満足にできないくせになんだか満足感が。ゴエンカ師の講話もユーモアに溢れているし(残念ながら日本語訳はジョークの部分がうまく反映されていません)、人間関係とか人生とか、お互いに気持ちよく笑えたらそれでいいんじゃないかと、その夜は妙に納得しながら床につきました。死のイメージにトラップされ、涙と鼻水まみれに。7日目にセルで瞑想をしていたら、突然親の死のイメージがやってきて涙と鼻水まみれ、ひどく苦しい思いを。自分のなかに親や生に対する執着心と死と老いに対する強い恐怖心があることを再認識しました。そこで瞑想最終日にゴエンカ師の『The Art of Dying(アート・オヴ・ダイイング)』という仏教的な ”死“ の捉え方、ゴエンカ師のお母様や転移し続けるガンの恐怖と向き合うクイーンズ大学教授のインタビューなどがまとめられた本と、思わず日本行きの航空チケットを購入したということは言うに及ばず。「安らかな死を迎えたいと人は言いますが、そもそも平穏な生き方をしていない人に、平穏で幸せな死は迎えられませんよ」と、至極まっとうな道理がゴエンカ師の講話で語られ、はっとさせられたからです。前回の瞑想合宿では「今なんでコレ?」と現在抱えている問題とは関係の無いような出来事が頭をハイジャックしましたが、今回はビザの件やら、将来や親のことなど。抑圧しているつもりでも、心の深い部分で感じ続けていた不安や恐れがババババーっと顕在意識に浮き上がってきたようです。トイレ掃除当番表が埋まらず、怒りと向き合う。頭のなかではなく、リアルに今ここで起こっている出来事に関しては、1日の終わりに近づいても10日目のトイレ掃除当番表が未だに埋まっていないのが気になります。ハイ、またトイレ問題です(笑)。そんな思いを抱えつつ瞑想中に体の感覚をなぞっているうちに、今までずっと封印していた感情が現れてきたようで、教授やプログラム・ディレクター、その他さまざまな出来事に対する強い怒りを感じて、我ながら驚きました。なぜなら、その出来事はすべて自分の実力不足の結果で、「私はこの満足がいかない現実に見合う人間だ」と諦め、受け容れているものだとばかり思っていたからです。すごく怒っていたんですね、実は。FUCK YOU! と思っている自分を心の狭い勘違い人間だと否定せずに、初めていったん静かに「わかった、わかった」と認めてみました。またつねづね瞑想中に集中が切れるとやってしまう私の定番妄想は「あのときああだったら、今こうなっていて……」という意味の無い夢物語を頭のなかで繰り返すことなのですが、7日間それをやり続けた結果、「いい加減、もういいわ!」と。死の恐怖と向き合ったときと同じく「変えられない過去を書き換えようと妄想にふけるんじゃなくて、今できることを精一杯やろう」と思考が切り替わったのです。瞑想後の休憩中にホールを出ると、自分の視覚が普段より鋭くなっていることに気が付きます。陽光を強く感じて、草木に降りた霜に光が反射してキラキラしてとても美しい。「生かさせてもらっている」。そんなふうに感謝の気持ちが胸の奥から湧き上がってきました。瞑想で無感情になるわけではない。8日目の午後、先生に常日頃疑問に思っていたことを質問します。「この瞑想では執着や嫌悪感を手放すことが目的ですが、プラクティスを続けていくにつれて無感情になってしまいませんか? ブラック企業や軍隊でも瞑想が使われていると聞きましたので」と。すると「いいえ。この瞑想ではあなたの感覚と感情に気づき、外側の状況をより正確に把握したうえでその感情を外に表現するのかしないのかという選択をあなたに与えてくれるもの。感情を抑圧するのではなく、自動操縦的に反応するのでもない形で、です。それが自由です」と言われました。夜の講話では、改めてゴエンカ師はすごい人だなぁと痛感しました。前回は彼の知識や理解の深さ、つまり瞑想で体内感覚を鋭くすることで信念体系がなぜ切り替わるのかを明快かつ論理的に説明する点で尊敬したのですが。今回はこのテクニックを太っ腹にも受講料も宿泊料も請求せず、あくまでも寄付ベースで提供し、全ての人にわかりやすく教えることに人生を捧げたという事実にただただ圧倒されました。「この瞑想はただ感覚を鋭くするためのゲームじゃない」とゴエンカ師は強調しますが、講話の時間で終始語られる道徳・倫理面の学び(慈悲の心と滅私奉公の実践)がこのヴィパッサナー瞑想のコアとなる実践なのでしょう。つまりそれを抜きにしてヴィパッサナー瞑想は無い、ということです。その夜の最後の瞑想では “気づき” と “平穏な心” を念頭に行った結果、とても深まって坐禅をとくのに少し時間がかかりました。8日目の就寝前は、前回と同様、頭が空っぽになって気持ちがいい。行動や結果の背後にある、意図が重要。9日目は春のような陽気になり、フリースやポンチョを脱いでTシャツ姿になっている参加者も。午後になっても10日目のトイレ掃除当番表が埋まらず、表に名前を書き込みます。ゴエンカ師は、何かをするときには行動と結果よりも、その意図が大切だと説きます。「仕方が無いな」と諦めに近い気持ちで、掃除をするのは良い意図では無いのでは?と思ったけど仕方が無い。9日目に聖なる沈黙が解かれたので、10日目に参加者といろいろ話をしました。その際にキエフ出身LA在住の旅好きの女性との会話中に「私は毎日旅をしているような気分なんです」と言うと「もうアメリカに来て3年も経つのに?」とたずねられました。「……はい。そして不思議なことに日本に帰っても、旅人のようなエトランジェ気分なんです」と打ち明けると、「わかるわ、その感覚……」と言われ、ふたりでしばし沈黙します。そして「でもそれは、すべての国が自分の国だと感じているから、って私は思っているの。あなたは今、アメリカと日本の両方があなたの国になりつつあるんじゃないかしら」と言われます。「その発想の転換は、とても素敵ですね」と言うと「どこの文化にもすんなり溶け込めることもあるし、チグハグな気分にさせられることもある。どこにいても同じ。その思いに囚われすぎないことよ」。自分の心の方位磁針を持つということか。「それこそヴィパッサナーですね」と言って、二人で笑顔になりました。有り金全て寄付するも、稼いでいない自分が恥ずかしい。11日目最後のメッタ(愛と慈悲)瞑想を終えて、寄付をしにいきます。さすがカード社会アメリカという感じで、現金だけではなくカードやチェックでも受け付けてくれます。前回もできる以上の精一杯をしたけれど、少額で恥ずかしい思いをしたので、今回は今のところ入る見込みの原稿料を全て寄付しました。それでも年収1000万円以下は低所得者になるという北カリフォルニア地区の人たちに比べたら、ずいぶんと少額。iPad上にサインしながら、センターで奉仕をする人も「少ないな」と思っているだろうと被害妄想と劣等感にトラップされそうになります。気を取り直して、行動の意図が大切だというゴエンカ師の教えを踏まえ、この寄付をしているのは「ケチだと思われるのが恥ずかしい」から「次の人にこの素晴らしい体験を贈りたい」という願いに切り替えるように意識を転換します。そのあとは、有志でキッチンの掃除を行いました。おいしいご飯を無償でずっと作ってくれてありがとう、という気持ちを込めて。わたし、40歳ですけど?帰りもピィーがライドをしてくれ、行きと同様に40歳を目前とした不安を延々と語られます。フィアンセと結婚をして子どもを授かりたいが、旅好きの彼は落ち着くだろうか。うんうんと聞いていると「あなたはまだずいぶんと若いからこの気持ちはわからないだろうけど。出産にはタイムリミットがあるのよ。私には時間が無い!」と言われて、ここでどう答えるのが正解なんだろう? と悩みます。「自分の年齢を言ったほうが彼女の心が軽くなるのか」、それとも「このまま相槌を打ちながら話を聞いてあげるほうが、彼女がラクになれるのか」。エムのときと同じテストがやってきました。結論が出せないまま話を聞いていると「で、あなたはいくつなの?」とストレートに聞かれたので、「私はあなたよりも年上で、40歳です」と答えると「オゥ……」と言われて、その後年齢に関する彼女のボヤキはピタッと止まります。すると話題は変わって、大学を中退し歯科衛生士の職についたが給料がそんなによくないために高収入の彼に経済的に依存している。学校に戻ろうかと考えているけれど、なかなか現実的には難しいという内容になりました。そこで「大丈夫よ、ピィー。私今のところ全収入は500ドル程度なんだけど、それもさっき全部寄付してきたの」と答えると、再び「オゥ……」と言われ(笑)、経済面に関するボヤキもストップ。私自身もそうですが、悩みというものの圧倒的多数は、相対的なものなんだなと痛感しました。次は奉仕側として参加。もちろんそうわかったからといって悩みが無くなるわけではありませんし、変えられない現実というものはあります。でも、怒りや不快感を感じたときにそれを抑圧して封印する形ではなく、本音に気づいて、先生が言うように “それに反応するのかしないのか” という手綱を、頭のなかで思うだけではなく、実生活に落とし込む形で少し持てるようになってきたかな……?と感じます。気のせいかもしれないけれど。とはいえまだ収入面における劣等感は拭いきれませんでしたし、あとはトイレ問題ですね(笑)。つまり、未だに私にとっての ”与えること” と ”受け取ること” の最適なバランスがよくわかりません。そこで今度は12日間奉仕し続けるというヴィパッサナー瞑想ボランティアの申し込みをしてみました。与え続けてみた先には、いったい何があるというのでしょう? トイレ掃除もいっぱいすることになるでしょうね(笑)。またそれは終えた後、4月ごろにでもレポートします。さて瞑想を終えて帰宅すると、バークレーにはもう春がやってきました。そして日本の心友からこんなギフトも! “TODAYISSPECIAL”、そんな気持ちで毎日を過ごせたらいいですね。長い文章を最後まで読んでくださって、どうもありがとう。SEE YOU!
2018年02月16日大学院への道は途絶え、研究インターンはお役御免に。”40歳で新しいチャレンジは、やはり無謀?”と袋小路な状況のなか、かねてから予定していた二度目のヴィパッサナー瞑想合宿へと向かいます。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 66大学院への道、途絶える…。先日アカデミックディレクターの人に「大学院への進学はどうするのか」とたずねられ、朝の8時キャンパス近くのコーヒーショップ『Café Strada』で話をしたんです。この店はサードウェイヴコーヒーショップ的なオシャレさは微塵もありませんが、朝6時からオープンで無料Wifi・電源完備。テラス席もあり、リーズナブルな値段でドリンクを提供してくれるうえ、どんなに長居をしても迷惑がられないとあって、学生や教師の憩いの場となっています。ちなみにカフェで見かける使い古されたツイードのジャケットに丸メガネの着こなしが素敵なダンディな教授陣は私のバークレーにおけるファッションアイコンでした。通い詰めて顔なじみになると、こんな不思議なラテアート(※そういう店では無いのです)をにこりとも笑わないメキシカンのおじさんがそっとやってくれたりして……。ここ最近は学校にいく用事が無いので全く足が遠のいていましたが。さて爽やかな朝、『Café Strada』のテラス席で「私には確かめたい仮説があって、会社を辞めてアメリカに来てからずっと自分を治験者に見立てて実験・観察しています。でもそれが大学院の研究室でなければできないことなのかが、よくわからなくなっちゃって。例えば “慈悲の心” について研究している研究者たちよりも、私にとって思いやり深く接してくれた大学中退のインターン先の社長や、私財を投じてギフトの世界で生きている人たちから学ぶことのほうが今は大きく感じるんです。なので、今のところ大学院を目指す気はありません」と爆弾発言を投じました。すると彼女から「わかるわ…」と言われた後に、彼女自身大学の教授や講師陣たちと友人になろうとアカデミックディレクター、そして講師として奮闘していたことを打ち明けられます。「キャンパス内で真の友だちを作りたいとある教授に相談したの。そうしたらなんて言われたと思う? 『だったら子どもを早く作って、子どもがいる教授と交流を深めることだね』って……」。それに対して思わず、「Disgusting!(気持ち悪っ)」と叫んでしまいました。彼女は私とちょうど同年代の独身女性だからです。はい、ここでバークレーへの道は完全終了!その後、日系人を治験者とした体内感覚と感情についての研究インターンへ。年明けランチミーティングがあると教授に招かれて向かったのです。某名門大学心理学部博士課程在籍の台湾系日米バイリンガル学生が自身の卒業論文のテーマにするため、教授の研究を無償で手伝いたいという話で。「では私は今後どう関わりましょうか?」とたずねると、特にやることが無い様子。お役御免です。入館証を眺めながら、これを使うことももう無いのか……。結局私がこの研究で行ったこととは、治験者募集のための広告を作ってこちらにあるタブロイド誌と料金・スペース交渉をして掲載すること。電話でスクリーニングをして研究に最適な治験者を選ぶこと。座談会への参加とテキスト起こしされたものを編集して、日本独自の考えや文化について補足説明を加えることのみでした。でもこれは今までやってきた編集や広告の仕事の延長上で、私はその先の研究結果をどう分析していくのかを学びたいとこのポジションに昨年6月から無償でお手伝いしていたのですが。それが、タダでもできないのか。”タダ!(いくぶんか使えます)” と書かれて道端に放出されていたライトのことをふと思い出しました。ところであれは無事に拾われたのだろうか……。40歳で新しいことに挑戦するなんて、やっぱり無謀?というような袋小路な現状を友だちに打ち明けると、「最近採用する側になったんだけど、みなシビアよ。コスト削減を強いられているから育つまでなんて待てない。そういえばこのあいだ面接していてキツかった35歳の女性がいたなぁ……」と言われて落ち込みます。35歳って私よりも5歳も歳下じゃないの……。やはりこの歳になって全く新しいことをやろうとするなんて無謀だったのかな。自分がハマらないところにしがみつこうとしているのカモ!? 人生の方位磁石が狂ったようなズッコケ続ける日々を過ごしながら、かねてから予定していた2度目のヴィッパサナー瞑想合宿に向かうことになったのです。※ヴィパッサナー瞑想合宿・初体験記事は、こちらをどうぞ。度目の瞑想合宿。ライドが5時間経ってもやって来ず。今回向かったのはバークレーから車で片道4時間半のノースフォークという街にある、California Vipassana Center。ライドを提供してくれたのは、39歳の歯科衛生士の女性、ピィーでした。ところが待ち合わせ時間30分前に「急用ができてどうしてもまだ出発できない」とのテキストメッセージを受信し、ガーン! 偶然目にしたドアに日本語の “天使” と書かれていたので(笑)「これこそ “気づき” と “平穏な心” を培うヴィパッサナー瞑想の実践だ」と気を取り直して、コーヒーショップで待機。待ち合わせ時間から5時間が経って到着した彼女にまずはカフェモカを振る舞いました。ちなみにオシャレ サードウェーブコーヒーショップ『Algorithm Coffee』だとラテアートはこんなふうになりますね。その後の車内ではピィーの “40歳を目前とした不安” (ねぇ、ケンカ売ってる? 苦笑)について延々と耳を傾け、ついにセンターに到着したのは受付時間を大幅に過ぎた午後7時30分。もう外は真っ暗です。ボランティアのサーバースタッフのみなさんに「申し訳ありません」と平謝りしながら、なぜ私が謝らないといけない? と割り切れない気持ちにも。乗せてくれたピィーに感謝こそしないといけないのに、こんなに釈然としないのはナゼ? 心が狭いですね。あぁ、車を持っていない私が悪い。社会的に安定していないのがいけないんだと思って、今度はモヤモヤ。これまでの経験から外側で起きることは心の内側の反映なんだとわかりつつも、ザワザワした気持ちを収められず就寝しました。翌日からいよいよ朝4時から夜9時までのヴィパッサナー瞑想合宿が再び始まります。今回は図らずとも相当やさぐれた気持ちで臨むことになりましたが、いったいどんな体験が待っているというのでしょうか(第67話へ続く……)。SEE YOU!
2018年02月14日ノンアルコールで、リラックス・鎮静効果があるという不思議な飲み物、カヴァ。ベイエリアで最も古いというカヴァ・バーで、白髪頭にポニーテールのおじさん、モヒカン女子、フレンドリーな大型犬に混じって、そのメロウな世界を堪能してきました。どんな味がする?体や心の感覚はどうなるの?レポートします!写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 64【第64話】メロウな気分になれる不思議な飲み物、カヴァって?突然ですが、KAVA(カヴァ)のことをご存知でしょうか?アルコール成分は一切ゼロなのに、リラックス効果をもたらすという摩訶不思議な飲み物、カヴァ。ポリネシアの島々やハワイなどで3000年ほど前から親しまれ、宗教儀式や村への訪問者を歓迎するなどといった政治的・文化的セレモニーなどで用いられてきました。日本では違法でこそありませんが、厚生労働省のサイトによると肝臓に悪影響を及ぼす可能性があると、カヴァの成分が入った食品やサプリメントの売買は禁止。規制管理されているようです。ところでラム酒に目がない私ですが、瞑想をやっているためにお酒はなるべく控えているという今日このごろ。しかも日本ほどには治安がよくない、こちら米・カリフォルニアで女ひとりふらりとバーなんぞにいってほろ酔い気分になるというのはちょっと危険。でも荒波をダイブする毎日、ときには息抜きしたいものです。そんな折、瞑想スペースに向かう途中に再三見かけていた場所、『Melo Melo Kava Bar(メロ メロ カヴァ バー)』。ベイエリア(カリフォルニア州のサンフランシスコ、バークレー、オークランドなどを含む場所)で最初にできたカヴァバーなんだそうです。なんだかよくわからないけれど、バーっていうより日中の雰囲気は雑誌『Casa BRUTUS』とかに載っていそうなオシャレ度満点なカフェ。お昼の12時から開いていて、大きな窓からはたくさんの観葉植物と座り心地の良さそうなソファが見えて…、なんだか健康的。気になる! 壁に貼られたメニューをチェックすると、超シンプルなラインナップです。「なんかカヴァ絡みのやつばっかりじゃん」。鎮静、麻酔、陶酔作用があるコショウ科の植物の根。で、カヴァって何? ということでさっそく帰宅してネットで調べてみると……。まずコショウ科の植物であるとのこと。そして、その根には鎮静、麻酔、陶酔作用があり、有効成分・カヴァラクトンには軽度の精神活性力があり(カフェインのようなものだけれど、カヴァの場合は全く逆に作用する) 短期不安の治療に置いて一定の効果があるという研究結果も。メカニズムは、鎮静・抗不安作用を有するGABAのリガンド結合を促し、逆にストレス・ホルモンのひとつ、ノルエピネフリンが神経細胞へと再取り込みされることを抑制するためのようです。……って、なんだかややこしい! もとい平たく言えば、戦闘態勢に入るホルモンの取り込みを減らし、心と体をリラックスさせてくれる成分が入った植物の根を粉状にして水に混ぜた飲み物みたい。とりあえず、まずはどんなものなのか飲んでみよう。というわけで18時に入店してみると、なんだか日中とはちょっと違う怪しげな雰囲気。店内はなんともいえないパープルがかったネオンカラーに包まれています。「ド・怪しい…」。でも、賑わってる! モヒカン頭の女子からバークレーに住んでから見かけない日は無いと言っても過言ではない、白髪頭のポニーテール姿のおじさんもいます。フレンドリーな大型犬まで! ギャーギャーと騒いで、メロウな気分になっているほかのお客さんの邪魔をしない限り、犬や子供と一緒に来店してもOKなんだそうです。3がマジックナンバー。さて、まずはカウンターで注文します。「初めてなんですが、カヴァが何なのかがわかる、一番トラディショナルなものはどれですか?」ととてもフレンドリーなカヴァテンダーさん(勝手に造語。たぶんそう呼んでも、通じないよ!)にたずねて出してもらったのが、ピュリスト(Purist)。価格は4オンス(約113g)で5ドルです。ココナッツの殻でできたカップになみなみと注がれ、小さなみかんと一緒にサーブされます。「どれぐらい飲めば、リラックス効果を感じられるのですか?」と聞くと、「3がマジックナンバーだよ」とニッコリ。「この泥水みたいなものを3杯も飲むのか……」と躊躇っていると、「よし。ハッピーアワーということで、2杯注文してくれたら1杯サービスするよ!」と言われ、イエーイ3杯いってみよー!見た目は良く言えば、ミルクたっぷりめのコーヒーミルク。もしくは、泥水。で、ひと口ゴクッと飲んでみると、全然おいしくない! どんなものかと言えば、山椒のようなビリビリ感が舌に残り、テイストは高麗人参のような漢方薬っぽい苦味のあるハーブ風味。香り高いラム酒を飲んだときの、ちょっとデカダンな感じは全く味わえず、「うん! マズイ! 体に良さそう!」という感じです。で、けっこうキツイんですよね、これを3杯も飲むのって。泥のように下に沈殿物が貯まるので、それをスプーンのようなものでかき混ぜながらグイッと一杯。「一気に飲むんだよ」と店員さんに言われて、なんだか健康診断のバリウム気分です。ちっちゃいことがどうでもよくなる。とはいえ店内に流れる音楽は、私好みのちょっとメロウなエレクトロニカ。ジェームス・ブリッケルが監督したドキュメンタリー映像『グレート・バリアリーフ』が壁一面に映し出され、そこにはカラフルな弱肉強食の世界が。謎の軟体動物に飲み込まれる魚、ワニに食いちぎられる大ウナギ……。「なんだか怖いぐらいにキレイだなー」。弱肉強食のアメリカ社会のなかで、圧倒的な弱者である私の状況も「アリかな」と錯覚させてしまうような美しい映像をソファにもたれこみながら見ていると、おっしゃる通り2杯目の半分ぐらいからでしょうか。カヴァの成分が効いているせいか、変なモンを何杯も勢いにまかせて飲んでしまったせいかわかりませんが、ちっちゃいことがどうでもいい気分になってきました。「私の意見をないがしろにするあの教授のことも、買ってもいないトイレットペーパー料金を毎度請求してくるハウスメイトのことも(冷静に考えてみるとなんてミクロな世界に生きているのだろう、私ってば……)、どうでもいいわい」と。しだいに携帯のテキストメッセージを打つ指が微かにかじかんだような妙な感覚になってきました。でもお酒に酔っ払っているときとは全然違って意識も完全にクリアだし、バスルームに向かう足取りなんかもしっかりしているんですよ。当然、幻覚を見たり、極彩色の世界に包まれたりってこともありませんよ。不思議でしょう? 試しにつけあわせ(?)のみかんを口に含むと、すっごくおいしく感じます(空きっ腹にマズイものを続けざまに飲んだ後だから? それともカヴァの成分で感覚が鋭敏になったので?)。高揚感はあるんだけど、お酒を飲んでハイになっている感覚とは違って、カヴァの場合誰かと関わりたいという気分は薄れます。ふわりと上がっているんだけど、自分ひとりの世界を味わいたくなるイメージというか。瞑想のように少し内省的な気分にしてくれる感じですね。実際にひとりで来ている人も多く、イヤフォンしながらずっとPCでリアルコンピューターゲームをしている人なんかもいました。いかんせん、おいしくないので頻繁に足が向かう感じはありませんが、カヴァの成分を用いてチャイにしたもの(7ドル)、チョコレートバーにしたもの(5ドル)などもあるのだとか。いつか試してみたら、またお知らせしますね。SEE YOU!カヴァの写真:見よ、この泥水的な代物を。軽く震えます。沈殿物をかき混ぜて、罰ゲームよろしく、一気に飲み干します。メニューの写真:カヴァ儀式もの、カヴァの混ぜもの、パーティーの後のカヴァ。選択肢があるようでいて、全部カヴァ絡み。フードは出していないので、好きな食べ物の持ち込みOKです。とはいえガッツリしたものというより、チップス的なスナックを持ってきている人が多かったです。Purist セットの写真:カヴァ、みかん、チェイサーの水がセット。テーブルはチェス台になっていて、オシャレ。大スクリーンの写真:真ん前がスクリーンの大ソファに王さまみたいに席を陣取りしました。SEE YOU!の写真:ヴェジタリアンなら一度は注文することになる(!?)、バークレーにあるカフェの定番メニュー、アヴォカド・トースト。こちらは、Mariposa, Artisan Crafted Gluten Free Bakeryのもの。
2018年01月30日携帯やPCはもちろん、本やメモまでもが没収され、会話やアイコンタクトすら禁止というヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきたという筆者・土居。もはや忘れかけていた記憶に思考をハイジャックされたり、耐えきれないほどの身体の痛みと格闘しては、森のなかでひとり号泣したり…。締めくくりには、恋愛アドバイスまでされたようですが?!結果、再び不思議な世界への扉が開き始めたようです。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 60【第60話】携帯没収! &アイコンタクトもダメ。10日間のヴィパッサナー瞑想で心の汚濁を滅す。ずいぶんと更新するまでに時間がかかってしまいました。というのも、ある瞑想合宿に行ってから、視点が変わったとかいうレベルではなくて、リアルな現実として自分の周りの人たちや生活様式がガラッと変わったんです。ビッグウェーブをダイブしているうちに、気づけば3か月も経ってしまいました。申し訳ありません……。そして、この不定期更新連載を読んでくださってありがとう。会社を辞めてアメリカに来るまでは、いろいろあっても私の人生は平凡だなぁと思っていたんです。でも最近思うんです。普段と違う選択をひとつしたら、それに続く次のチョイスもまた一風変わったものになって……。と、気づけば、誰でも簡単に奇妙な世界に足を踏み入れていくものなんだなと。人生って、本当におもしろいですよね。このところ肩の力が抜けたのか、英語だってルー大柴さん風になって(例えば、“英単語+ね?” で事実確認。通じますよ!)、今までストレスだったり困っていた物事も楽しめるようになってきました。今の私の「アリかナシか」という “心のものさし” に影響を与えたのは、ギフト経済という考えです。こちらカリフォルニア・ベイエリアで知った生き方のひとつで、出合った当時は(今現在も)度肝を抜かれました(正確には、現在進行形)。見返りを期待せずに与え続けるという世界に生きる、ニップンさん(第21話)やパンチョとサム(第19話)の生き方は素晴らしいと思う半面、どうしても「それってだいぶ損してるんじゃ?」と損得勘定に囚われてしまう私にはハテナがいっぱい。未だに実践するには至りませんし、お金との付き合い方を模索中の私にとって、心地よいバランスを毎日タッチ&トライしながら手探りしています。そんな彼らが日々のプラクティスとして実践していたもののひとつに、ヴィパッサナー瞑想がありました。「何か手がかりがあるかな?」。それが学べる合宿があるとはずいぶん前から知りつつも、朝4時から夜9時まで瞑想三昧の10日間だと言われてひるんでいたのですが、「とにかくまずは体験してみるのがいいだろう」と参加してみることにしたのです。車&免許ナシの私。合宿場まで連れてって!向かった先はカリフォルニア州北部、バークレーから2時間ほど車を走らせた街にあるNorthern California Vipassana Center(北カリフォルニア・ヴィパッサナー・センター)。センター近郊は、ワインの産地として有名なソノマ郡やナパ郡、大麻農場があるという(!)メンドシーノ郡なのですが、合宿前日に大きな山火事があったため、最短ルートの道路は閉鎖。回り道をしながら向かいました。ちなみに、私には車も免許もありません。そこで、参加者のみが見られるメッセージボードに書き込みをして(例えば私はどストレートな書き込み。”I need a ride because I don’t have a car. Thank you! [車が無いので、乗せてもらう必要があるんです。ありがとう!]” )、「乗せてくれる人」と「乗せてもらう人」の間で直接メールのやり取りをした結果、私は無事、エムに乗せていってもらえることになりました。エムは大学卒業後に投資会社のインターンを1年勤めた後、プログラミングの勉強をし直してプログラマーとして現在サンフランシスコにあるオフィスに勤務して5年目。ヴィパッサナー瞑想は7回目だという28歳の好青年でした。親の意向もあってアメリカ東部にある名門大学でビジネス(会計学)を学んだけれど、哲学に興味があって学生時代からいろいろと読み漁ってきたのだとか。「あくまでも僕にとってだけど、哲学は頭の中の遊びみたいなもので、何の体感もできなかったんだ」。その後ヴィパッサナー瞑想に出合い、そのパワフルさからどんどんハマっていったんだそうです。(ちなみに乗せていってもらったお返しは、ガソリン代を払ったり、ランチをごちそうしたりというカジュアルなものでOK。エム曰く、過去にヒッピーの子を乗せてあげたとき、「私お金が無いんだけど、スペシャルなチョコレートを持っているからそれをお礼にあげる!」とくれたことがあるとか。それはマジックマッシュルーム入りのチョコレートだったようで(笑)「サトシ・コン(今敏監督。こちらでは宮﨑駿監督とともにアニメーション界の巨匠として大人気)の映画を観ながら食べたんだけど、あれは良かったなぁ…。キミも持ってる?」と笑っていました)。参加費は任意の寄付制(ダナ)です。センター到着後は、名前や住所、生年月日や瞑想歴などについて簡単な情報登録をしたのち、貴重品、携帯電話やPC(外部とのコミュニケーションは一切遮断)、メモや本のたぐい(合宿中に文章を読んだり書いたりもNG)を預けます。そして軽い完全菜食の夕食をいただいた後にオリエンテーションが。説明によれば、センターは完全ボランティアで運営されていて、瞑想の疑問に対して答える先生、関わるスタッフ全員がこの瞑想の実践者で無償の奉仕活動を行っていること。参加費は任意の寄付制で、払う金額はもちろん、払うかどうかも自由意志に委ねられている。そして、今回の私の参加費用は私の前に参加した人たちからのギフト(ペイ・イット・フォワード(先贈り制度))で賄われていて、私が寄付をした場合は、それは次の参加者への贈り物になるのだと説明を受けました。オリエンテーションの後は、男女が完全にわけられ、ダイニングルームの真ん中にビシっとカーテンが引かれます。「じゃあね、また10日後に」とエムと別れ、ノーブル・サイレンス(聖なる沈黙)がスタート。ここから瞑想中に疑問が湧いたときに質問できる先生やマネージャー以外の誰とも話せず、アイコンタクトやジェスチャーのたぐいも禁止です。それぞれが自分の心の奥深くまで向き合っていくために外部とのコミュニケーションを一切遮断するというのです。鼻から上唇までの三角地帯に集中せよ!ちなみにこれからお伝えする内容は、合宿中にメモをとれなかったので全てうろ覚えの記憶を辿ったもの。また、エムによれば各自の体験が個別に異なるだけではなく、個人間でもリトリートごとに変わるんだそうです。だからみなさんの体験は、私が書いたものとは全然違うものになる可能性が大ですので、「土居彩はこんなふうに感じたんだ」ぐらいに捉えてもらえれば。10日間(正確には到着日と最終日を含めて12日間)瞑想をし続けるのですが、その内容は大きく3部にわかれています。本格的なヴィパッサナー瞑想に入るまでの第1部は、まず鼻腔と上唇を結ぶ三角地帯に意識を集中し、その場所に吸う息や吐く息が流れていく様子を観察しなさいと指導されます。これが簡単そうに見えて、全然集中できないわけです。思考は予想外なほどに暴れん坊で、三角地帯の息のことなんてそっちのけになってしまうんです。まず、私の頭の中をハイジャックしたのはマガジンハウス勤務5、6年目ぐらいのときのエピソード。出産祝いのために、同じデスクのみんなで上司のご自宅にお邪魔したのですが、そのときに上司から言われた「おむつ代もバカにならないんスよ〜」というひと言が頭のなかでずっとずっとリフレイン。吸う息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。吐く息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。自分でも首をかしげてしまいました。だって今の私、シリアスな話、「これからどうして生きていくの??」と人生や将来設計について、考えなきゃいけないことは山積みなのに。「…え、今、ソレ?!」ですよ。しかしその後も、ほぼ忘れきっていたような一見今の自分の人生とは全く関係ないようなエピソードが雪崩のように押し寄せてきました。それが3日ほど続き、「いかんいかん、三角地帯に」と意識を戻すという日々でした。そしていよいよ、合宿第2部のヴィパッサナー瞑想がスタートします。辛い! 痛い! 瞑想ができなくて、森の中ひとりで大泣き。私が体験したヴィパッサナー瞑想とは何か? 誤解を恐れず私の理解の範囲で超シンプルな形で説明すれば、全身の感覚をくまなくスキャンして、体の部位がどう感じているかを第三者的な視点で観察するという瞑想法です。つまり、頭のてっぺんから足先まで5cmずつぐらいの範囲を各2分ほどの間隔でスライドさせながら、「くすぐったいな」とか「しびれて痛いな」とか「痛みの中心は、熱を帯びているな」といったように注意深くみていくんです。そのうえで抱いた感覚に反応せず、ただ傍観者のように客観的なスタンスを保つというのがポイント。なんでこんなことをするの?! 指導するS.N.ゴエンカ氏によれば、感情というのは必ず感覚とセットになっている。快・不快に繋がる心地よい感覚も嫌な感覚も究極的には同じ性質を持っている。それは現れては必ず消え去っていくというもの。必ず移り変わっていく存在(感覚)を永遠に変わらないものだと錯覚を起こし、良い感情(感覚)に強く執着し、不快な感情(感覚)に嫌悪を抱いて避けようと逃げまどうというのが私たちの性。その結果、常に外側の現象に左右されすぎて、心の平穏や幸せを保てないのだといいます。その真理を頭のなかだけで知識的に理解するのではなく、それぞれの身体感覚を使ってリアルに腹に落とし、経験に基づく理解を持とうというのです。ヴィパッサナー瞑想中は、なるべく姿勢を変えないようにと指導されます。これが、信じられないぐらい辛い! 私の場合、右のふくらはぎと臀部がありえないほどに痛み、脂汗まで出てきました。「おむつ代も」のフレーズはもはや頭に浮かばなくなりましたが、「痛い痛い痛い痛いイターーーイ」の無音の叫び声で体中がいっぱいに。「全然、痛みが去っていきませんけど??」と痛み(不快な感覚)に抵抗し続け、瞑想が終わる前のサイン、まさに戦い終了のゴングのようなゴエンカ氏のチャンティングが始まるころには気絶寸前。「やっとこの苦しみから解放される……」と瞑想が終わるのを心待ちにしながら、チャンティング終了後は戦いを終えた戦士のようにぐったり。就寝前に暗がりのなかで着替え中、脚が青アザだらけになっているのを発見して、”痛い” という感覚がまぎれもないリアルな現実であることを目の当たりにして、ギョッですよ。我慢大会のような毎日を過ごすうちに、いったいなんのために瞑想しているのかよくわからなくなってきました。でも、決めたからにはやりきるしかない。ところで瞑想中に、順番に先生に呼ばれて「感覚を感じられますか?」「どんな感じがしますか?」とたずねられる、Q&Aの時間があるんです。すると、みんなすらすらと「頭の先に空気が触れて、くすぐったいです」とか「鼻腔へ出ていく息は温かく、入っていく息は冷たく感じます」などと答えていくなか、「あなたはどうですか?」とたずねられて。「どんな感覚にも反応せずに平穏さを保てと言われますが、”右のふくらはぎがしびれて痛い!” という思いが私の体と心の全てをジャックして、ほかの微細な感覚なんて感じられません。そこで瞑想で平穏さを得るどころか、他の感覚を感じられない自分を責めてしまい、不安な気持ちやがっかりした気分になってしまいます」と正直に答えました。ちなみにこのQ&Aの時間、いつも私だけが「できない」「よくわからない」「そうは言いましても」という意見を投げかけていました。そんなヴィパッサナー瞑想劣等生の私に対して、先生は常に優しく微笑み答えてくれたんです。「痛みの芯にある性質をよく観察してみなさい。それは熱なのか、圧なのか。フラットな気持ちで調べてみるんです。するとしだいに去っていきますよ。そして、感覚が感じられない部位があったときは、『そうね、感じられないね』と優しくただ認めてみて」と。休憩時間のあいだ、私はサムにアドバイスしてもらったようにひたすら体を休めて寝るか(私の場合、座って瞑想しかしていないのに寝ても寝ても寝られるぐらいよく眠れました)、森を散策していました。森のなかにお気に入りのスポットがあって、そもそもはテントを張るためのウッドデッキなのですが、その上に寝そべりながら木々から覗く太陽を下から眺めるのが好きだったんです。デッキの上で大の字になって試しに目を閉じてみて、頭の先からどう感じているのか再びスキャンしてみます。「やっぱり、感覚がわからないな……」とガッカリして、先生に言われた言葉を思い出します。「そうね、感じられないね」「でも、いいんだよ」「完璧にできなくても、いいんだよ……」と自分に話しかけるように言ってみると、森のなかで木々に包まれていることもあって、涙が溢れてきました。思えば、会社を辞めてからずっとこのレッスンを繰り返しているような気がします。期待どおりに物事を進められない自分に落胆して、焦って、憤って。最終的には、満足にできない私を認めたうえで自分のペースで一歩一歩前に進むことを赦すという作業です。結局何をしていても、どこにいても、取り組むべき同じテーマがやってくるんです。坐布を選び抜いて、痛み対策。私のクッションキャッスルへようこそ。森のなかで泣いてスッキリした後、瞑想に集中するために、まずは自分のできる対策をしようと決意。坐布ひとつで坐禅を組むほうがカッコイイけど、今の私には無理! そこで瞑想のたびに合宿場にある豊富な坐布やクッションの吟味を重ね、ついに理想のコンビネーションを発見。私の席には、右脚、左脚、臀部それぞれの高さにカスタマイズした3つの塔がそびえ立ちました。これだけやってもひどく右の脛が痛む場合もあって、そのときはじっと観察します。感覚をスキャンし続けているうちに、この痛みは臀部の筋肉の硬さを補う姿勢のとり方からきていると感じました。そして私の場合、「できない」とか「怖い」とか、外部の現象に対して心が緊張すると、肩と臀部の筋肉が硬くなることも。そのうえでわかったのは、食べる量を減らすと痛みが楽になるということ。そこで、完全菜食の食事はとてもおいしかったのですが、腹7分目ぐらいに留め、昼以降は一切何も食べないようにしました。洋服もなるべく軽くて締め付けないものを選ぶようにし、「できない」ことを優しく受け入れる。そう繰り返しているうち、到着8日目の就寝前にふと気がついたんです。寝る前に浮かぶあれやこれやが、全く頭のなかに無く、空っぽだということを。「何にも考えることが無い!」。「私の抱える悩みって、そもそも存在しないものだったのかも……」。ものすごい爽快感と同時に、ちょっとした恐怖感さえ感じました。第3部は、メッタという愛と慈悲の瞑想を教わります。ただあるものをあるがままに見て、感じることで、古い思考パターンや心の汚濁を掘り起こすヴィパッサナー瞑想。過去のパターンを掘り起こして穴ぼこになった心の傷口に塗る薬となる瞑想なのだというのです。「意識してか意識せずか、私を傷つけた人すべてを許します。意識してか意識せずか、私が傷つけた人すべてから私が許されますように。生きとし生ける者すべてが幸せで、平和で、本当の自由を得られますように」。「Be Happy (幸せでありなさい)……」「Be Happy……」。メッタ瞑想をリードするゴエンカ氏のチャンティングを聞いているうちに、左目からツーっと静かに涙が出て頬を伝いました。瞑想後に聖なる静寂(ノーブル・サイエンス)は解かれ、初めてルームメイトや参加者たちとおしゃべりをします。ヨガの先生で同僚に誘われてやって来たという人、医療に従事していたが今月仕事を辞めたばかりで自分を見つめにやって来たという人、さまざまでしたがユニークな夫婦にも出会いました。モンゴル人の2人は一年の半分をモンゴルで働いて暮らし、半分はアメリカのこのセンターでボランティアしているというのです。奥さんから「あなたは何をしているの?」とたずねられて「いったい、何をしているんでしょうね? 自分でもよくわかりません、ハハハ」と答えると、「アヤ、あなたにはパートナーがいるの?」と突然聞かれました。そこで「いいえ。今は自分の成長にフォーカスしていて。今の私じゃ、きっと誰ともうまくいかないから」と答えると、「完璧にならないとパートナーシップが築けないというわけじゃないのよ。一緒に成長していけばいいの。私と夫もお互いの成長を助け合っている。ときにはどちらかが成長するのを待ったり、サポートしたり。大抵は私が助けてもらう側だけど、笑」。そういうものなのかなぁ……。自覚している以上に一度離婚してしまったこと、離婚後のボーイフレンドともあまりうまくいかなかったこと、好意を持たれても長続きしないこと。それらに私のものの見方(=今の私のままでは、愛されない)が重なって、自分の心を守るために独りで居ることを課していたのかもしれないなと思いました。合宿終了後は有志で片付けなどを行うのですが、私はメディテーションホールの掃除を行いました。クッションや坐布を整頓することとなり、「ずいぶん助けてもらったなぁ」と汗だくになりながら自然と感謝の気持ちが溢れてきました。掃除が終わるまで待ってもらって、帰りもエムにライドしてもらいました。「ヴィパッサナー瞑想の後って五感が鋭くなっているから、音楽を聴いたらすごいんだよ」と言われ、私のお気に入りのサンフランシスコを拠点に活動するミュージシャン、TYCHOのElsewhereを車の中で大音量で一緒に聴いてみました。何も話さず、ただ景色を見ながら音に耳を傾けます。しばらくすると「ねぇ、変な質問するけど、キミってシングル?」。たしかに今はシングルだなと思い、「イエス」と答えると、「あぁよかった。なんでこんなこと聞くかわかる?」とたずねられ、「ノー」と答えました。すると、「この合宿の前にデートしていた子がいたんだけど、先週『私、結婚しているの』って言われたんだ。ビックリしたのと、ちょっとショックで。だから、ちゃんと聞いとかなきゃって思って」と言われ、「I see…(なるほど)」。「たまに、一緒に出かけるのってどうかな? あ、きっとキミは結婚するなら日本人の男性のほうがいいだろうから、シリアスに考えなくてもいいんだ。僕はバークレーにきてまだ1年ちょっとで友だちもあまり居ないし。そうだね、うん。だからキミに時間があるとき、キミが出かけたい場所に一緒にいけたらなって」。瞑想の後だからか、エムが言っていること(外部の刺激)と自分の間に空間があるような感じがして、すぐに反応できません。またひと回り年下の男子に誘われると、どうしてもバークレーのトラウマがやってくるのもあって(ひと回り以上年下の同級生に告白され、付き合えない理由として年齢を言った途端、化け物を見るような感じになって挨拶さえされなくなった)ぎこちない空気が車内を流れます。前と違うのは、ヴィパッサナー瞑想直後で感覚が鋭くなったせいか、肩とお尻の筋肉が硬くなっているのがわかる点です。さて、どうなるのでしょう?See You!※車の写真:日の出から15分ぐらい経った時間の、バークレーの空が一番好きです。※部屋の写真:部屋はカーテンで区切られ、ベッド、ライト、ハンガーなど必要最低限のものが揃います。シーツや寝袋は持参します。※森の写真:森のなかで山火事から逃れてきた親子の鹿と遭遇しました。息を潜めて見つめていましたが、「もっと見たい」という執着的な意識になった途端、母鹿に気づかれ、去られてしまいました。※坐布の写真:瞑想3日目には坐布やクッション、ベンチが棚からすっかり無くなり、その後再び増え始めました。直接コミュニケーションできないけれど、みんなも試行錯誤しながらベストな組み合わせを研究中なのだなと間接的にわかって、同志的な気持ちが芽生えました。
2018年01月06日1週間1回の作りおきレシピを紹介2017年12月29日、1週間1回の作りおきレシピを紹介した「決して太らない健康なカラダに!食の法則 1:1:2レシピ」が発売された。「Office-LAC-U」代表で、スポーツ栄養士の石川三知氏は、現役当時のフィギュアスケート・髙橋大輔選手の食事作りを手がけており、同書では石川氏のセオリーである「食の法則 1:1:2」に則ったレシピが紹介されている。価格は1,000円(税込)で、マガジンハウス編。マガジンハウスムックの形で発売されている。レトルトや缶詰で時短料理石川三知氏は専修大学アメリカンフットボール部にスポーツ栄養指導を開始し、以後、スピードスケートの岡崎朋美選手や、陸上短距離の末續慎吾選手と佐野夢加選手、フィギュアスケートの荒川静香選手と髙橋大輔選手、競泳の渡部香生子選手など、トップアスリートを栄養指導の面からサポートしている。髙橋大輔選手には毎週作り置きで食事作りを行っており、その経験から得られた法則が主食、主菜、副菜の割合である「1:1:2」のバランスだという。このコツを身につけ実践すれば、継続的に太らず健康な体が得られるとしている。この新刊では「1:1:2」の法則による1週間分の作りおきおかずを紹介。レトルトや缶詰を活用した時短料理、野菜と果物による「週末ブランチ」、「作りおきスープ」、「深夜のごはん」などが掲載され、そのほか、コンビニやデパート地下食料品売り場における「1:1:2」、酒肴、おやつなども紹介している。(画像はマガジンハウスのサイトより)【参考】※決して太らない健康なカラダに!食の法則1:1:2レシピ
2018年01月06日マガジンハウスが創立70周年記念事業として「relax特別復刊プロジェクト」を、スバル「レガシィ」とのコラボレーションによって発足。10月1日に、公式Webサイトも立ち上げられた。『relax』は、06年より休刊していたカルチャー誌。00年代に、グラフィティアートやスケートボードなどのストリートカルチャーや、裏原宿の隆盛などの時代の空気を取り入れながら、独創的なカルチャー誌として多くの読者から愛された。今回、『relax』の個性でもあるコンテンツ制作力と、当時同誌に影響を受けた人々の想い、同誌に共感するスバル「レガシィ」のサーポートを受けて復刊が決定した。編集長は当時『relax』の副編集長を務めていた中島敏子(現『GINZA』編集長)が担当する。当時の編集長である岡本仁や、漫画家・コラムニストとして活躍する渋谷直角もゲストエディターとして参加予定となっている。なお、今後は公式Webサイトにて情報発信を行っていく。
2015年10月07日マガジンハウスはこのほど、70周年記念事業のひとつとして、「Oliveプロジェクト」を立ち上げる。同社は、会社設立70周年をむかえる2015年の記念事業として、今改めて雑誌「Olive」がもつ「時代性」や「共感性」に着目しプロジェクトに取り組むという。「Olive」は1982年に創刊され、2003年までの約20年間にわたり、若い女性向けのファッションからカルチャーまで幅広く取り上げたライフスタイル雑誌。当時の読者「Olive少女」は、現在ではカルチャーや流行の発信源として、社会的な影響力をもつ大人の女性に成長し、「元・Olive少女」という独特のクラスターとして存在しているとのこと。そんな「Olive」と「元・Olive少女」たちがもつ社会への意味を再考し、それを形あるものとするために、電通をマーケティングパートナーに迎え、本プロジェクトをスタートすることになった。まずは9月24日、「Oliveプロジェクト」としてフェイスブック上にオフィシャルページを立ち上げ情報発信を行う。プロジェクトと連動した形のイベントも予定している。2015年3月12日には、雑誌「GINZA」の別冊付録として「Olive」特別号(100P程度を予定)を発行。特別号には、スーパーバイザーとして淀川美代子氏(現「MAISHA」編集長、元「Olive」編集長)や、ゲストエディターとして 岡本仁氏(現ランドスケーププロダクツ、元「relax」編集長)ほか多数のクリエーターも迎える予定。
2014年09月24日21日、マガジンハウスから、 “日本の大切なモノコトヒト”を伝えるムック本『YUCARI(ゆかり)』が発売された。『YUCARI(ゆかり)』は、日本の魅力を幅広く伝えるべく、日本の暮らしの中にある人と人との絆、おもてなし、文化、風習、地域のつながりなどを追求していくカルチャー誌。雑誌名は、大切なものごとを育む、人と人とを繋ぐ「縁(えん・ゆかり)」を表している。毎号ひとつのテーマを特集しており、創刊テーマは、日本人に最もなじみが深い花である“桜”。満開の桜並木を表紙に、「女を上げる12本の桜」や「ふたりで愛でたい夜桜10」といったテーマを取り上げているほか、生物学的な側面や花見の歴史、桜にまつわる名言、全国の桜の名所、桜を使ったスイーツや伝統工芸品の紹介など、様々な切り口で桜と日本の暮らしをひもといている。定価は680円、奇数月の20日が発行日。なお、カラオケ、レストランなどを運営するシダックスが特別協力しており、同誌から20ページ分抜粋した冊子を、シダックスグループが運営するレストランカラオケやスペシャリティーレストラン、売店、公共施設等に無料で設置する予定とのことだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年03月27日あの“食べるラー油”の元祖ともいわれる「石垣島ラー油」を作った“辺銀夫婦”、グルメの方なら一度は耳にしたことがあるだろう。このたび、この辺銀夫婦の人生が、主演 小池栄子、共演 台湾人俳優ワン・チュアンイーで、映画「ペンギン夫婦の作りかた」(仮題)として映画化される。マガジンハウスより発売中の「ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし」を原案に映画化。夫婦が遠距離恋愛から国際結婚、そして石垣島に移住。ひょんなことから石ラーを作って売ることになって・・・。そんな二人の現在までの道のりをまとめたドキュメンタリーがこの本だ。帰化申請にまつわるエピソードを物語の軸に、石垣島ラー油誕生のヒミツ、夫婦の絆が描かれている。石垣島でのスローライフは、笑いあり涙あり、沖縄・石垣島の食材をふんだんに使った料理あり、と観ているだけでも美味しい!元気になる映画だ。2012年 秋 ユナイテッド・シネマほか 全国公開[予定]。【出演】小池栄子 ワン・チュアンイー 深水元基 山城智二(FEC) 平良進 吉田妙子【監督】平林克理
2012年03月10日