短編映画『Blind Mind』のトークショーが1月11日に都内で行われ、矢野友里恵監督、灯敦生(脚本・プロデュース)、藤井道人監督(トークゲスト)が登場した。オリジナルの短編映画である同作。盲目の満井祐(佐藤寛太)は周囲の人々と関わりながら日常生活を送り、恋に旺盛な同居人・ジェリー(モクタール)と対照的に「自分は恋とは無縁だ」と言い切り、ジェリーの言う「美しい」がピンとこない。一方で、SNSインフルエンサーの仲道フミカ(平祐奈)もまた、その言葉の檻に囚われていた。盲目の青年とルッキズムに葛藤する少女の出会いを描いた同作は、矢野監督の初監督作品であり、日本大学藝術学部映画学科の同級生である脚本家・灯が、主演の佐藤寛太を当て書きとして書き下ろした。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭、あいち国際女性映画祭への出品を経て、全国の映画館で順次公開されている。この日のトークショーには、矢野監督の師匠であるという藤井道人監督が登場。2019年に映画『新聞記者』が高い評価を受けた藤井監督は『ヤクザと家族 The Family』(21年)、『余命10年』(22年)と次々と話題作を世に出している。今回は、映画論に花が咲いたトークショーのオフィシャルレポートが到着した。○映画『Blind Mind』トークショー オフィシャルレポート■師弟関係、ヒョウ柄のアシスタント灯:本日は、お越しいただきありがとうございます。藤井道人監督は、大学時代の私たちのサークルOBでしたが、矢野監督にとってはお世話になった師匠でもあると……。お二人の師弟関係は、いつ頃からだったんですか?藤井:今日ここへ来る前にルノアールでLINEを見返していて。矢野ちゃんっていつからアシスタントやってくれてたんだっけ?と思って。「2016年だ!」って言ったら、さっき「いや2013年です」って言ってて。矢野:LINEが多分途中で変わってて……藤井さんにお会いしたのが大学1年生の時(2013年)だったので、今から10年前……?藤井:長いねぇ。その時僕は全然まだ売れない自主映画監督で。でも映像の仕事を結構やってて、(アシスタントで)大学生いないか探してたら、矢野ちゃんが来てくれて。矢野:そうですね、先輩から呼ばれて行きました。藤井:『アキラとポピーの七日間』という誰も知らないような短編映画が多分最初だよね?矢野:そうです。何もわからないまま初めてプロの現場に行って、何をするんだろうって。まだ1年生の時だったので。灯:まだ実習系の授業も始まってなくて、現場経験もない時だよね。矢野:そう。でも一度行ったら次も呼んでくださって、バイトしない?って声をかけてくださって、そこからずっとBABEL(映像制作会社『BABEL LABEL』)藤井:初日現場に来た時に(矢野が)ヒョウ柄の服を着て来て。ヒョウ柄の服で来るアシスタントは初めてだった。おっ、なんか変わった方だ! みたいな。矢野:それも知らなかったんですよ(笑)。黒で行かなきゃいけないことを...…。灯:黒で行かなかったとしてもヒョウ柄は避けない?(笑)藤井:そうそう(笑)。でも翌日もそんな感じで来たから個性のある子なんだなって。それから2017年、2018年? くらいまでお世話になっていました。■日芸が繋ぐご縁トーーーク矢野:現場から編集から、本当に色々教わりました。『Blind Mind』は主に日芸(日本大学芸術学部)の仲間で撮ったんですけど、当時の藤井さんも大学の仲間とショートフィルムを撮られていて。先日『情熱大陸』の藤井さんの回を観ていたら、変わらない仲間と撮っていたので、これでいいんだと勇気付けられたというか。あのチームのままいるのが素敵だなと。藤井:ありがとうございます。灯:今作は、身近な先輩・同輩・後輩たちと一丸となって作ったことで、やり易さとともに、一人ひとりの本気が注ぎ込まれた感じがありました。阿吽の呼吸、しがらみの無さ……といった良い部分が発揮できる同じメンバーのまま、商業の道にしっかりと乗せて、第一線を走る姿に憧れます。矢野:夢だよね。藤井:新しい友達ができないだけっていう……(笑)矢野・灯:そんなわけ……(笑)藤井:灯さんは今回プロデューサーもされてますけど、普段脚本家でもあって。僕よりうちの会社のオフィスに居て、うちのドラマとか沢山書いてくださってるのも、ご縁がありますよね。灯:この1年半でドラマ5作品ほど……大変お世話になってます。日芸時代、サークルOBだったBABELの皆さんと面識はあったけど、大きな接点が無く。卒業後、数年経ってからご縁に恵まれたので。今日も劇場公開という機会にお話しできて嬉しいです。■『Blind Mind』の感想藤井:何が一番嬉しいって、(大学時代から知っている人が)こうして観ていただく機会を作るまでを含めて、自分たちで映画を作ったっていうところ。主演の2人も素晴らしいお芝居をして、腰の据わった映画を撮っていて、すごく嬉しくなりました。さっき2人には言ったけど、最後キスしなくていいじゃんみたいなのは思いました。でもまず、観客の皆様に何を伝えたくて何を作るぞっていう、ここまで来られる人たちがほとんどいない中で、自分たちの力でやりきったこと。最初だからって誤魔化したり、分かりやすく作ろうとしたりせず、冒頭と最後しか音楽を使わないで、しっかり2人の洗練されたお芝居を見せるんだっていう意気込みが僕の中にすごい伝わった。でも途中うちのアベラヒデノブっていう俳優がだいぶ邪魔をしていたなと思って。灯:いやいやいや(笑)藤井:なんだっけ、ダジャレ言ったよね? あれちょっと本当にイラっとしちゃって(笑)灯:あれはアドリブですね。藤井:だよね! 絶対あれはアドリブだと思ったんですよ! だからムカついて……なんかちょっとドヤ感出して言ってたじゃない? あれすっごい不愉快でした……すみません、こちらの責任でございます(笑)矢野:アベラさんもそれこそ、BABEL時代のご縁もあって来ていただいたりしているので。藤井:そうだよねぇ。意外と芝居はうまいからまたムカつくんですよね(笑)灯:あのシーンすごく好評です!(笑)藤井:あれ(日芸の校舎がある)江古田だよね絶対。江古田と新江古田のさ。矢野:そうです、そうです! 懐かしい場所で撮りました。藤井:あそこだよね! うわっ、とか色々思い出しながら観てました。矢野:ありがとうございます。素敵な言葉、嬉しいですね。灯:師と慕う存在の方から、今ご感想を伺って、どうですか? 矢野監督。矢野:初めて現場に行った日から色々教わって、私は勝手に藤井さんを目指してというか、背中を追いかけていたんですけど、個人的には途中留学したり遠回りもした気がしていて。で、また戻って日芸の人たちと一緒に作品を作って発表できて、(藤井さんに)今こう言っていただけるのは、間違ってなかったんだなって思えたし、また次も頑張ろうって糧ができたと実感しました。藤井:このまま長編も観たいなって気持ちにもなりましたし。作品のことで言うと、矢野ちゃんグザヴィエ・ドラン好きだったよね?矢野:そうです!藤井:冒頭のプワプワした光のやつとか「おっなるほど、こういうオシャな感じで来ましたね〜」とか思いながら観てて。矢野:オシャな感じ(笑)藤井:最後の2人が歩いていくバックショットのHSはドランぽいと思って観てました。矢野:ありがとうございます。多分影響を受けていると思うので(嬉しいです)灯:BABELアシスタント時代に現場で学んだ映像。そして先程、編集の話もされていましたよね。矢野:編集が一番藤井さんから学んだんじゃないかなと。当時藤井さんがたくさんショートフィルムとか撮ってらっしゃったんですけど、その素材を触らせていただいていたんですよ。「こうやって編集してね」じゃなくて、ポーンって渡していただいて、「好きなようにやってみな」って言われて。灯:すごい……。矢野:その上でアドバイスをいただけるっていう、今考えるとめちゃくちゃ贅沢なことを(させていただいてたなと)藤井:無茶振りですよね。矢野:あの時はどうしたらいいんだろうと思いながらただただ懸命にやっていたけど、絶対その時のことが今に生きてて、懐かしいし、ありがたいなって本当にまた改めて思います。灯:今後、お二人が映画祭でご一緒したりだとか、そういう未来もあればいいなと思いながら……。藤井さん・矢野:頑張ります(笑)藤井:僕が続けているかどうかっていうのがね、ちょっとね……(笑)灯:…え?(笑)藤井:矢野ちゃんはこっから沢山撮っていただいて……。矢野:いやいや(笑)、追っかけます!■長編を撮りたい話灯:これまで矢野と何作品か作ってきましたが、日芸の友人と4人で旅行したときに、矢野が台湾の景色を見ながら「映画撮りてぇ」って突如呟いたんですよ。当時は大爆笑だったけど、7・8年越しにその夢が叶って……。笑っていた3人全員、今作に携わってるという。矢野:ですね……。そこから実現できたから……また言ったら叶うかもしれないですかね。灯:この場でも言い続けて(笑)矢野:撮りたいです!藤井:撮りましょう!応援します。矢野・灯:ありがとうございます。■矢野Q:藤井さんがコンスタントに作品を続ける理由は?藤井:家賃…(笑)矢野・灯:ええ〜!(笑)藤井:サラリーマンなんでね(笑)。働かないとみんな会社クビになっちゃうので……。いただいた仕事というのは表向きで、自分が18歳の時にやるんだって決めたことを毎日同じようにやっているだけ、自主映画の時と今でやっていることほとんど変わっていない。お客さんに届けるっていう、それが楽しいのが一番大きいです。環境が変わっていっても自分自体は変わっちゃいけないというか、このままでいつまで楽しくできるのかなって、今は挑戦している最中。絶対いつか求められなくなるときがくるし、書けなくなる瞬間もあると思うんですけど、求められるうちは驕らず、自分ができることを丁寧にやっていくみたいなことは心がけていますね。でも職業監督ですっていうなら撮らなきゃダメだなって。10年くらい撮ってないで居酒屋で説教とかされたらムカつかない? っていう(笑)。自分がそういう大人にならないように今は頑張ってやっていこうかなっていう感じですかね。矢野:ありがとうございます。私も撮り続けます。藤井:撮るとわかるよね、ここがダメだったなとか、こんな説明しなくてよかったなとか。でも撮らないと観客側で一生人生終わるのかって思って。言うは易し。人の映画を観てこれはダメだなとか思うけど、やっぱ自分が撮ってみないとわからないっていうのは今でも勉強になってます。矢野:藤井さんにも最近の反省ってありますか?藤井:めちゃくちゃあるよ。いつまでこんなカチカチの弁当を食べさせてんだとか。お肉と魚二択の文化はいつから続いてるんだろうって。これまで食に興味がなかったけど、最近会った主演の方に「いい歳なんだから現場に栄養士とか入れないとダメよ」って言われて確かにって思った。監督じゃないと環境って変えていけないんですよね。自主映画の時はおにぎり二個だったじゃん。昼も夜も。矢野・灯:そうですね。藤井:コックさんがいるような現場になったら夢があるなって思うんですけど、全然まだそういうところができてなくて反省してますね。灯:託児所を設けた現場も少しずつ増えていると聞きます。日本映画は少しでもいい方向に向かっていますよね?藤井:意識を高く持つ人たちがみんなで一丸となれば、世界に挑戦できる業界だと思って頑張ってます。■灯Q:仕事量に忙殺されない秘訣は?藤井:これ全然共感されないんですけど、遊びだと思ってやったほうがいいよ。ウイニングイレブンをやっているのと映画を撮るのは同じくらい楽しいことなんだって思っていれば疲れはしないですね。夜の会食の方が全然疲れる(笑)。現場って絶対新しいことしかないから。こんな発見があるんだって、こんなに楽しい仕事はないなって思って。俳優にどう演出つけてもうまくいかない時は夜ホテルに帰って「ああ、言い方良くなかったな」とか。灯:へえ~! 藤井さんでもそんなトライアンドエラーを……。藤井:するよぉ、毎日毎日試行錯誤。インプットしなきゃと思ってインプットした情報って、心から学びたいことではないと思っているので。そこは自分に正直に、やりたいことだから勉強するし、やりたくないことはやらないってパシッと決めちゃう。灯:自分に嘘つかないための決断ですね。藤井:でも意外とどんな仕事も結構楽しいんですよね。昔ホラーのDVDを作ったりとか、パチスロのバラエティ番組とかやってたんすけど、何でも楽しみ方だなって思う。辛くなったら終わりかなって。現場終わっての楽しみはネトフリとかのドラマを観ることですね。早くそれ観たいから帰りたいみたいな(笑)灯: OLの友人も同じこと言ってました(笑)藤井:そうですそうです(笑)。やっぱ趣味だからね。矢野:昔、藤井さんの現場が遅い時間に終わって、次の日早朝からなのに、夜中にその日撮った映像が編集されたのが藤井さんから送られてきて驚きました。早く編集したい気持ちというか、楽しいっていうのがすごい伝わって……。藤井:恥ずかしいね、はしゃいでるおじさんみたい(笑)矢野:あの後、自分が撮ってみてその気持ちがすごくわかったんです。今日撮った素材早く編集したい!みたいな(笑)藤井:それは素晴らしいことだね。■最後にひとこと灯:ではゲストの藤井道人監督、そして本作監督の矢野から最後に、お言葉をお願いします。藤井:お二人ともまずはお疲れ様でした。そして今日観に来てくださった皆様も本当にありがとうございました。映画を作り続けていてよかったなと思うのは、こういう自分たちの背中を見てくれてた人たちが次の世代として新しい作品を発表する場に立ち会えること。僕自身幸せなことですし、そこ皆さんが来てくださって、映画を観てくださって、持ち帰ってくださることはすごく光栄でございます。2人は今回の佐藤さんと平さんとまた長編を作るとさっき豪語していましたので、是非その時は応援していただきたいですし、僕も何かしらの形で応援できたらなと思っております。今日は皆様本当にありがとうございました。矢野:本日はご来場いただきましてありがとうございます。SNSや劇場などで感想を頂いたりもするんですけど、どうしたら伝わるかな?と思って一生懸命作っていたものがちゃんと伝わってたり、自分が予想していた以上のものが返ってきて、どんどん作品が形付けられていって、毎日すごく幸せを噛み締めています。ここまでこられたのも、勉強させていただいたのも、大先輩である藤井監督とのご縁や出会いも大きいので、今回こうして作品を観てもらって、嬉しい言葉もいただいて、また今日から……明日から……? 今日から……?灯:ん? いつから?(笑)矢野:今日から!(笑) 次に向けて頑張っていこうと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございます。(C)2021Yurie Yano/Atsuki Tomori
2023年03月05日■マンモスうれピー酒井法子(のりピー)さんが、「大きな喜び」を表現するときに使っていた言葉。「ヤッピー」「いただきマンモス」など、彼女が繰り出す独特の言葉は「のりピー語」として流行しました。■だっちゅーの巨乳をアピールする芸風でブレイクした、女性コンビ「パイレーツ」。グラビアアイドルとお笑い芸人を足して2で割ったタイプで、存在自体が新しかった。前かがみになって両手で胸をぎゅっと挟んで、谷間を強調しながら放たれるこの決め台詞は、当時、新語・流行語大賞を受賞。胸が大きくても小さくても、男の子でも、関係なくみんな真似してた。■ヒューヒュー!当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった人気歌手、華原朋美さんによる「桃の天然水」のコマーシャルで使われた台詞。これが「ヒューヒューだよっ」になると、恋愛ドラマ『二十歳の約束』の中で、密かに思いを寄せる男性(演:稲垣吾郎)が別の女性といい仲なのを見て、落ち込んでいるのを悟られまいと牧瀬里穂さんが言った冷やかしの言葉になる。どちらも完全に死語なので、取り扱い注意。昭和生まれが「懐かしい」と感じる飲み物7選■生まれ変わったら一緒になろうね松田聖子さんが、単独で開いた郷ひろみさんとの破局会見で、号泣しながら語った言葉。この言葉をきっかけに輪廻を信じる女の子たちが増大したことは間違いありません。今では少し使い古されてる感がありますが、なかなか力があります。その後、松田聖子さんは神田正輝さんと、郷ひろみさんは二谷友里恵さんとご結婚されましたので、おそらく生まれ変わって一緒になるという約束は撤回でしょう。■快感……映画『セーラー服と機関銃』で、薬師丸ひろ子さんが放った名台詞。ひとしきり自動小銃を乱射した後のこの台詞には、ちょっと卑猥な響きもありました。子どもの頃は、よく意味もわからずに真似したものでした。昭和生まれが「懐かしい」と感じるドラマ8選■ギガントカワユス中川翔子さんによる「しょこたん語」のひとつで、「とても可愛い」の意。彼女が使う言葉はとにかく音感が良く、用法もユニークで親しみやすい。今でもたまに使ってしまう。■普通の女の子に戻りたい!キャンディーズが人気絶頂時にコンサートで解散宣言した際、メンバーのひとりが発した台詞。最近、AKB系のメンバーが芸能界を引退するときに使っているのを見かける。オマージュ的にやっているのか、単なる偶然なのかは不明。昭和生まれが「懐かしい」と感じるアイス7選
2019年08月16日「歌は世につれ、世は歌につれ」などと言われます。流行歌は世情をよく表わしているという意味ですが、流行本もまたそうではないでしょうか? 「あったなあ!」と思わず懐かしんでしまう、100万部突破のミリオンセラー本を挙げてみました。●『徳川家康』著:山岡荘八1962年のベストセラーです。現在では信じられないかもしれませんが、徳川家康の伝記小説が100万部を突破した時代があったのです。この小説は昭和25年~昭和42年まで、なんと18年に渡って連載されました。日本中に徳川家康ブームを巻き起こしたのです。●『HOW TO SEX』著:奈良林祥身も蓋もないタイトルですが(笑)、1972年に刊行された奈良林祥先生著のこの新書本は、下は中学生(ダメですけどね)、高校生~大学生など、若者を中心に大ヒットしました。なにせネットも何もない時代、SEXに関する知識を真正面から扱った本書は性に関するバイブルになりました。累計300万部を突破したとされています。現在では新装版が刊行されています。●『ノストラダムスの大予言2』著:五島勉1974年に刊行されたミリオンセラー。前作『ノストラダムスの大予言』の続刊で、1999年に世界は滅ぶという「終末思想」を日本中に植え付けました。当時の小学生は「この先どうなっちゃうんだろうなあ」と不安に駆られたものです。1999年には何も起こらず、ノストラダムスはすっかり過去のものになり、今は「マヤの暦」にそのお株を奪われています。それも今年いっぱいですが(笑)。●『天中殺入門』著:和泉宗章1979年に日本中に天中殺ブームを巻き起こした1冊。占学的な内容はともかく「天中殺」は「ついてない」ぐらいの意味であちこちに使われました。●『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』著:ファミリーコンピュータマガジン編集部編1986年に刊行されたミリオンセラーの攻略本。今までにないタイプのベストセラーということで大注目を集めました。ちなみに『ファミリーコンピュータマガジン』は徳間書店から刊行されていたゲーム雑誌で、『ファミ通』(当時はファミコン通信)のライバル誌でした。●『サラダ記念日』著:俵万智1987年に刊行され、歌人・俵万智の名を一躍有名にした1冊。その現代的な感覚、ライトな感じで、口語短歌の魅力を伝えたとされます。まさか(しかも処女作)歌集がミリオンセラーになるとは作者でさえ思わなかったのではないでしょうか。●『ゲームの達人(上・下)』著:シドニー・シェルダン1988年に「超訳」というキャッチコピーで、上下巻でなんと700万部を達成した小説。アメリカではテレビドラマ化もされました。●『ノルウェイの森(上・下)』著:村上春樹1988年に刊行された村上春樹の大ベストセラー。思春期にこの本に出会い、すっかり村上春樹にやられてしまった人は数多いことでしょう。ちなみにビートルズの『Norwegian Wood』をノルウェイの森と訳すのは間違い。これは、言葉上は「ノルウェイ製の家具」などと訳すのが正しいのです。とたんに楽曲のタイトルとして情緒がなくなるのですが(笑)。●『愛される理由』著:二谷友里恵郷ひろみと結婚した二谷友里恵が1990年に発表したエッセイ。この後、2人は1998年に離婚。同年、郷ひろみは色んな意味で傑作な『ダディ』を世に送り出します。今見ると、なぜこんな自信満々なタイトルなのかは疑問です(笑)。●『もものかんづめ』著:さくらももこ1991年に刊行された、漫画家・さくらももこのミリオンセラー。『ちびまるこちゃん』はすでに大ヒットしていましたが、その作者が満を持して執筆したエッセイとして注目を集めました。ちなみに、さくらももこは1992年刊行の『さるのこしかけ』、1993年刊行の『たいのおかしら』もベストセラーになっています。●『遺書』著:松本人志1994年刊行された、ダウンタウンの松本人志が書いたエッセイ集です。ダウンタウンは当時人気絶頂で、松本人志はお笑いのカリスマとして圧倒的な支持を集めていました。松本人志は翌年刊行の『松本』でもミリオンセラーを達成しました。●『猿岩石日記(1・2)』著:猿岩石アポなし取材、芸人の世界紀行で大人気だった日本テレビの番組『進め電波少年』から生まれたミリオンセラー。番組内で行なわれた、猿岩石(有吉弘行と森脇和成のコンビ)による世界紀行の日記で、1996年刊行。この後、猿岩石は解散しました。しかし、有吉弘行はピン芸人として華麗に復活したのです。●『ハリーポッターと秘密の部屋』著:J.K.ローリング2000年には記念すべきハリー・ポッターシリーズの第1作がミリオンセラーを達成しました。作者に直接交渉して日本における版権を獲得した静山社は一躍脚光を浴びました。●『プラトニック・セックス』著:飯島愛飯島愛の赤裸々な告白本がミリオンセラーになったのは2000年。そのあけっぴろげな性格と美貌で人気者だった彼女はこの8年後、36歳で逝去しました。●『「捨てる!」技術』著:辰巳渚2000年には「ライフスタイルへの提言」のこの本がミリオンを達成しました。失われた10年と呼ばれる長引く経済的停滞の末、新世紀へ向かう20世紀最後の年にこの本が出たのは、今から思うと結構象徴的だったのかもしれませんね。21世紀になってからのミリオンセラー本は近すぎて「あったあった!」にならないかも……なのであえて取り上げませんが、1冊だけ、すごく最近刊行されたのに、すでになかったことになってそうな本があります。それは……。●『KAGEROU』著:齋藤智裕芸能人・水嶋ヒロが齋藤智裕名義で執筆、2010年に刊行されたこのベストセラーほど、ヒドイ目に遭った作品はないでしょう。ポプラ社の第5回ポプラ社小説大賞受賞作ということで大々的に喧伝され、水嶋ヒロが大賞の賞金を辞退するなどのドタバタが起こり、刊行前にすでに「悪評」が伝わっていました。刊行後にはamazonのレビュー欄が瞬時に炎上。それは今でも続いています。2012年7月10日現在、総レビュー数753件のうち★1つが318件、★2つが159件という低評価。ここまでの低評価を食らったベストセラーはちょっと見当たりません。(高橋モータース@dcp)
2012年10月25日